カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

一夫多妻と聖戦は当然だ ー イスラム概論8(学びあいの会)

2021-05-27 18:09:31 | 神学


コーランの思想 その3 ー ムアーマラート

(1) ムアーマラートとは共同体内の倫理のこと。シャリーアのうち世俗生活にかかわる法的規範のこと(1)。イスラム共同体の内部の人間相互の正しい関係について定めた倫理規範、法規のことをさすという。以下の15項目が挙げられているという(2)。

①神の他に別の神を設けないこと
②両親に優しく接すること
③近親者・貧者・旅人に与えるべきものを与えること
④浪費をしないこと
⑤吝嗇(りんしょく)を避けること
⑥貧困を恐れて我が子を殺さないこと
⑦姦淫(かんいん)に近づかないこと
⑧不当に他人を殺さないこと
⑨孤児の財産に手を触れないこと
⑩契約を守ること
⑪量目を正しく計ること
⑫自分の知らないことを行わないこと
⑬得意然として歩かないこと
⑭その他忍耐すること・偽証しないこと・訪問・挨拶・食事・言葉遣いの規定
⑮日常生活の基本的規範

 

(2)婦人(女)と婚姻

 「女」はマディーナ啓示で、コーランの第4章とされることが多いという。この章は、女性について語っているだけではなく、以下のような内容についても触れているという。

 婚姻法(妻の数・婚資・婚資を払う余裕のない者の結婚・妻の不貞・姦通・奴隷の結婚・夫婦生活の在り方・妻の月経・未亡人の扶養と再婚・異教徒や啓典の民との結婚):
 離婚手続き:夫が妻に3度離婚だといえば成立する、妻からの申し出は制限される
 相続法(遺産相続):「男児には女児の二人分と同額」、つまり女性の価値は男性の半分らしい
 法的実践(利息の禁止・酒と豚肉の禁止・ジハード(聖戦)など):

 イスラム教は近代法を認めないので同列では論じがたいが、ここで関心を引くのはイスラム教における一夫多妻制(polygamyまたはpolygyny)だろう。一応4人まで妻を娶ることが認められ、5人以上は事情があれば許されるという。妻を保護し、扶養する義務があるが、妻の間に差異を設けることはできないという。だが、ムハンマドは22人の妻を持ち、16人が正妻で、妾が4人、その他が2人だったという。一夫多妻は許されるどころか、コーランの教えなのだ。

「汝ら自分だけでは孤児に公正にしてやれそうもないと思ったら、誰か気に入った女をめとるがよい、二人なり、三人なり、四人なり。
だが、もし妻が多くては公平にできないようならば、一人だけにしておくか、さもなくばお前たちの右手が所有している女奴隷だけで我慢しておけ。」(コーラン第4章2~7節)

 この教えが今でも生きているのだ。定番の説明は以下のようなものだ

「イスラームにおける一夫多妻制の問題は、孤児と寡婦に対しての共同義務的観点から理解することができます。あらゆる時代と場所に適応する普遍的教えであるイスラームが、それら急迫の義務を無視することは有り得ません。」
 
 つまり、コーランにしたがって、「孤児と寡婦の救済」のためという説明が一般的だ。だが、実際には「ヒジャブ」着用と並んで、イスラムにおける女性蔑視、女性差別の典型例とされることが多い(3)。
 一夫多妻制は西アフリカのイスラム諸国に多いという。サウジアラビアやエジプトでは経済力がないとなかなか複数の妻を持てないようだが、それでも1割近い国もあるという。
 近代的価値観から見れば、一夫多妻は明らかに男尊女卑的で女性差別的な制度だ。だが、廃止どころか件数は増えているという報告もあるという(4)。コロナ離婚が増えているにもかかわらずだ。

(一夫多妻)

 

 

 


(3)ジハード 聖戦 Jihad

 かってはジハードは聖戦と訳され、イスラム教は戦争を肯定していると説明された。だが最近よく言われるのは、実はジハードの本来の意味は「努力」であり、神の道に奮闘努力することだ、こういう説明が多い。最近のイスラム教に関する新書本はほとんどこの説明をとっている。
 コーランには、「神の道において汝らに敵対する者と戦え」と「異教徒との戦い」という教義があるが、この説明はこの教義を強調しないという特徴を持つ。ジハードの意味は「努力」なのか「戦闘」なのか。

