経営コンサルタントへの道

コンサルタントのためのコンサルタントが、半世紀にわたる経験に基づき、経営やコンサルティングに関し毎日複数のブログを発信

【話材】 昨日01/26のつぶやき 乾燥注意報と文化財

2023-01-27 07:20:55 | ブログ

 

  【話材】 昨日01/26のつぶやき 乾燥注意報と文化財

 

経営コンサルタントとして感じたことを毎日複数のつぶやきをブログでお届けしています。

もし、お見落としがありましたり、昨日のブログで再度読みたいつぶやきがあるというときに便利なページです。

本日も、複数のブログで、つぶやき済です。

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曇りb20

■ 昨日は、下記のリストのようなことをつぶやきました。

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■【きょうの人】 0127 ■ 雨情 童謡・民謡の作詞家 ■ 伊藤圭介 『日本植物誌』を翻訳 ■ 沢庵 宗彭 没

2023-01-27 06:33:00 | 【話材】 きょうの人01月

 

  【きょうの人】 0127 ■ 雨情 童謡・民謡の作詞家 ■ 伊藤圭介 『日本植物誌』を翻訳 ■ 沢庵 宗彭 没

 

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

■ 雨情 童謡・民謡の作詞家


 1月27日は、詩人として、また童謡や民謡作詞家としても知られる野口雨情(1882~1945)の忌日です。

 坪内逍遙にも短期間ですが師事したことがあります。処女民謡詩集は「枯草」ですが、これは自費出版であったと伝えられています。

 「経営コンサルタントは、出版物を名刺代わりに使え」と若手や経験の浅い経営コンサルタントにはアドバイスをしていますが、今日の厳しい出版事情下では出版はままなりません。

例え自費出版で費用を投じても、先行投資として回収できれば良いわけです。日本の経営者は、経営コンサルタントを見る尺度として出版があるので、例え自費出版であっても受注効果を高めることになります。

 自費出版と言っても費用的にはピンからキリまであります。名刺代わりに使うためにはある程度の見栄えも重要ですので、費用だけに固執をしないで、良心的な出版社・印刷屋さんにお願いするのが良いでしょう。

 

■ 沢庵 宗彭 没


 たくあん そうほう、澤庵
 天正元年12月1日(1573年12月24日)- 正保2年12月11日(1646年1月27日)


 安土桃山時代から江戸時代前期にかけての臨済宗の僧で、大徳寺住持、諡は普光国師、号に東海・暮翁などがあります。

 但馬国出石(現兵庫県豊岡市)の生まれで、紫衣事件で出羽国に流罪となり、その後赦されて江戸に萬松山東海寺を開きました。

 8歳のとき但馬山名家は織田信長の侵攻に遭い配下の羽柴秀吉に攻められて滅亡し、父は浪人しました。

 天正10年(1582年)、10歳で出石の唱念寺で出家し春翁の法諱を得ました。

 天正13年(1586年)、同じく出石の宗鏡寺に入り、希先西堂に師事し、秀喜と改名しています。

 天正19年(1591年)、希先が没した後、この間に出石城主となっていた前野長康が、大徳寺から春屋宗園の弟子・薫甫宗忠を宗鏡寺の住職に招いたことで、沢庵は薫甫に師事することになりました。

 文禄3年(1594年)、薫甫が大徳寺住持となり上京したため、沢庵もこれに従い大徳寺に入りました。大徳寺では三玄院の春屋宗園に師事し、宗彭と改名しています。

 慶長4年(1599年)、石田三成が居城佐和山城の城内に亡母の供養のために瑞嶽寺という一寺を建立した際、三玄院の建立以来親交がありました春屋に住職の派遣を依頼しました。

 春屋が薫甫を住職に任命したことで、師である薫甫と共に沢庵も佐和山城に同行し、翌年までそこで過ごしました。

 慶長12年(1607年)、沢庵は、大徳寺首座となり、大徳寺塔中徳禅寺に住むとともに南宗寺にも住持しました。

 元和6年(1620年)、郷里出石に帰り、出石藩主・小出吉英が再興した宗鏡寺に庵を結び、これを投淵軒と名づけて、隠棲の生活に入りました。

 寛永18年(1641年)、長年の努力が実り、紫衣事件の発端となった大徳・妙心両寺の寺法を旧に復すことが家光より正式に申し渡されました。こうして大徳寺派・妙心寺派寺院の法灯は続くことになったのです。

 書画・詩文に通じ、茶の湯(茶道)にも親しみ、また多くの墨跡を残しています。沢庵漬けの考案者と言われていますが、これについては諸説があるようです。

 

