カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

釈迦からブッダへ ー 仏教概論(2) 学びあいの会

2022-11-28 18:23:04 | 神学


 アドヴェント(待降節 Advent)が始まった。昨日のごミサでは4本中最初のローソクに灯がともされた。4週間後のクリスマスまで一本づつローソクに灯がともっていく。家ではアドヴェント・クランツ(リース)を飾った。街中では、楽しいのは子どもだけではなく、大人もクリスマス・ショッピングで忙しい期間だ。
 11月の学びあいの会は寒さが戻った曇天の中で開かれた。昨日のワールドカップでの日本代表の思いがけない敗戦の翌日と言うことで、集まりは寂しかった。
 仏教概論の二回目である。テーマは仏教の歴史的展開と諸宗派の比較の話だった。ポイントは、釈迦の仏教がブッダの仏教、大乗仏教に変化していく過程を知ることだ。今回の講義の要旨は既に2018年2月17日のブログに載せてあるので繰り返さない。ここでは主要な論点だけをピックアップして私見を述べてみたい。

4 仏教の歴史的展開

 この章では、初期仏教としての釈迦の仏教から、釈迦の教えの解釈の違いから部派仏教が生まれ、やがて大乗仏教が東北アジアに入ってくる経緯が説明された。解釈の違いと言っても具体的には「戒律」の理解の仕方をめぐって部派が分かれたようだ。佐々木閑氏は「破僧の定義変更」と呼んでいる(1)。破僧とはサンガを分裂させる行為を指すようだ。結局、部派は上座部と大衆部をあわせて20部くらい生まれたという。

 解釈の違いは弟子たちの間にいわば「派閥」を生み出した。部派とは派閥みたいなものらしい。だがそれは「異端」とはされなかった。ある派閥を、部派を、異端と認定するような中心組織が仏教にはなかったからだろう(2)。異端ではなく、「多様な解釈」として様々な部派が生まれたのだろう。現在でも仏教には異端は存在しない

 後世、異端的な考えは宗派として独立していく。小乗、浄土、禅宗、密教などは宗派と言うよりはおのおの独立した仏教と考えてもよいほど教理の違いが大きい。中心経典が異なるのだ。むしろはっきりとおのおの独立した宗教を見なしてもよいのかもしれない。釈迦がいなくとも成立する仏教とも考えられる。キリスト教には異端は様々あれど、イエスの存在を認めないキリスト教は考えられない。

 特に大乗仏教では仏の概念が変化する。如来観音など多種多様な仏が作り出され、仏が神格化されてくる。有神論的色彩を帯びてくる。日本に入ると神仏混淆が起こり、権現などが生まれてくる。大乗仏教は上座部仏教に対していわば改革派であり、在家の信者を組織していった。厳しい修行よりは祖先への回向を重んじた。礼拝中心になっていったといえよう。

 大乗仏教の経典(般若経・法華経・華厳経など)は主に紀元1~3世紀頃書かれたようだ。新約聖書も紀元1~2世紀ごろ書かれている。ちなみに記述言語も大乗経典はサンスクリット語が多いという。上座部経典がパーリ語が多いのにたいして(大衆向けのやさしい俗語)、サンスクリット語はインド・アーリア語系でペルシャ語・ギリシャ語などと近いという。知識人向けの言語ということらしい。
 文字表記はいろいろあるようだが、仏典が中国に輸入され、漢訳され、さらに日本では読み下しされる。現代日本でお経が日本語訳ではなく、そのまま漢文風に読まれ、誰も意味がわからないのは異常としか言いようがない(3)。曽てわれわれのミサが日本でもラテン語で行われていたのと変わらない。仏事に読まれる般若心経は書き下し文で読んでほしいところだ(4)。
 13世紀のイスラムの侵入によってインドでは仏教は滅亡する。仏教は南と北に伝播していく。

【仏教の伝播】(出典:佐々木閑「大乗仏教」76頁)

 

 


1 佐々木閑 『集中講義 大乗仏教』 NHK出版、2017,23頁
2 現在の日本にある「全日本仏教会」は連合組織であって各宗派を統治しているわけではなさそうだ。59宗派の連合組織だという。寺院などは約7万余という。
3 日本の仏教界はあえて日本語訳しないという姿勢を取っているようだ。その意図については諸説あるようだ。イスラム教の「クルアーン」(コーラン)もアラビア語のままで読まねばならない。翻訳は許されない。だからどの国のイスラム教徒でもある程度誰でもアラビア語がわかるという。ちなみに聖書協会によると、聖書は2020年には700言語以上で読めるという(世界中の言語数については諸説ある 3000とも7000ともいう)。翻訳は66言語で完成しているという。
4 「摩訶般若波羅蜜多心経」の冒頭部分と書き下し文の例 全文は容易に検索可能だ
観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時
観自在菩薩が、深く般若波羅蜜多を行じたまいしとき、
照見五蘊皆空 度一切苦厄
五蘊は皆空なりと照見し、一切の苦厄を度したもう。
舎利子
舎利子
色不異空 空不異色 色即是空 空即是色
色は空に異ならず、空は色に異ならず。色は即ちこれ空なり、空は即ちこれ色なり。
受想行識亦復如是
受想行識もまたかくの如し。

 

コメント
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