 イスラム共同体、イスラム世界の拡大または防衛のために戦うことがイスラムの義務である。全世界がイスラム化するまで戦い続ける義務がある。これはイスラム総体に課せられた義務である。 ところがS氏もこの努力説をとっているようで、直接戦闘に参加するだけではなく、財の寄付、馬の提供など、様々な形がある、と説明している。
 ジハードの戦死者は殉教者として天国が約束されている。殉教者はテロリストではないという説明だ。
 これは初期のイスラム共同体の発展と関係しているという。つまり、イスラムの主権が確立していない土地に対するジハードは合法的のみならず、義務である。7世紀のイスラム大征服、十字軍との戦いもジハードである。氏は、現在世界各地のムスリムによる抵抗運動やテロ活動の精神的支えとなっていると述べている(5)。

(ジハード)

 

 

 

 


1 シャリーアのうち主にイスラム教の信仰に関わる部分をイバーダート(儀礼的規範)、世俗的生活に関わる部分をムアーマラート(法的規範)と分類するという。 イバーダートは神と人間の関係を規定した垂直的な規範、ムアーマラートは社会における人間同士の関係を規定した水平的な規範と位置づけられる。
 中田孝はシャリーアは「法律というより日本語でいう法に近い」と言って、その意味範囲は広いという。「神様の決めた掟のこと」だという。中田孝『イスラームー生と死と聖戦』2015 集英社 36頁
 なお、本書の末尾に掲載されている池内恵氏の「解説ー自由主義者のイスラーム国論~あるいは中田孝先輩について」は、ジハードを肯定し、カリフ制再興を求め、イスラム国(ISIL)を支持する中田孝のイスラム論が「自由主義の原則を放棄している」ことを明らかにしている。婉曲な中田批判と読める。
2 どの項目ももっともなものだが、逆に言えばこういう生活習慣がまかり通っていたということであろう。
 旧約の「モーゼ5書」(ユダヤ教のトーラー)も律法の書だが、クルアーン(コーラン)のトーラーへの言及の頻度は多いという(大川玲子『聖典クルアーンの思想』2004 講談社)。
 ちなみに、クルアーンが描くイエス像はわれわれが新約聖書で知っているイエス像とは異なるという。例えば、イエスは十字架上では死んでいない、十字架上で殺されたのは別人だとか、イエスは家の窓から昇天したとか、120歳まで生きたとか、埋葬地は別だとか、いろいろな伝説が残されているという。
3 ヒジャーブは、髪と首を覆い隠すスカーフのこと。ベールで顔を覆い隠すのはニカーブとよばれる。ヒジャーブはイスラム教徒女性の自由と解放の象徴だとか、サラリーマンのネクタイのようなもので安心感を与えるとかの説明をする研究者は多い。他方、異教徒の女性は性奴隷だと主張するアラブ系移民とか、ヨーロッパでのレイプ事件とか、性暴力事件のメディア報道もみかける。
4 日本にも側室制度があったし、ヨーロッパには公娼制度があった。現在、インド・フィリッピン・シンガポール・スリランカなどではイスラム教徒のみは一夫多妻が認められているという。南アフリカ、ナイジェリアでは法的に認められているという。一夫多妻は法的には違法だが犯罪とはされない国はさらに多いという。一夫多妻制は消滅に向かっているとは言えないようだ。
現在の日本には23万人以上のムスリムがいるという。重婚はないにせよ一夫多妻制がどうなっているか詳しい実態はわからない。ちなみに日本のカトリック人口は40万人強にすぎない。
5 この表現からわかるように、S氏のジハードへの評価ははっきりしない。これはジハードを「小ジハード」と「大ジハード」に分ける議論に影響されているからであろう。小ジハードは「戦闘」、大ジハードは「奮闘努力」のことというのが通説で、大ジハードのために小ジハードは致し方ない、というロジックだ。 だがコーランのなかでこういう区別が書かれているかどうかは、イスラム研究者の間でも見解が分かれるらしい。イスラム法の第一法源はコーラン、第二法源はハディースで、そこにはジハードは血を流して行う異教徒との戦いと明記されている。イスラム教徒がみな戦争を好むとか、テロに賛同しているわけではないだろう。だが、イスラム教の「教義」はジハードを聖戦として認めている。
 カトリック教会は長らく「正戦論」(Just War 正義の戦争)をとってきたが、フランシスコ教皇は2020年に3回目の回勅 「Fratelli tutti」を出し、正戦論を放棄する道を歩み始めたといわれる。なお、聖戦は正戦の一部で、戦争が非限定的かつ宗教的な場合をさすようだ。

 

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