■ 伊藤圭介 『日本植物誌』を翻訳


 いとう けいすけ
 享和3年1月27日(1803年2月18日)-明治34年(1901年)1月20日


 幕末から明治期にかけて活躍した理学博士で、男爵の爵位を持っていました。

 享和3年(1803年)、町医者の西山玄道の次男として名古屋呉服町に生まれ、文政3年(1820年)には、若くして町医の資格を得て開業しました。

 文政4年(1821年)、京都に遊学し、蘭学を学び、文政10年(1827年)には、長崎にて、シーボルトより本草学を学びました。翌年、長崎から名古屋に帰る際にシーボルトよりツンベルクの『日本植物誌』を受け取り、これの翻訳をし、文政12年(1829年)に、『泰西本草名疏』を刊行しました。

 明治3年(1870年)、東京に移り、明治政府に仕えました。同14年(1881年)、東京大学教授に任ぜられ、同21年(1888年)、日本初の理学博士の学位を受けました。

 また初代の東京学士会院会員となったり、学者として初の男爵を授けられたりしています。

 

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【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。


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【カシャリ!ひとり旅】 山形県山形市「もみじ公園」 紅葉の名所・池泉回遊式庭園

2023-01-26 10:33:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 宮城・山形・福島

 


  【カシャリ!ひとり旅】 山形県山形市「もみじ公園」 紅葉の名所・池泉回遊式庭園


 



 


 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。


 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 山形県山形市「もみじ公園」 紅葉の名所・池泉回遊式庭園


 


 「もみじ公園」は、山形市中心部の紅葉の名所で、江戸時代初期に山形城主・松平忠弘自身の手により作庭された池泉回遊式庭園です。
 真言宗の巨刹「宝幢寺(ほうどうじ)」の庭園だったものを、山形市が、昭和26年から31年にかけて宝幢寺跡を買収し、都市公園として整備し開放しています。

 江戸時代寛文(1665年前後)、時の城主松平下総守忠弘が、江戸の庭師と共に山形城の本丸庭園の余石と吉野のもみじを用いて、自らも作庭に手を染めた庭です。

 心字池を巡る池泉回遊式の庭園で、四季折々の風情を楽しめます。殊に、色濃く染まる秋の紅葉は、訪れる人を魅了します。

 宝幢寺は、奈良時代に行基によって開かれた古刹で、最上家の祖である斯波兼頼によって南北朝時代(室町時代)に山形城下に移されました。明治初期に廃寺となり、寺郭がとり払われました。

 現在残されている遠州流の庭園は、江戸時代初期に当時の山形城主・松平直矩(10万石)が、姫の病気平癒祈願のお礼として作庭寄進されたと言い伝えられてきました。しかし、松平直矩の前後に山形藩主を務めていた松平忠弘が城内の本丸庭園を造り直した際に余った石とモミジの木を使って、松平忠弘自身によって改修された庭園であるということがわかりました。ちなみに、松平忠弘は山形城主の他に播磨姫路藩、宇都宮藩、白河藩の藩主も歴任した大名です。

 池泉庭園に面して建つ“清風荘”も、元は宝幢寺の書院だった建物です。江戸時代中期から後期の建築として国登録有形文化財となっています。この建物は、山形市が買収した当時から園内にあったのです。それを「清風荘」と名づけ中央公民館分館として、市民に開放し利用されています。

 すなわち、この池泉回遊式庭園は「宝幢寺書院庭園」であり、“清風荘庭園”ともいえます。

 昭和54年10月に茶室「宝紅庵」は、茶室研究家・建築家の中村昌生さんらの尽力により改修・併設されました。今日では、茶会をはじめとした市民イベントで利用されています。

 宝幢寺の本堂は、「薬師公園」に薬師堂として移築されています。(出典:おにわさんサイトをもとに作成)


 


■ アクセス



 JR山形新幹線 山形駅より徒歩20分強
 山形駅より路線バス「南高前・山大入口」バス停下車 徒歩8分
 山形駅発~県庁行き・東原3丁目バス停より徒歩約3分
  ※ほかにも近いバス停がありますが(最寄は周遊バスの「五小前」)、本数の多いバス停がこちら 
 〒990-0034 山形県山形市東原町2丁目16-7 山形市公園緑地課 023-641-1212
 清風荘  023-622-3690
 定休     清風荘の休館日/月曜日、年末年始
 その他    園内には中央公民館分館「清風荘」、「宝紅庵」(茶室)が併設されている。
 駐車場 あり


 ※春〜10月まで観光案内所にレンタサイクルあり JR山形駅より2キロ程度


 


 



 



白壁で囲まれていて、いかにも寺院の風情


真言宗の巨刹「宝幢寺(ほうどうじ)」の庭園でした。


山形市が、昭和26年から31年にかけて宝幢寺跡を買収し、


都市公園として整備し、開放しています。


 



