カトリック社会学者のぼやき

カトリシズムと社会学という二つの思想背景から時の流れにそって愚痴をつぶやいていく

三位一体の主日とペスト・コロナ

2021-05-30 15:33:41 | 教会

三位一体の主日ミサに出てきた。教会での私の所属班の順番ではないので出てはいけないミサなのだが、三位一体の祝日なので出ないわけにはいかない。しかもコロナの終息を祈る貴重な機会なのだ。
 天気も良かったが、ごミサの出席者は少なかった。10数名だったか。祝日なのにと思わなくもなかったが、高齢者はミサに出てはいけないというのだから致し方あるまい。

 三位一体の主日はペストと切り離せない。ヨーロッパの大都市には巨大な「三位一体像」が町の広場に立っていることが多い。「ペスト記念像」が多いという。ペストの終息を祝って建てられたものが多いらしい。

 

(三位一体像)

 

 

 諸説あるようだが、ヨーロッパにおけるペストの流行は三度あった。最初は6~8世紀、第二回目は14~15世紀(1)、第3回目が19~20世紀だという。第二回目は中国が発生源でイタリアで猛威を振るったという説が強いようだ。第3回目も中国発で世界中に広まったという(2)。21世紀現在の新型コロナも疫病という意味では恐ろしさは同じだろう。コロナとペストは異なる疫病のようだが、疫病という意味では恐ろしさは同じだろう。ペストという言葉ははもともとドイツ語らしく die Pest  らしいが、英語では単純に plague というらしい(3)。

 今日の福音朗読はマタイ28:16~20だ。イエスが弟子たちに、「すべての民に父と子と聖霊の名によって洗礼を授けなさい」と命ずる場面だ。三位一体とは父と子と聖霊が「一体」であることをさす(4)。
 神父様のお説教は短かったが興味深かった。「三位一体とは神の命に与ることです」と切り出された。どういう話になるのかと思ったら、社会には孤立者が増え、孤独な人が増えているようだが、逆に人も70歳を過ぎると、もう新しい友人や知人はいらない、煩わしい、と思うこともある。だがイエスは「わたしは世の終わりまで、いつもあなた方と共にいる」という。女房や子供や友達を煩わしいと思うことはあっても、イエスが共にいてくださることを煩わしいと思うことはない。三位一体とは、神の命に与るとは、そういうことですというお話であった。いつものS節でわかったようでわからないお話ではあったが、なにか説得力があった。

 

(聖書と典礼)

 

 三位一体説はキリスト教に興味を持った人を最初に躓かせる教義だという。なかなかすんなり受け入れがたい教えだということであろう。三位一体とは、「神」は唯一だが(一人だけ、神は複数はいない)、「位格」(ペルソナ)は三つある(父・子・聖霊)、という教義だ。神が3人いるという意味ではない。
 三位一体論はキリスト教がキリスト教である根源だ(6)。カトリック、聖公会、正教会、東方教会も認めている。プロテスタントでもルター派もカルヴァン派も認めているという。
 イスラム教は三位一体を認めない。また、キリスト教系をなのる新宗教をキリスト教とは呼べないのは三位一体を認めていないからだ(7)。三位一体論はそれほどの重みをもった教義といえる。だが直感的にはわかりづらい教義ではある。とはいえだが、神父様のお説教のように、「共にいる」人を持てる喜びの教義でもある。



1 宗教改革はペスト流行への対策だったという説もあるようだ。
2 日本は北里柴三郎らの努力でペストの上陸をなんとか食い止め、被害を抑えることに成功した国の一つらしい。
3 plague だと疫病全般を指すような気もするが、ペストは代表的な伝染病という意味なのであろう。現在の新型コロナも中国が発生源という議論が強いようだ。ペストにはネズミ、ノミ、シラミなど動物から動物、人間への感染があるらしい。ペストは原因菌がつきとめられ、現在は流行は減ったが消滅したわけではなさそうだ。
4 三位一体とは、ラテン語で Trinitas, 英語で Trinity, ドイツ語で Dreifaltigkeit。三位とは位格(ペルソナ)が三つあるという意味だ。神が3人いるという意味ではない。プロテスタント神学では「三一論」という言い方もするようだ。
5 延期されていた洗礼式や堅信式を今日行う教会も多いようで、それはそれでおめでたい祝日だ。
6 三位一体論は325年のニケア・コンスタンティノープル公会議で確定する。アタナシウス派にならって「神のサブスタンシス(本質・実体)は一体」とされ、イエスの神性が確定する。
 そうはいっても、カトリックとオーソドックスでは強調点が異なるようだ。カトリックは、神の「本質 サブスタンシス」はペルソナで一体だから三位一体なのであって、父・子・聖霊の独自性よりは一体性が強調される。他方、正教では、父・子・聖霊の三者は「ヒュウポスタス 自存者」で、一体性よりは独自性が強調されるという。例えば、聖霊は父からのみ遣わされるのか、それともイエスからも遣わされるのか、など教義上の違いもあるようだ。
 三位一体論の神学的説明はアウグスティヌスの説明(存在・知・意思)がよく知られているが、やはりわかりづらいことはわかりづらい。山田晶『アウグスチヌス講話』新地書房 1986、加藤信朗『アウグスチヌス『告白録』講義』知泉書館 2006。
 小笠原優師ですら、「唯一の神が「三位一体」という交わりの様相を帯びているということは、人間の思考能力をはるかに超えていることだけに、まことに興味深い問題だと言わなければなりません」と述べて、あまり詳しい説明には入らない。ただ、三位一体は「イエスという存在を通して初めて見えた来たこと」と強調している点は大事だ。これは小笠原師のお説教の決まり文句の一つで、昔聞いた師のお説教を思い起こさせる(小笠原優『キリスト教のエッセンスを学ぶ』イー・ピックス 2018 186頁)。師はカラヴァッジョ(1571~1610 イタリアの画家)を特に好んでおられたが、カラヴァッジョに三位一体を描いた絵があるのだろうか。
7 モルモン 統一教会 ユーティリタリアン エホバの証人 クリスチャン・サイエンス、キリストの幕屋 など。特に「幕屋」は日本会議の構成団体の一つで、キリスト教系の新宗教として話題になることが多いようだ。

 

 

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