カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

キリストとは誰かー古代公会議でのキリスト論(4)

2019-05-28 16:31:23 | 神学


 5月の学びあいの会、「キリスト論の展開」の第二回目、は猛暑の中でおこなわれた。高齢者は外出を控えたくなる異常な暑さで、出席者も少なかった。
 今回は古代の6回の公会議の特徴の紹介であった。カテキスタのS氏や岩島師の独自の解釈が紹介されたわけではない。今日のポイントは、最初の6回の公会議のなかで(これを古代と呼んでいる)いわゆるキリスト論の教義は完成し、以後今日まで新たなキリスト論の教義は制定されていない、ということを繰り返し確認することであった。
 キリストとは誰か、イエスとは何者なのか。この問いへの答えは教義としては確立している。使徒信条である。イエス・キリストは神であり同時に人である。

 だが、この教義の確立までざっと400年かかっている。第7回の第二ニケア公会議まで含めれば約500年ということになる。そして以後現在まで1400年近くこの教義は守られている。
 ではそういう教義をまとめた公会議とは何なのか。 公会議 Ecumenical Councilと、使徒会議、教会会議など他の類似の会議との違いの説明は他に譲るとして、私の要約の前提を三点挙げておきたい。
 まず、カトリック教会は公会議は現在まで21回開かれたとしている。東方教会では第1回から第7回までの会議しか認めていないところもあるようだ(1)。

 第二に、公会議では教皇首位性と公会議優位性の対立が内在していることだ。中世では、皇帝権と教皇権の対立も公会議の性格を強く規定していたようだ。公会議は異端説に対応するために開かれたとはいえ、権力闘争の性格も持っていたようだ。

 第三に、古代の公会議でキリスト論の教義が確定したとはいえ、中世には第7回から第19回のトリエント公会議まで12回開かれている。このうち、前半の(大きく見て11・12世紀)6回では、主に教会の組織や制度の整備が進み、教皇権が確立していった。十字軍や騎士団の時代だ。後半の(大きく見て13・14世紀)6回は教会のシスマ(大分裂)に代表されるように教会の世俗化のなかでおこなわれた。教皇権と皇帝権の対立や教会の腐敗の時代だ。やがておこる宗教改革に教会が対応しようとしたのは1545年のトリエント公会議まで待たねばならなかった。フス戦争から約100年、ルターの95ヶ条の論題から28年後のことであった。これ以降、近代社会の成立の中で教会は公会議を開く力を持てなかった。そしてやっと開かれた第一バチカン公会議(1869)はこの近代社会を支えた近代主義を否定したのである。教会が現代化の方向に舵を切ったのは1962年の第二バチカン公会議である。われわれは今この時代に生きている。公会議を語ることは、単に歴史的事実を羅列することと同じではない。

 参考までに、21回の公会議の一覧をみてみよう。

 

 

Ⅰ 古代の公会議一覧

 キリスト論の教義は古代の6回(第7回は外す)の公会議を経て確立する。

1 第一にケア公会議 325 アレイオスの異端排斥 父と子は同一本質(ホモウーシオス)
               ニケア信条の成立
2 第一コンスタンチノープル公会議 381 聖霊の神性の確認
                      ニケア・コンスタンチノープル信条の成立
3 エフェゾ公会議 431 「神の母マリア」の宣言 ネストリオス派排斥
4 カルケドン公会議 451 キリストのペルソナにおける神人両性の確認
5 第二コンスタンチノープル公会議 553 ネストリオス派への追加的異端宣告
6 第三コンスタンチノープル公会議 680 単意説の異端宣言 両意説(両性説)の確立(2)


 以下おのおのの公会議の特徴が詳しく紹介された。

 

Ⅱ 第一ニケア公会議 325年

1 アレイオスの異端説
  アレイオスはアレキサンドリアの司祭。318年に、「神は唯一 キリストは神ではなく被造物」と主張。321年に破門される(後に復帰)。教会を二分する巨大勢力となる。
2 ニケア公会議
 教会はアレイオス派と反アレイオス派に分裂。コンスタンチヌス大帝がこれを憂い、325年に最初の公会議を開催する。激しい議論の末に、アタナシオスの活躍もあり、アレイオス説は排斥される。「ホモウーシオス」(子は父と同一本質)の教義が決定され、ニケア信条が成立する。史上初めてのキリスト論の教義が決定される。
 だが、このニケア信条は必ずしも守られず、その後約50年間、アレイオス派との争いが続く。皇帝が変わるごとに両派の追放と復帰が繰り返される。最後に勝利したのは正統信仰派であった。

