カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

カリフ制復活は現実的か ー イスラーム概論4(学びあいの会)

2021-04-29 15:57:15 | 神学

Ⅲ メディナのムハンマド

1 メディナの調停役

 150名の小集団はメディナで共同体(ウンマ)を形成し、安心して信仰生活を送れるようになった。 当時のメディナには、3つのユダヤ教徒の部族と、2つのアラブ人の部族があった。これらの部族間で争いが絶えず、ムハンマドはこの争いの調停者として才能を発揮していく。

2 メディナ憲章

 メディナに移住した後、ムハンマドはムスリムたちと盟約を結ぶ。

「信仰者たちは、一つのウンマを形成し、、相互に助け合い、外部からの攻撃に対しては共同して防御すること。ユダヤ教徒に対してはムスリムの権威に従う限り宗教の自由を認める」

 この憲章はウンマ共同体の原理を定めたもので、イスラムでは最初の憲法とされる。ウンマの理想を示しているという。

3 メッカとの対立

 メディナに移ったムスリムたちは着の身着のままであった。そのため生活の糧を求め、メッカの隊商を攻撃した。やがてメッカとの全面対決となる。ここに、ムスリムを迫害するものへの戦いは聖戦(ジハード)だという大義名分が生まれる。

624年 バドルの戦い メディナの300人でメッカの1000人に勝利する
625年 ウブドの戦い 敗北
627年 ハンダクの戦い メディナを包囲したメッカ軍を撃退する
628年 和平条約を締結 10年間平和が保証される
 その後ムハンマドはアラブ民族を制圧し、絶対的権威を確立していく
630年 メッカの無血征服 カーバ神殿(1)を浄化
630年暮れ アラビア半島北部に大軍を率いて遠征し、アラビア半島を征服する

4 ムハンマドの死

 632年に高熱病により死去。死後、後継者として長年ムハンマドを補佐した同志アブー・バクルが選ばれる。かれが初代カリフ(2)である。
 2代目カリフはウマルで、告別の辞では「ムハンマドは死んだのではない 40日目に現れる」と述べたが、初代カリフのアブー・バクルは「ムハンマドは死んだ 神は生きている ムハンマドは使徒にすぎない」と述べていたため、ムハンマドが神格化されることはなかったという。
 このカリフがイスラームの歴史を切り裂いていく(3)。

(シーア派諸派)

 

4 結び

 ムハンマドは神の使徒として神の教えを伝えただけではなく、新興宗教の創設に完全に成功した。そして、ウンマ共同体という政教一致の共同体を作り上げた。
 ハディース(伝承)によって、徐々に理想化され、超人化され、理想的な人格者、奇跡の実行者とされたにもかかわらず、ムハンマドは結局は神格化されることはなかった。
 ムハンマドはあくまで神の言葉を伝える者、預言者であり、メシア(救い主、贖い主)ではない。イスラームには原罪思想がないので贖罪思想(贖いという観念)がない(4)。三位一体の思想もない。



1 カーバとはメッカのモスクの中心にある神殿。もともとはアブラハムによって建設されたという伝説があり、ムハンマドの時代には多神教の神殿だった。ムハンマドはメッカを征服したとき神殿のすべての偶像を破壊させた。
2 カリフ(Caliph)とはムハンマドの「後継者」のこと。ムハンマド亡き後イスラーム共同体を率いる指導者のこと。代理者、代行者、代表者などと訳される。

 スンニ派ではカリフの資格は以下の通りだという。

男性であること 自由人であること 成年者であること 心身両面で健全であること
公正であること 法的知識を持つこと 賢明であること イスラームの領土の防衛に勇敢かつ精力的であること クライシュ族の男系の子孫であること

 要は、血統ではないので、周りから認められれば誰でもなれるということのようだ。

(スンニ派とシーア派)

 

 こういう色分けも注意しないといけない。国によっては、支配層がシーア派で民衆はスンニ派、または

その逆というケースがよくあるからだ。いわばねじれだ。

3 歴史の中でカリフの権威は失墜し、イスラームに分派を生み出していく。4代目のアリーまでは正統性が認められているが、その後は混乱する。基本的にはスンニ派(多数派)はカリフの権威を認め、シーア派(アリーの血統のみがイマームとなりうるとする12イマーム派が主流)はカリフの権威を否定していく。なお、スンニ派、シーア派はいくつかの表記方法があるようだが、ここではこういう表現を採用しておく。
 1924年にオスマン帝国が滅亡するとともに、オスマン家のスルタン・カリフがいなくなり、カリフ制は廃止されたとされるが(『山川世界史』など)、13世紀にアッバース朝がモンゴルに滅ぼされたときに消滅したというのが定説らしい(『角川世界史辞典』など)。
 現在カリフはいるのか? いるなら誰なのか? そもそもカリフ制は存続しているのか。この問いへの答え方の多様性(混乱)が現代のイスラム問題の中核にあるらしい。タリバン、アルカイダ、アイシス(ISIS)らはどれもスンニ派とはいえ違いがあり相互に対立しているようだ。
 「イスラム国」(アイシスまたはアイシル ISIL Islamic State in Iraq and the Levant 現在イラクとシリアにまたがる地域を一部占拠しているイスラーム過激派組織)のカリフを名乗ったアブー・バクル・アル=バグダーディーは2019年10月に米軍により殺害された。アルカイーダのウサーム・ビン・ラディンは2011年5月に同じく米軍により殺害された。タリバンは現在も1970年代以降のアフガニスタン内戦の渦中にある。
 カリフ制とはカリフを首長とするウンマの統治体制のことだ。結局はイスラーム絶対体制、政教一致体制のことだから、近代法による支配を否定する。コーランの神の法による支配のみがあるとする。近代法は所詮人間が作ったものに過ぎないという考え方のようだ。キリスト教世界における政教分離を巡る長い歴史、三権分立思想の成立の歴史をみるとき、カリフ制の復活は難しく思える。
4 贖罪とは、受肉した神であるイエスが、アダムとエヴァ以来の全人類の罪を十字架によって贖ったことを意味する。といっても、普通は原罪とか贖罪とかいう言葉はなかなかピンとこない。現代の日本社会では、贖うなんて、なんのことを言っているのかわからないということになる。キリスト教神学者の中でも原罪論を過度に強調することへの警戒感を持つ人は多い。

 

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