青来有一「人間のしわざ」-ひたすらヒトの残虐行為を語る小説と言ったら作者は気を悪くすると思う、非常に技巧的な構成だし、私は初対面だがかなりのヴェテラン、「長崎」にこだわり続けてるらしい、だけどせっかく凝った設定を用意しながら主人公たちの一番肝心なドラマ(だと私が思うところ)が語られない、ご想像に任せます、それが純文というものでって?これについては今時間ないのでまた書くかも
追記-語り手の私は50代の主婦、娘たちは独立し夫は浮気している、昔の恋人と30年ぶりに再会して旅に出た、恋人は戦場カメラマンとして世界各地で死体を撮り続け、その間に奥さんがガンで死んだ、引きこもりの息子はなにやらアヤシイことに関わってるらしい、私とベッドを共にしつつ彼は戦場でのこと、奥さんや息子のこと、そして30年前長崎(と思われる街)でローマ法王のミサに参加した時見た幻覚(惨殺される殉教者たち、島原の乱の侍たちなど残酷シーンをこれでもかとばかり微に入り細に入り、リアルを描ける筆力は認めるけどはっきり言ってクドイ、何でもかんでも書ける時に書けばよいというもんじゃないと思うぜ)を前後ゴッチャに語り続ける、いやまタイトルが「人間のしわざ」=残虐行為で、恋人どうしがホテルの一室にいるというのはそれを語るための舞台に過ぎないんだからこれでよいのかもわからんけど、二人がいかなる事情で再会し逃避行(と思われる)への出発に至ったのか、ミステリ読みはそこが一番知りたいんだよな、彼らが30年前に好きあってながらいっしょにならなかった事情はよくわかった、でもそんじゃ今度はどうしていっしょになったのか・・・それは言わぬが花だって?
モブノリオ「太陽光発言書」-小説じゃなくてエッセイじゃん、それも当たり前のことしか言ってないような・・・と思ったけど当たり前ながらこれはちょっとイケてるかも
おまえらの家に核シェルターあるやろ?
そこへ[核の平和利用]のなれのはて
ほりこんでなんまんねんもねかせとけや
ベタだし、そも核シェルターなるものは実用にならなかったと聞いた気もするし、少なくとも日本にはたぶんないだろうと思う、だけど鉛で覆われた地下壕をこれから作るというのは一つのアイディアじゃないか、生物が中に住むためには水と酸素とエネルギー源が必要だけど核燃料にはそんなもの一切いらない、放射性物質をそこまで移動させるのにパワフルなロボットも作らにゃいかんけどさ、これぞまさしく「必要は技術の母」
角幡唯介「アグルーカの行方」-これはノンフィクション、19世紀前半に北極で行方不明になったイギリス海軍の探検隊を追う21世紀の日本隊はただ二人、自力でソリを引いてバックアップもなしにひたすら歩き続ける、おもしろい、読むだけで疲れるけどでもおもしろい、やっぱこれ来月も買うよ
追記-なんと190人が遭難したという「フランクリン隊」のことは昔植村直己が書いてたのを読んだ気もするけど、それは別の話だったかも、氷に閉じ込められた船を放棄して徒歩で南へ向かったらしい、原住民の証言である程度足取りがわかったというんだが、当時の装備はとんでもなくお粗末なものだったハズだしソリもないのに人間一人が運べる食料と燃料などタカが知れてる、もちろんGPSなんかないし北極では方位磁石が役に立たないから方角もわからない、まさに自殺行きだった、植村は「なぜ原住民に助けを求めなかったのか」と言ってたが、事実前の探検では原住民を協力を得たとのことだが、190人は多すぎたのかもね
もう一つ追記-極地ではヒトの身体から出る水分が霜になってそれが調理の火で溶けると濡れる、濡れないようにテントの霜を落とすのが一仕事
自分の体から発散される水分量があまりにも多い(略)人間の肉体構造の根本部分にはどこか間違いがあるのかもしれない
そらもともとが密林のサルだったんだから北極に住むようにはできてないけど、確かにヒトはものすごく水をムダ使いする体質の動物で、必要な水を確保するために「文明」なんてものを発明したんだよ、それがよかったかどうかはわからんけど、文明がなかったら貴方は北極へ行かんかったし私はこの駄文を書かなかった、あ、やっぱその方がよかったかな?
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