Ⅲ 第一コンスタンチノープル公会議 381年

1 聖霊の神性の問題
 キリストの神性が確認されると、次に、聖霊の神性が問題となった。カッパドキアの3教父(カイサリアのバシレイオス、ナジアンゾスのグレゴリオス、ニュッサのグレゴリオス)が活躍し、アレイオスの教説をめぐる混乱を終結させる。
2 第一コンスタンチノープル公会議の開催
 やがて公会議が開催され、聖霊の神性が確定される。そして、ニケア・コンスタンチノープル信条が成立する。これは今でもわれわれが唱えている信条である。ここに三位一体論が確立する。

Ⅳ 三位一体をめぐる論争

 最初の2つの公会議を経て、キリストと聖霊の神性が確認された。つまり、「父・子・聖霊の3つの神性」の存在が認められた。では、この教義は、「神は唯一である」という教えとどうつながるのか。矛盾してはいないのか。これが三位一体論論争である。

1 東方教会
 オリゲネスはネオプラトニズムの「流出説」(3)の影響を受け、「父→子→聖霊」の流出説を唱え、父・子・聖霊のそれぞれを「ヒュポスタシス」と呼んだ。つまり、父・子・聖霊は「それぞれ独立した存在性を持つ神的実体」だとした。

2 西方教会
 ヒュポスタシスのラテン語訳は「スブスタンティア」で、「実体」と訳される。西方教会では、三位一体の神を「1つのスブスタンティア、3つのペルソナ(位格)」としてきた。西方教会から見れば、東方教会のヒュポスタシス説では、神は3つのスブスタンティアをもつことになってしまうと批判した。しかも子は父に従属するという従属説をとっていると非難した。これに対し東方教会は西方教会はサベリウス主義だと批判した(4)。父・子・聖霊が別の存在でなければ3者の間に愛の交わりは生じないと主張した。
 342年の教会会議で両者はついに決裂する。

3 カッパドキアの3教父の仲裁

 カッパドキアの3教父による仲裁が見事だった。
  東方教会:3つのヒュポスタシスの1つのウシアにおける一致(5)
  西方教会:1つのスブスタンティアにおける3つのペルソナ(6)

Ⅴ キリストの神性と人性の結合の問題

 キリストは神性と人性を持つことは確認された。それでは、この神性と人性はどのように結びついているのか。いかにして人間の肉体が神の霊をもちうるのか、という大問題が浮上した。

1 ロゴス・サルクス説
 キリストにおいて、神のロゴスと人間の肉体(サルクス)が結合しているとする。つまり、ロゴスは人間の魂の代わりであるとする。この説ではキリストの完全な人性は否定されてしまう。

2 ロゴス・アンドロポス説
 アンディキア学派が提唱した説で、神のロゴスと人間(魂と肉体)がペルソナを通して結合するとした。ペルソナ概念が使われる。
 ちなみに、位格という意味で用いられていたのはギリシャ語のプロソポン、ラテン語のペルソナという言葉であったが、やがて、プロソポンは「仮面」、ペルソナは「人格」という意味に変化していったという。

 次の第三回エフェゾ公会議は「テオトコス(神の母)」論争から始まる。次稿にまわそう。


1 公会議一覧を参考までに載せておいた。出典は様々で、要約は基本的には私の表現である。間違いがあれば、ご指摘いただけると幸いである。
2 キリスト単位説(単性説)とは、受肉後のキリストは神性のみを持ち、人性を持っていない、つまり人間ではないという説。現在でもエジプトのコプト教会など単性説をとるキリスト教がある。
3 ネオプラトニズムは3世紀頃成立した思想で、プラトンのイデア論を発展させ、万物、理性、は神である一者(ト・ヘン)から流出するとした。流出したものを 「ヒュポスタシス(実体 自存者 自立存在 位格的結合)」 と呼ぶ。
4 サベリウス主義とは、様態論のことで、父と子は独立した存在ではなく、神が顕現する「様態」(モドウス)の違いと主張する思想。サベリウスとは人名。
5 ウシア(ousia)とは、「実体」とか「本質」と訳されるギリシャ語。ギリシャ哲学の用語。
6 ペルソナ(persona)とは、「位格」と訳されるラテン語。自己と他者を区別する主体のこと。人間に対しては「人格」と訳される。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 令和元年の初ホタルが飛ぶ | トップ | キリストとは誰かー古代公会... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

神学」カテゴリの最新記事