Ⅰ イエスの十字架刑
十字架刑はローマ帝国に対する反逆罪に適用されるが、非ローマ市民にのみ適用される極刑のことだ(1)。ローマ市民には斬首が用いられた。
川中師はここでJ・ブリンツラーを引用して、極刑を描いていく(2)。残酷な描写だが念のため引用してみよう。
「死刑の宣告を受けたものはーイエスの場合はすでに先立って執行されたが、鞭打ちを受けた後ー地面の上で両腕を伸ばした姿勢でまず横木へ釘付けされ、それからそれを自分で背負って処刑場まで引いてゆかねばならなかった。そこに着くとその横木は罪人の身体もろともつるし上げられ、地中深く垂直に立てられた柱へ固定され、さらにこの柱へ彼の両足が釘付けされた。柱のほぼ中央に丸太材が取り付けられていて、身体の垂れ下がるのを支えた。」
イエスは、9時に十字架につけられ、12時に全地は暗くなり、3時に息を引き取る(3)。
Ⅱ 十字架刑のテキスト
十字架刑の場面は主にマルコ15:20以降で描かれるが、この場面のテキスト分析もさまざまあるらしい。川中師は、テキスト分析を、十字架刑の伝承および福音書記者の編集の二点に絞って整理しておられる。
1)十字架刑の伝承
伝承のなかでは、旧約の「苦難の義人」と十字架上のイエスを重ね、「終末論的出来事」とイエスの死を重ね合わせる。
①苦難の義人 passio iusti
義人とは旧約では神との契約を貫く人のことで、たとえばノア、ヨブ、ダニエルなどが代表らしい。新訳では義人とは信仰の人という意味らしく、信仰によって義と認められた人のことだという。ここでは詩篇との対比が紹介される。お定まりの「予型論」だが、一応みてみよう。
「没薬を混ぜたぶどう酒」(マルコ15:23)は詩篇69:22が予型だし、「その服をわけあった」(マルコ15:24)は詩篇22:19に、「頭を振りながら罵って」(マルコ15:29)は詩篇22:8に、「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ」(マルコ15:34)は詩篇22:2に重なるという。十字架上のイエスは「苦難の義人」とされる。苦難とは聖書では人間の罪に対する神の懲罰という意味だから、イエスの苦難は贖罪の意味を持ってくる。
②黙示文学の伝承
「全地は暗くなり」(マルコ15:33)は、「アモス書」8:9を下敷きにしていて、イエスの死を終末論的出来事とみなすという。アモス書なんてわたしはキチンとは読んだことはないが、アモスは紀元前8世紀頃の「災いの預言者」と呼ばれる人らしい。少し引用してみる。
「終わりの日: その日になると わたしは真昼の太陽を沈ませ 白昼に地を闇とする」(聖書協会共同訳)
また、9時・12時・3時と時間を具体的に記しているのも「時の指示」であって、黙示文学の伝承を受けついでいるという。「しかし、時期と時が来るまで、命は延ばされた」(ダニエル書7:12 聖書協会共同訳)。
2)福音書記者の編集
①百人隊長の告白
百人隊長の告白は、マルコでは「神の子」だが、ルカでは「正しい人」となっている。
「まことに、この人は神の子だった」(マルコ15:39)
「本当に、この人は正しい人だった」(ルカ23:47)
正しい人とは普通は道徳的・倫理的に正しい人という意味だろうが、新約聖書では信仰によって義とされた人、信仰の人、というパウロ的な意味がこめられているようだ。
②イエスの最後の言葉
イエスの最後の言葉は、マルコでは、「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」(15:34)となっている。
ルカでは、「父よ、私の霊を御手に委ねます」(23:46)
ヨハネでは、「渇く」「成し遂げられた」(19:28,30)
