カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

心の渇き ー キリスト教のエッセンス(2)

2020-06-02 09:37:04 | 教会

導入

 本論に入る前の「導入」部分である。タイトルは「キリスト教信仰のエッセンスを学ぶーより善く生きるための希望と道しるべー」と
題されている。これからの学びのための「視点」が述べられる。知識としてのキリスト教ではなく、より善く生きるための道しるべとしての
キリスト教信仰を学ぶことが強調される。

 より善く生きるとはどういうことか。師は、聖書から4箇所を取り上げる。マルコ8:36(イエスに従う者),テトス3:1-7(信徒
の務め),フィリピ2:6-11(模範であるキリスト),ヨハネ1:1-2(神であるみ言葉) だ。どれも短くはないが、参加者全員の
読みあわせから始まるのであろう。最初から聖書の説明だ。結局、イエス・キリストとの「関わり」が人に大きな「変化」を引き起こし、
「心の渇き」が満たされるということが説明される。

 「信仰」が「心の渇き」を満たすものとしてまず説明される(1)。心の渇きは、マズローの「自己実現の欲求」論を使って
説明される(2)。心の渇きは科学では満たされないと説かれる。

 信仰は心の渇きを癒やし、救いを求める祈りのことだという。小笠原師の信仰観がにじみ出ていて、読んでいて心地よい。

第1章 なぜ「キリスト教」というのか

1 祈る人間

 第1章は「宗教とはなにか」という問いから入る。極めてオーソドックスな導入だろう。オーム真理教事件やスピリチュアル・ブームを
例にとりあげ、現代日本では宗教についてマイナスのイメージが強いことが指摘される。他方、習俗化した宗教的伝統(七五三や
お盆など)には敬意を払うことの重要性が説かれる。日本の「宗教的伝統」や「宗教的儀礼」を重視する視点は小笠原師の特徴的な
宗教観といってよさそうだ(3)。


(教会・寺・神社)

 

2 なぜ「キリスト教」と言うのか

 キリスト教とは、一言で言うと、「イエスはキリストである」と信じる宗教のことである、と説明される。
では、なぜイエスというありふれた普通の名前を持った人が「キリスト」(メシア・救い主・救世主)と呼ばれるようになったのか。
これを学ぶことがキリスト教を学ぶということの意味であると説明される。

 小笠原師の導入は成功していると思う。信仰を「心の渇きを癒やすもの」として説明しようとしている。これはキリスト教関連の入門書や
説教ではよく使われるたとえのようだ(4)。渇きには体の渇きと精神の渇き、肉体の渇きと魂の渇きがある。肉体の渇きは水で癒やすが、
また喉は渇く。では、霊魂の渇きはどう癒やしたら良いのか。師が引用したヨハネ福音書4:13・14をもう一度読んでみたい。

「この水を飲むものは誰でもまた渇く。しかし、私が与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水が湧き出る」(協会共同訳)



1 信仰の定義にはいろいろあるだろう。『カトリック教会のカテキズムでは』、「信仰はまず、神に対する人間の人格的な帰依です。
これは同時に、神が啓示されたあらゆる真理への自由な同意を伴います」とされている(222、#150)。わかりやすい訳文だ。
『カトリック教会のカテキズム・要約』では、「神を信じるとは、時分自身を神に委ね、神が真理そのものであるため、神から啓示された
あらゆる真理に同意しながら、神ご自身に帰依することです」(151-152,176-178,#27)と定義されている。
ちょっとくどい印象が残る。
 こういう定義を無味乾燥だとか抽象的だとかみなすなら、信仰を「心の渇きを癒やすもの」として説明するのは現代の日本人には
ピンとくるのだと思う。なお、数字はDS。教会の『文書資料集』の番号で、かなり細かい話になる。
2 A・H・Maslow (1908-70) アメリカの心理学者。「欲求段階説」(5段階説または6段階説)を唱えた。
人間の行為・行動の動機には5(6)種類の欲求がある(生理的欲求・安全欲求・所属欲求・承認欲求・自己実現欲求・自己超越欲求)。
これらの欲求は階層構造をなしているという。「自己実現欲求」は第5段階とされる。師がなぜここでマズローを援用するのかは
説明されていないが、本書が自己実現論やエリクソンのアイデンティティ論がが流行っていた頃に構想されたことを示しているのかも
しれない。マズローの心理学は精神分析学と行動主義心理学の統合理論とされることが多いが、基本的には人格の発達段階説のひとつだ。
3 これは東京カトリック神学院系の司祭養成の特徴なのかもしれない。日本カトリック神学院が昨年東京神学院と福岡神学院に別れ、
司祭養成期間も7年に伸びた。日本のカトリック教会にはこういう面でも地殻変動が起きているのかもしれない。
4 たとえば、関口教会の入門講座では、Sr.中島(マリアの宣教者フランシスコ修道会)は「共感・絆・渇き」というテーマから
講座への導入を始める。なお、これはネットを使った入門講座である。対象は幅広いので、対面式の入門講座とは強調点が
異なってくるのかもしれない。

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