入り口を入るとすぐ、


石灯籠と真っ赤に燃えた紅葉が迎えてくれました。


山形市中心部の紅葉の名所です。


 



江戸時代初期に山形城主・松平忠弘自身の手により作庭された


心字池を巡る池泉回遊式庭園です。


 



江戸時代寛文(1665年前後)、


時の城主松平下総守忠弘が、江戸の庭師と共に


山形城の本丸庭園の余石と吉野のもみじを用いて、


自らも作庭に手を染めた庭です。


 



もみじ公園のもとは、宝幢寺(ほうどうじ)の庭園で、


法憧寺は、奈良時代に行基によって開かれた古刹です。


最上家の祖である斯波兼頼によって


南北朝時代(室町時代)に山形城下に移されました。


 



 



紅葉のトンネル


 



あづまやで一休憩




清風荘


池泉庭園に面して建つ“清風荘”も、


元は宝幢寺の書院だった建物です。


江戸時代中期から後期の建築として


国登録有形文化財となっています。


 



 





ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【話材】 昨日01/25のつぶやき 江戸っ子は銀シャリならぬ”銅”シャリを食べていた

2023-01-26 07:12:04 | ブログ

 

  【話材】 昨日01/25のつぶやき 江戸っ子は銀シャリならぬ”銅”シャリを食べていた

 

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■【きょうの人】 0126 ■ 盛田 昭夫  ソニー創業者の一人 ■ 良源 比叡山での功績大 ■ 藤沢周平 情感溢れる描写の小説家

2023-01-26 06:33:00 | 【話材】 きょうの人01月

 

  【きょうの人】 0126 ■ 盛田 昭夫  ソニー創業者の一人 ■ 良源 比叡山での功績大 ■ 藤沢周平 情感溢れる描写の小説家

 

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■ 盛田 昭夫  ソニー創業者の一人


 もりた あきお
 1921年1月26日 - 1999年10月3日


 日本の技術者、実業家で、井深大と共に、電気機器メーカーソニー創業者の一人であることは、周知の通りです。

 意外と忘れられているのが、1992年(平成4年)に、名誉大英帝国勲章を受勲していることです。

 愛知県名古屋市白壁(盛田家の出自は常滑)にm盛田久左衛門・収子の長男として生まれました。生家は、代々続いた造り酒屋で、父・久左衛門は盛田家第14代当主です。母・収子は、元大垣共立銀行頭取戸田鋭之助の娘です。

 お母さんは、姪に、元仙台市長・早川智寛、いとこに会社再建の神様といわれた早川種三がいるといいますので、盛田は、その血筋も強く引いていたのかもしれません。

 第八高等学校(現・名古屋大学)と、大阪帝国大学理学部物理学科を卒業しています。

 太平洋戦争中、海軍技術中尉時代に、ケ号爆弾開発研究会で井深大と知り合います。

 終戦後、1946年(昭和21年)に、井深大らとソニーの前身である東京通信工業株式会社を設立し、盛田は常務取締役に就任しました。

 製品開発に独創性とスピードを求め、他社に先駆けた革新的製品を作り出すことで、ソニーブランドの人気を高め、企業イメージを確立したのです。

 

■ 良源 比叡山での功績大


 りょうげん
 延喜12年9月3日(912年10月15日) - 永観3年1月3日(985年1月26日)

 平安時代の天台宗の僧で、近江に生まれ、諡号は「慈恵(じえ)」、一般には通称の「元三大師(がんざんだいし)」の名で知られています。


 12歳で、比叡山の登り、理仙、相応に師事しまし、康保3年に、第18代天台座主(天台宗の最高の位)であり、比叡山延暦寺の中興の祖として知られています。

 比叡山の横川(よかわ)には、元三大師堂がありますが、東西両塔と鼎立させる盛況を呈しています。

  比叡山の写真
  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/kyoto/kyoto_hieizan.htm

 また、中世以降は民間において「厄除け大師」など独特の信仰を集めています。


 良源というより元三大師と呼ばれるほど、比叡山での功績が認められているいます。

 良源と対比できることではありませんが、私事で恐縮ですが、「コンサルタントのためのコンサルタント」と呼ばれます。何ごとも、石の上に三年で、見る人は、それなりに評価をしてくれるものですね。

 

■ 藤沢周平 情感溢れる描写の小説家


 ふじさわ しゅうへい
 1927年(昭和2年)12月26日-1997年(平成9年)1月26日)