大貫隆氏は、これらをイエスの「絶望」とみているようだ。また、マルコ15:37「イエスは大声を出して息を引き取られた」をイエスの最後の絶叫と呼んでいる。本当にそうなのだろうか。川中師はこの解釈は、十字架刑テキスト成立の歴史を背景に読まないと誤解されかねないと考えているようだ。
3)十字架刑テキスト成立の三段階
十字架刑のテキストの成立は三段階に分けられるという。
①十字架刑伝承の最古層は、荒井献氏によると、「彼らは彼をゴルゴタというところに連れて行った。それからイエスを十字架につけた。イエスは息を引き取った」という簡潔なものだったという。 ②伝承段階でやがて伝承者の解釈が入ってくる。これが第二段階だ。
③最後に編集段階として、福音記者たちの解釈が入ってくる。十字架刑の出来事が象徴的な出来事として再現されてくる。
十字架刑のテキストはこのように編集されたものとして理解しようというわけだ。
Ⅲ 十字架刑テキストにおけるイエスへの信従
イエス信従は二カ所で説明されるようだ。
①まず、「十字架を担う」場面だ
「シモンというキレネ人が、畑から帰ってきて通りかかったので、兵士たちはこの人を徴用し、イエスの十字架を担がせた」(マルコ15:21 協会共同訳)
②つぎに、婦人たちが「イエスに従う」場面だ
「また、女たちも遠くから見守っていた。その中には、マグダラのマリア、小ヤコブとヨセの母マリア、そしてサロメがいた。この女たちは、イエスがガリラヤにおられたとき、その後に従い、仕えていた人々である。このほかにも、イエスと共にエルサレムへ上って来た女たちが大勢いた」(マルコ15:40f. 協会共同訳)
川中師はこの両場面をギリシャ語と日本語訳とを対比させながら詳しく説明されている。「イエス信従」の詳しい説明がなされる。私にはこのテキスト分析をフォローする力は無い。そこで最後に、師が「イエス信従の根本モチーフ」と呼ぶものを示しておこう。マルコ8:34だ。
「それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。わたしの後に従いたいものは、
a 自分を捨てなさい
b 自分の十字架を背負いなさい
c わたしに従いなさい」
注1 パウロはローマ市民だったから、十字架刑ではなく斬首だった。十字架を使う処刑は歴史的には世界各地で見られたようだが、旧約聖書には出てこないという。十字架には、X字型、T字型、十字型、という3種類があるという。ローマ帝国では十字型が用いられていた。十字架刑は主に奴隷に対する刑であったという。
注2 J・ブリンツラー 大貫隆訳 『イエスの裁判』 1988 新教出版 356-394頁
残酷な話だが、足を支える板は、横隔膜が下がってすぐ窒息死するのを防ぐためだという。時間をかけて殺すということだ。わたしの所属教会にあるのもこの磔刑像で、しかも極めて写実的な作品だ。子どもたちが復活のご像を好むのもわからなくもない。
注3 観想修道会のお祈りが、9時・12時・3時というのもこれを記念してのことなのだろう。
イエスはメシアなのにどうして十字架上で殺されねばならなかったのか。これは神学的な問いである。イエスの十字架の死は人類の贖罪の死であるというのが神学的説明だ。十字架は神の愛の行為だと言われるが(「ご受難は神愛の発現」岩下壮一師)、この逆説的説明は難しい話だ。贖い(贖罪)とは、奴隷や捕虜などを身代金や代金を払って買い戻すことを意味するらしいが、旧約では家畜を屠ってその血を祭壇に捧げることをいったらしい。新約では、イエスは「多くの人の身代金として、自分の命を与える」(マルコ10:45)贖いの完成者だ。日本では奴隷制度は定着しなかったし、生け贄による贖いという思想も展開しなかったので、この贖罪の教えはなかなか理解が難しいようだ。昔の公教要理では「救世の玄義」と呼ばれていた。カテキスタのS氏は議論の最後にご自分の考えをパウロの贖罪論を使って補足・説明されていたが、興味深いものであった。