「金色夜叉」の新聞連載が始まったのは1898年、作者エミリー・ブロンテの死後50年を経た本国イギリスで「嵐が丘」(もちろんそういうタイトルで日本に紹介されたのはずっと後のこと)はそれなりの評価を得ていたハズなので、紅葉山人がこの小説を知っていた可能性は高いと思います。
ただイギリスの田舎に住んでた女性作家の作品を、日本の都市に住む男性作家はさほどおもしろいと思わなかった、登場人物にもさして魅力を感じなかった-のじゃないでしょうか?
だけどこの設定はちょっといいかもと思ったのですね。
エドガーに求婚されたキャサリンが
「ヒースクリフと結婚したらいっしょに破滅するしかない、エドガーと結婚すれば、彼のお金でヒースクリフを助けてやれる」
と言い、それを聞いたヒースクリフは失踪する。
3年後に自分のお金を持って戻って来たが、そのお金をどうやって作ったのかはわからない、語り手のネリーが知らないだけじゃなく、作者のエミリーだって、どうすればそんなことができるのか知らなかったんだから(とサマセット・モームが言っていた)。
そんなんありかよ無責任な、そうだ、そんなら自分が失踪後のヒースクリフを書いてやろうじゃないか、そう思った時「金色夜叉」というタイトルと小説の構想が浮かんだのでありました-と見て来たようなウソを言う解説者・・・時間がないので続く
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