田中芳樹さんいわく
『モンテ・クリスト伯』では復讐の対象になるのは政財界の大立て者で、いわば巨悪を倒す、という楽しみもあるし、彼らの行動や思考を描きこむことでおのずと当時のフランス社会が浮かび上がってくるんですが。
どうなのかなあ、ユーゴーと違って大デュマは社会にさしたる関心があったわけじゃない、壮大なストーリーを書こうとしただけのような気がするけど(それだって、いやそれこそが読者にとっては重大事なんだが)。
言われてみればラスト、伯爵が「ヴァランティーヌの財産をパリの貧民に与えてくれ」と書いたクダリを読んで「そっか、ひたすら復讐に専念してたみたいだったけど、ちゃんと金持ちらしくそっち方面のことも気にかけてたんだ」と変なところで感心したものだった。
ちょっと前アニメの「岩窟王」(「巌窟王」ね、申し訳ない)を見てて、改めて元ネタの偉大さに納得しつつも「いささかご都合主義なストーリーでもあるよーな」など家人と話したことがあった。
そこで私「そうは言ってもさ、ダンテスがようやく戻ってみたら、フェルナンとメルセデスは村で漁師をやってる、ダングラールはモレル商会のしがない社員、ヴィルフォールは地方検事のままで浮気も再婚もしなかった-なんてことだったら復讐のしがいもない、『やあ、メルセデスよかったなあ、オレはオマエがオールドミスになってるんじゃないかと心配してたんだぜ』ぐらいしか言いようなくなるじゃないか」
涙香訳の「岩窟王」(巌窟王)はこれまたかなり元本を刈り込んでるけど、でもこれはこれで悪くないと思う。エドモンが友太朗、フェルナンが次郎でメルセデスは露子、マキシミリアンが真太郎でヴァランティーヌは華子だなんて、なかなかシャレてるではないか(「幽霊塔」の道九郎がダークムアてのもちょっと驚きだった)。
もっとも一番お気に入りのセリフ「だが自分が許されねばならぬが故に貴方をも許す男、オレはエドモン・ダンテス」(この前に延々とダングラールの罪状を並べるんだよ)がないのはちょっと残念だが。
考えてみたら今のとこ売ってないしネットでも読めないみたいね、実は私テキストファイルを持ってるのだ、これは著作権にひっかからないからアップしてもよいかも。