今日から待降節が始まった。教会暦でいえば新年が始まった。聖書朗読は今年はA年で、主にマタイが読まれる。B年のマルコ、C年のルカに較べると何か難しい。
今日のミサから「新しいミサ式次第」が実施された。新形式による初めてのミサである。私どもの教会ではまだ地区ごとの分散ミサが続いているが、私の組は幸運にも今日の朝10時からのミサに割り当てられた。出席者は多かった。50人くらいはおられたであろうか。
新しい「ミサの式次第(会衆用)」が配られた。横浜教区発行のものだ。各人が氏名記入の上持ち帰るように指示された(1)。ごミサそのものは何の混乱もなく無事挙げられた。司祭や司会者に若干の言い間違いはあったが、なにぶん練習なしのぶっつけ本番なのだから致し方ない。
【ミサの式次第】
新形式の式次第は、内容を細かく見ると大分変更点がある。われわれは、ずっと「新しい式次第」に目をやって間違いないように気をつけるのが精一杯だった。お祈りどころではなかった。
考えてみると、約半世紀前、バチカン公会議のあと数年後に新しいミサが導入・実施された。ラテン語ではなく日本語のミサが始まった。あのときの興奮と高揚感は今回はない。大きな変更がなされているのだが、定着するのにそれほど時間はかからないように思える。ごミサとしてそれほど違和感はなかった。
式次第(訳文)は全体的にはローマ形式に戻る(近づく)印象があり、何が何でも日本の文化・言語にあわせるという姿勢は弱まっているようだ。その点現代の日本語にはすんなりとはなじまない表現もあるようだが(2)、いずれ落ち着いてくるだろう(3)。
とはいえ、なんといっても変化の一番は、「また司祭とともに」が「またあなたとともに」に変わったことだろう。司祭というと、司教や助祭がでは俺は含まれないのかとひがむからだったと言うが、それなら規範版通りに「またあなたの霊と共に」(And also with your spirit)でもよかった気がしなくもない(4)。
注
1 教会によっては、持ち帰りを許さず、跪つき台(長椅子や入口)に残すところもあるようだ。
2 たとえば、奉献文で、パンを「割る」が「裂く」に変わった。
3 訳語を現代日本語や日本文化に合わせるという姿勢は理解できるが、他方、典礼文を通して(聖書の翻訳を通して)、逆に日本語に影響を与えていく、日本文化に変化をもたらすという気概があまり感じられない。たとえば「愛」ということばは日本語に定着したと言って良いだろう。キリスト教の影響なしにこの変化は起きなかったように思える。
4 9月24日に雪の下教会で開かれた「新しいミサ式次第ー直前準備講座」で、梅村司教様が、今回の新式文の改訂作業を説明された折り、この部分の変更はバチカンの典礼秘跡省と激しくやり合ったが日本司教団は最後まで譲らなかったと言われた。日本司教団としてはかなりの覚悟を持った訳文変更だったようだ。いずれまた、日本語の「霊」とか「霊魂」「魂」「精神」などのことばの意味内容やコノテーションに変化が起きれば、「またあなたの霊とともに」が復活するのかもしれない。
5 この「新しいミサ式次第ー直前準備講座」はカテキスタ会の公開講座(第24回)だった。司教様の講演要旨が当教会の教会報に掲載されたのでポイントだけ触れてみる。
【開祭】
①回心の祈りでは胸を三回打ったりしない(韓国では昔どおりに打つ 日本でも昔は打った)
②「また司祭とともに」は「またあなたとともに」」変更する
③公式祈願(集会・奉納・拝領)は訳し分けた
④回心の祈りで「兄弟の皆さん」は「兄弟姉妹の皆さん」に変更する
⑤「いつくしみの賛歌」で「あわれみ」は「いつくしみ」に変更する
⑥「栄光の賛歌」では頭を下げる
【ことばの典礼】
①朗読者はおわりに「神のみ言葉」と唱え、司祭は福音朗読後は「主のみ言葉」と唱える
②信仰宣言では頭を下げる。ニケア・コンスタンチノープル信条では「・・・唯一の教会を信じます」と「唯一」を最後に持ってくる 複数の形容詞の並び順は言語によって異なる
【感謝の典礼】
①パン→いのちの糧、ぶどう酒→救いの杯
②4つの奉献文(第一はローマ、第二は聖ヒポリテュス、第三はバチカン公会議、第四は東方典礼)のうち、主日では第三奉献文を使う方向で考える
③サンクトス(感謝の賛歌)で「万軍の神なる主」は「すべてを治める神なる主」に変更する
④奉献文で「割って」は「裂いて」に変更する
⑤「信仰の神秘」への応唱は3通りある(*当教会では司会者が一番目の利用を指示された)
⑥「交わりの儀」では、「現代に平和をお与えください」は「世界に平和をお与えください」に変更。「国と力と栄光は、限りなくあなたのもの」は「国と力と栄光は、永遠にあなたのもの」に変更
⑦「教会に平和を願う祈り」につき、アーメンの前に、「あなたはまことのいのち、すべてを導かれる神代々とこしえに」を新たに付け加える。
⑧「拝領前の信仰告白」では司祭の言葉に、「世の罪を取り除く神の子羊」を追加する。また、「食卓に招かれた者は幸い」は「食卓に招かれた人は幸い」に変更する
⑨会衆の拝領前の信仰告白として、「・・・あなたをおいて誰のところに行きましょう」(ヨハネ福音書のペテロの信仰告白にもとづく日本固有の式文)のかわりに、「主よ、わたしはあなたをお迎えするにふさわしいものではありません。お言葉をいただくだけで救われます」(規範版にあるマタイ福音書の百人隊長の言葉)を使う。どちらを選んでもよい。
わたしが理解できたポイントをあげてみたが、どれももう少し詳しい説明がほしいところだ。少し勉強してみたい。印象深かったのは、ネットを利用したミサの評価だ。わたしもコロナ禍で日曜日のミサはほとんどがYouTube利用だが、「ゆるしの秘跡は人間的対面がなくてはダメ」と司教様は言われた。つまり、ネット利用では主日のミサに参加したことにならないという。霊的聖体拝領は聖体拝領ではないということらしい。聖体訪問は有なのにな、とか、現在はコロナ禍でミサの参加義務は免除されているはずだが、とか思わなくもなかった。
なお、この新しいミサ式次第については、このブログでは2021年11月21日と2022年9月26日にも投稿している。内容に重複があればご勘弁いただきたい。