カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

エルサレムの教会から異邦人の教会へ ー 教会論(4)

2019-12-17 11:13:54 | 教会


 第5章は原始教会の変貌の歴史を描く。使徒たちは、復活体験を経て、ユダヤ教の枠内にとどまりながらもエルサレムに独自の集団をつくる。やがて迫害の中でユダヤ教から徐々に離反していく。パレスチナへの宣教を開始し、使徒会議を開く。第一次ユダヤ戦争でエルサレムが破壊されるとエルサレム教会は消滅し、ここにキリスト教はユダヤ教から完全に決別し、独立していく。

Ⅰ エルサレムの原始教会

1 イエスの復活後、使徒たちはエルサレムに独自の集団を形成した。カハル(=エクレシア)が「旧約の民イスラエル」と呼ばれていたのに対抗して、自らを「キリストの真の民イスラエル」と呼んだ。

2 この集団はユダヤ教の枠内にとどまっていた。ユダヤ教の1グループで、似たようなグループは他にもあっただろう。彼らは共同生活を営んでいた(使徒言行録2:46)。

3 このグループは以下のような独自性を持っていた

①イエスの名による洗礼
②パン割き(聖体祭儀)
③独自の祈祷会(個人宅でおこなった)
④指導体制:長老制(1)をとった (12使徒・ペトロ・ヨハネ・兄弟ヤコブ)
⑤愛の共同体:所有物を共有していた

4 エルサレムの教会の自己理解

 イエスの死後(2)、おそらく70年代までおよそ40年間くらいは、ユダヤ教の枠内にとどまっていたが、自分たちを以下のように理解していたようだ。

①自分たちこそ「新しいエルサレム」、すなわち、「神の民」である
②ユダヤ教全体がこのエクレシア(教会)に改心することを期待していた
③万人が集まり、救いに与ることを期待していた

Ⅱ 原始教会のユダヤ教からの離反

 このエルサレムの教会は徐々にユダヤ教から離れていく

1 宣教と教会の発展

① エルサレムにおける3回の迫害

①37年 ステファノの殉教 エルサレムを追われ、サマリアへ逃げる
②44年 ペトロの捕縛 ヤコブの殉教
③62年 兄弟ヤコブの殉教

② パレスチナへの宣教
  最初の15年で教会は急速に拡大していく
  ガリラヤ・サマリア・トランス・ヨルダン フィリポカイザリア・ヤッファ・ガザ

③パウロとバルナバによる宣教
  38年 パウロの改心
  45年 小アジアへ宣教開始 当初はユダヤ人のみ やがて異邦人にも宣教する

④諸問題
  パウロの教会観とユダヤ人の教会観の違いが多くの問題を生み出す。問題解決のために会議が開かれる。

2 使徒会議 (49年)

 ユダヤ教の枠内での教会観は異邦人の教会観にあわない。使徒会議が開かれる。パウロとペテロ(のちに兄弟ヤコブ)の対決と言ったらいいすぎか。論争は一応の決着をみる。異邦人の教会が承認され、割礼とか食物規定などの律法遵守を求めないこととされた(使徒言行録15章、ガラテア2:1〜10)(3)。

3 決着

 第一次ユダヤ戦争(66〜70年)の結果、エルサレムは陥落し、破壊される。神殿祭儀は終焉する。エルサレム教会も消滅する。ここにユダヤ教とキリスト教は完全に袂を分かつことになった。

 

 

Ⅲ 離脱の神学的反省

 こういう歴史的経緯は神学的には次のような反省材料になっているという。

①エルサレム教会:ユダヤ人による神の民。ユダヤ人選民の完成を目指す
②パウロ:パウロは、ユダヤ人選民説を修正しつつも、ユダヤ人の救いの図式は捨てていない
③マタイとルカ:二人ともエルサレムの消滅が決着をつけたと考えた
マタイ:ユダヤ人を対象とする福音書ゆえ、ユダヤ教がキリスト教に止揚され、新しい律法となると説明した
ルカ:異邦人対象の書は3つの時代を想定していたという(H・コンツエルマンの説)
律法と預言者の時代ー>イエス・キリストの時代ー>聖霊/教会の時代(主の昇天から再臨まで)

④後期新約聖書:書簡は、「神の民」の称号を教会に与えている。イスラエルはもはや問題にしていない。

 第6章以下の「教会の自己理解」は次回に回したい。



1 長老制にはいろいろな特徴があるだろうが、基本的な特徴は合議制が段階的であることだ。改革派の組織原理だで、監督制とは対象的な組織原理だ。宗教改革後に西欧で発展した議会制民主主義と親和的だったという説明を取る人が多い。
2 30年4月7日という説が多いが、もちろん確定しているわけではない。
3 この使徒会議を第一回公会議とみなす議論も多いが、全地教会会議(First seven ecumenical councils)という意味では第一ニカイア公会議(325年)が第一回公会議である。

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