Ⅲ イランのホメイニ革命
ホメイニー革命(イラン革命)とは、イラン・パフラヴィー朝において1978年1月に始まった革命のこと。フランスに亡命中であったアヤトラ・ルーホッラー・ホメイニーを精神的指導者とするイスラム教十二イマーム派(シーア派)の法学者と民衆勢力が、モハンマド・レザー・バフラビー国王の専制に反対して革命を起こし、1979年2月11日に政権を奪取した革命をさす(1)。
専制を排除し、「イラン・イスラム共和国」を成立(4月1日)させたという意味で民主主義革命であったが(2)、ホメイニーをアヤトラ(最高指導者)(3)とするイスラム回帰の反動的革命(4)だったとも言われる。
1979年11月 イラン・アメリカ大使館人質事件 アメリカとの対立激化
1979年 イスラム革命の波及を恐れたソ連がアフガニスタンに侵攻
1980年 イラクがイランに侵攻してイラン・イラク戦争勃発 8年続くがイラクが崩壊
イランは、アメリカと対立するのみならず、サウジアラビアなどのイスラム教スンニ派諸国とも対立している。現在のイエーメン内戦はイランとサウジの代理戦争と言われる。
イランはイスラエルの抹殺を掲げており、「核開発疑惑」とならんで、中東の不安定要因の一つとなっている。だが、国際的に孤立しているわけではなく、第三世界の一部の国や中国はイランを支持しているようだ(5)。
(イラン核合意の構図)
注
1 ホメイニー革命は、イラン革命とかイスラム革命とも呼ばれる。日本の教科書ではイラン革命という名称が一般的なようだ。英語では Islamic Revolution という使い方が多いという。
2 この革命は民衆主導の革命だった点が大きな特徴だ。アメリカにもソ連にも依存しない新しいタイプの革命であった。
3 アヤトラとはシーア派の十二イマーム派の宗教法学者のなかで優れた精神的(宗教的)指導者をさすようだ。19世紀末頃から使われ始めた名称のようだ。十二イマーム派とはシーア派の主流派で、「お隠れのイマームの再臨」を信じている。イマームとは初代アリー(661年没)以来のシーア派指導者をさす。
ルーホッラー・ホメイニーは、日本では「ホメイニ師」とか「最高指導者」とか呼ぶ慣例があるが、ホメイニーは元首でもあった。ルーホッラーもホメイニーも姓(名字)ではなく名だという。なお、ホメイニではなく、長音記号をつけたホメイニーが言語の発音に近いらしい(イラン人の知人の話 日本のWikipediaもこの説を採っている 世界史の教科書は単にホメイニと記述している)。
4 ホメイニーに従って、「法学者」が支配し、「イスラム法」の徹底した適応を目指したようだ。イスラム原理主義的と呼んで良いかどうかは議論のあるところだが、政治的自由を抑圧するという意味で反動的と言える。統治体制は権威主義的であると言われる。
5 トルコやソ連はイラン寄りらしい。問題は、ホメイニー革命が成功してこの体制がこれほど長く続いていることをどう評価するかだ。イランの社会、宗教、教育、女性の地位などの変化のフォローが重要になってくる。