カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

集会祭儀かことばの典礼かー典礼研修会に出て

2019-02-12 11:27:48 | 教会

 2月11日の国民の祝日に開かれた典礼研修会なるものに出てきた。主催は横浜教区典礼委員会で、場所は藤沢教会。いろいろ学ぶことが多かったので忘れないうちに書き留めておきたい。

 日曜日のごミサにただ出ているだけで典礼なんてあまり考えたこともないが、少しはミサのことを勉強してみたいと出てみた。当初は典礼憲章の解説かミサ式文の神学的説明を期待していたが、全く別物だった。ところがこれが予想以上にとても有益な研修会だった。

 第39回目の研修会というのだから歴史は古いようだ。今年のタイトルは、「ミサは、あずかるもの? ささげるもの? 参加するもの?ーその1 開祭とみことばー」というもの。何か意味がよく推測できないタイトルだったが、中身はカレントな話だった。要は、司祭が急にミサをあげられなくなった場合に信徒だけで「ことばの典礼」をおこなう。その具体的式次第の試行・練習というものだった。司祭不在が事前にわかっている場合の「集会祭儀」ではない。何かの事情で司祭が突然ミサをあげられなくなった場合、しかも信徒が教会にすでに集まってしまっている場合、どうするか、という問題への対処策のようだ。実際の運用では「ことばの典礼」と「集会祭儀」はなかなか区別できないとの話だが、典礼としては異なる性格を与えられているらしい。司祭不足のなかですでに集会祭儀が定期的におこなわれている教会も多いらしい。私は知らないことばかりでただただ驚くばかりで、勉強不足を思い知らされた。

 この研修会は横浜教区の各小教区の典礼委員の方々向けらしく、わたしのような日曜信者は少ないようだった。藤沢教会は大きな教会でお聖堂は500人は収容するという。それが満席なのだから、参加が予約制であったのはもっともだと思った。横浜教区は信徒数が55000人くらい、小教区が77,巡回教会は11もあり、大きな教区だ。神奈川県、山梨県、長野県、静岡県をカバーする。

 横浜教区のすべての、すべての小教区の教会から参加者があり、しかもシスターや神父様もおいでだったから会場は熱気にあふれていた。これだけ人が集まると連帯感というか仲間意識が生まれるらしく、普段、世間のなかで感じるカトリック信者の疎外感やマイノリティ意識は消え去っていた(1)。
 手話による説明もあったし、なによりも大画面を利用した同時翻訳には驚いた。発言がそのまますぐに画面に文字で表示されるのだ。見たところどうも機械翻訳ではないらしく、直接手入力しておられたらしい。準備をされた方々のご苦労は察して余りある。今日の講話では、ミサの最中に「聖書と典礼」の文字を読まないで、顔を上げて声を「聴け」と繰り返し強調されていたので、この大画面は不思議と言えば不思議だった。ワイヤレス イアフォンのサービスもあったし、今日風の機器の活用はよかった。

 参加者は圧倒的に女性が多かったが、年齢層で見れば若い方も多かった。信徒の高齢化が言われる割には典礼委員には若い人で熱心な方が多いと言うことであろうか。それとも、これほど若い人の参加が多いのはミサや典礼が変化してきている、揺れてきていることへの危機感の表れなのだろうか。今日の参加者の方々は実際に各教会を支えておられる方たちだろうから、その熱意と信仰の強さにただただ敬服するのみであった。

 プログラムとしては一日がかりの内容の濃いものであった。講演の司祭は横浜教区典礼委員会のK師とO師。お二人とも教区の典礼を事実上ブラッシュアップされておられる方のようである。

 午前中の第一講はK師による「ミサはどうやってできているの?」というテーマで、ミサの各部分の解説があった。第二講はO師による「開祭ー私たちのミサが始まるー」で、おもに開祭の説明があった。午後は昼食をはさんで、O師の「ことばの典礼ーみ言葉を受ける・応える-」というテーマで、言葉の典礼の解説があった。そのあと、実際の「みことばの祭儀」がおこなわれた。聖書朗読から「教話」(2)までまで含んでいた。その後質疑応答があり、これは質問が多すぎて時間切れになるほどであった。盛況というか参加者の熱意あふれる質問に司会者は戸惑っていたようだ。最近強調されるようになった「信徒の行動的参加」もうたい文句ではないことがよくわかった。

 これから講話の内容を簡単に要約してみたいが、ひとつだけ前もって確認しておこう(3)。それはミサの式次第は「構造」を持っていることだ。ミサは、①開祭 ②ことばの典礼 ③感謝の典礼 ④閉祭(派遣) の4本の柱を持っている。

 ①開祭: 入祭の歌・挨拶・回心・あわれみの賛歌・栄光の賛歌・集会祈願
 ②ことばの典礼: 第一朗読・答唱詩編・第二朗読・アレルヤ唱・福音朗読・説教・信仰宣言・共同祈願
 ③感謝の典礼: 供え物の準備・奉納祈願・感謝の祈り・叙唱・感謝の賛歌・奉献文・記念唱・交わりの儀・主の祈り・平和を願う祈り・平和のあいさつ・平和の賛歌・拝領
 ④閉祭: 派遣の祝福

 わかりきったことではあるが、この構造がわからないと今日の講演の理解は難しくなる。とはいっても、わたしも、開祭と閉祭はごミサの付け足しで、言葉の典礼と感謝の典礼が大事で、特に感謝の典礼が中心だと思っていた。今日の講演では、これは間違った理解で、開祭と閉祭の重要性が力説されていた。これがわかっただけでも今日の研修会に出た甲斐があったというものである。

 講演の内容は次稿にまわしたい。


注1 こういう集団意識は、どの宗教団体の集まりに限らず大規模集団の集まりではどこでもみららるのだろうが、キリスト教の場合は、「沈黙」がこの集団意識の構成要素の一つになっていることが興味深い。
注2 「教話」とは不勉強の私には聞き慣れない言葉であった。どうも神父様がされる「説教」の変わりに奉仕者がおこなうミサの福音朗読の解説のことのようだ。典礼式文の中でどう位置づけられているのか、わたしにはわからなかった。
注3 この表現・表記は 吉池好高『ミサの鑑賞』オリエンス宗教研究所、2018 による。『キリストと我らのミサ(改訂版)』そのものではない。

 

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