カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

時のしるし ー 『今日のカトリック神学』の要約(5)

2021-09-19 17:32:51 | 神学


第2章 教会の交わりのうちにとどまること

第5節 神学者たちの交流

 神学者の奉仕も個人的であると同時に、共同体的・団体的でもある(1)。神学者の仕事は同じ召し出しを持っている人々との連帯の中で実現される。
 では、神学者とは具体的に誰のことを言うのか。どういう人を神学者と呼ぶのか。誰がそう呼ぶのか。資格はあるのか、などなどいろいろ疑問がわいてくるがここでは簡単に説明されている。
 神学者とは、神学部や学校で神学を教えたり、神学会の会員であったり、著作家だったり、教師だったりする。いわば専門的な神学者だ。
 他方、叙階を受けた神学者や、修道生活を送る神学者もいる。また、最も数が多いのは「信徒神学者」だ。信徒神学者は、他の神学者たちが持っていない経験、すなわち、「教会と世界、福音と生活都内だの相互作用に関する分野の経験を持っている」(44頁)という。神学者はこういう信徒神学者とともに働くことによって自分たちの努力が時代的制約を持っていることを自覚する。

 神学者の価値ある仕事は、昔なら「討論」、現代では「書評」だという。討論や書評を通して神学の概念や方法を洗練させていく。この洗練の過程は優れて個人的でゆっくりとなされる。だが今日のコミュニケーション手段の急速な発達はこの自己矯正のメカニズムを十分機能させなくなってきている(2)。
 だから、エキュメニカルな対話と協力は神学者たちの交流にとってますます重要になってきている。なぜならエキュメニカルな対話と研究はいつも「たまものの交換」だからである。


(神学者 ジョンストン師)

 

 


第6節 世界との対話

 キリスト者は人間的な出来事(個人的な・世界的な)出来事や危機に直面し、それを解釈するとき、いつも「信仰」が問題となる。信仰に照らして判断し、応答する。それは一人では難しいので司牧者と神学者の手助けを必要とする。つまり神学があきらかにする「時のしるし」を示す。
 時のしるしとは、「歴史に与える影響と規模の故に、その時代の相貌を定義する人類史上の出来事や現象」のことで、その時代の人々の必要や抱負を表現しているという。本文書は、具体例として、以下をあげている。「歴史性の発見、啓蒙思想とフランス革命、奴隷解放運動、女性の権利の普及促進運動、平和・正義・自由・民主化のための運動、環境保護運動」。こういう例示が時代的制約を持っていることは言うまでもない(3)。

 教会はときにはそうした運動に「過度に慎重になり・・・それらの意義を軽視してきました」(49頁)。しかし現在「信仰の感覚」のおおかげで、福音に照らした良い見極めができるようになった。これは神学者と世界の諸文化との対話のおかげだ。
 第二バチカン公会議は、神学者のおかげで、自らの教えに関してさまざまな「時のしるし」を認識できるようになった。神学者は「諸宗教間対話」の実現に大きな貢献をしている(4)。
 公会議は次のように述べているという。「信徒は、民族的宗教的諸伝統に精通し、その中に隠れている神のことばの種を喜びを持って見いだし、尊敬すべきです」(5)。なぜならそれらは、「すべての人を照らす真理の光をしばしば反映している」からだという。 つまり、「カトリック神学の基準は、神学は世界との不断の対話のうちにあるべきだということです」(51頁)。

 

(宗教間対話)

 

 


1 ここでは、「共同体的」は「団体的」と言うことばと対比的に使われているようだが、明確な定義がされているわけではない。普通、団体はVerbandの訳で、明確な統制機構を持つ組織集団のことを指す。英語でいうassociation(結社)とは異なる概念だ。M・ウエーバーは、指揮者・管理スタッフが社会関係の秩序を維持している集団を団体と呼んでいる。指揮権の存在が重要な指標となる。ウエーバーは、団体の秩序が「強制」で維持される場合を「強制団体」(Anstalt アンシュタルト)と呼び、秩序が成員の「合意」によって維持される場合の団体を「任意団体」(Verein フェアイン 日本では協会と訳されることが多い)と呼んで、両者を区別している。本文書にはこの区別はない。
2 パソコン、スマホなどのデジタルツールの発達とその影響の拡大に警戒心を抱いているようだ。
3 「歴史性の発見」とは何を意味しているかわからないが、おそらくはルネッサンス・宗教改革など近代ヨーロッパのの成立を指しているのであろう。逆に言えば、テロ・核・イデオロギー対立・開発・同性婚問題などが例示されていない点は興味を引く。
 21世紀の現在の視点から見れば、さらに新たな「時のしるし」をあげるべきだろう。生命倫理問題、社会格差、難民・移民問題、感染症問題などだ。
4 エキュメニズム運動の中で「諸宗教間対話」が進んだ。第二バチカン公会議の最大の成果と言って良いかもしれない。諸宗教間対話の重要性は強調しても強調しきれない。だが第二バチカン公会議後半世紀経た今、その成果はまだはっきりとは姿を現していないようだ。カトリックと、国教会・正教・プロテスタント諸宗派との対話は進んでいるようだが、イスラーム教・ヒンズー教・仏教などとの対話はまだ途上のように見える。
5 第二バチカン公会議『教会の宣教活動に関する教令』、これは『第二バチカン公会議公文書全集』(南山大学監修 1986)に所収されている。この公文書全集は参照には便利である。
 日本の文脈で言えば、仏教や神道の中に「神のことばの種が隠れている」と言っているのであろう。ちなみに、教皇庁諸宗教対話評議会は、毎年、日本の神道や仏教(灌仏会)に新年の「メッセージ」を送っている(https://www.cbcj.catholic.jp/category/document/docroma/docromainterreligious/)。

 

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