 山形県鶴岡市出身の小説家で、本名、小菅留治(こすげ とめじ)といいます。

 江戸時代を舞台に、庶民や下級武士の哀歓を描いた時代小説作品を多く残しています。とくに、架空の藩「海坂藩(うなさかはん)」を舞台にした作品群が有名です。

 長女遠藤展子は、エッセイストで、2010年4月29日、出身地の鶴岡市に「鶴岡市立藤沢周平記念館」を開館しました。

  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/yamagata/yamagata-tsuruoka/yamagata-tsuruoka.htm

 実家は農家で、藤沢自身も幼少期から家の手伝いを通して農作業に関わり、この経験から後年農村を舞台にした小説や農業をめぐる随筆を多く発表することになります。郷里庄内と並んで農は、作家藤沢周平を考えるうえで欠くことのできない要素です。

 1946年に中学校を卒業後、山形師範学校(現在の山形大学)に進みます。一級上には無着成恭がいました。

 入学後はもっぱら文芸に親しみ、校内の同人雑誌『砕氷船』に参加しました。この時期の思いでは自伝『半生の記』に詳しく記されており、また小説作品にしばしば登場する剣術道場同門の友情などにも形を変えて描かれています。

 初期には自ら述べるように暗く重い作風であり、地味な作家でしたが、1976年刊行の『竹光始末』、同年連載の『用心棒日月抄』のあたりから作風が変わりました。綿密な描写と美しい抒情性のうえにユーモアの彩りが濃厚となってきたのです。

 藤沢は、これについて 「『用心棒日月抄』あたりからユーモアの要素が入り込んでき、北国風のユーモアが目覚めたといえます。

 1980年代前半、町人もので数多くの秀品をものする短篇集を書く一方で、大衆小説の本道ともいうべき娯楽色の強いシリーズもの(短篇連作)を次々と生みだします。

 1984年以降になりますと、こうしたシリーズもののほかに綿密な構成による長篇が登場し、物語性のつよい傑作を相次いで発表・刊行します。

 テレビドラマ化された「せみしぐれ」に見られるようなおふくと清四郎などを通して情感溢れる描写が私の心に響きます。
 

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【話材】 昨日01/24のつぶやき 年間報酬3千万円越が10年続くコンサルタント

2023-01-25 07:48:23 | ブログ

 

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■【きょうの人】 0125 ■ 松平 定信  江戸幕府8代将軍・徳川吉宗の孫、寛政の改革 ■ 法然上人忌 「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば・・・ ■ 徳富 蘇峰 明治から昭和のジャーナリスト 蘆花の兄

2023-01-25 06:33:00 | 【話材】 きょうの人01月

 

  【きょうの人】 0125 ■ 松平 定信  江戸幕府8代将軍・徳川吉宗の孫、寛政の改革 ■ 法然上人忌 「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば・・・ ■ 徳富 蘇峰 明治から昭和のジャーナリスト 蘆花の兄

 

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■ 法然上人忌 「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば・・・


 ほうねん
 長承2年4月7日(1133年)-建暦2年1月25日(1212年2月29日)


 法然は房号です。諱は源空(げんくう)、幼名は勢至丸、通称は「黒谷上人」・「吉水上人」、諡号は「慧光菩薩」・「華頂尊者」・「通明国師」・「天下上人無極道心者」・「光照大士」

 平安時代末期から鎌倉時代初期の日本の僧で、4月7日に現代の岡山県美作で生まれました。80歳で1月25日に歿しました。

 はじめ山門(比叡山)で天台宗の教学を学び、43歳の折、善導の観経疏によって開眼して浄土宗を開きました。

『選択本願念仏集』(『選択集』)を著述したりして、念仏を体系化しました。日本における称名念仏の元祖といえます。

 承安5年(1175年)、専ら阿弥陀仏の誓いを信じ「南無阿弥陀仏」と念仏を唱えれば、死後は平等に往生できるという専修念仏の教えを説きました。

 浄土宗では、善導を高祖とし、法然を元祖と崇めている。

 浄土真宗では、法然を七高僧の第七祖とし、法然上人・源空上人と称し、元祖と位置付けています。親鸞は、『正信念仏偈』や『高僧和讃』などにおいて、法然を「本師源空」や「源空聖人」と称し、師事できたことを生涯の喜びとしていると言っています。

 

■ 松平 定信  江戸幕府8代将軍・徳川吉宗の孫、寛政の改革


 まつだいら さだのぶ
 宝暦8年12月27日(1759年1月25日)-文政12年5月13日(1829年6月14日)


 江戸時代中期の大名、陸奥国白河藩3代藩主で、老中を務めました。江戸幕府8代将軍・徳川吉宗の孫に当たります。

 1787年から1793年まで寛政の改革を行いました。定信は、田沼の政策の経済政策をことごとく覆したとしばし言われます。

 天明の大飢饉における藩政の建て直しの手腕を認められた定信は、天明6年(1786年)に家治が死去して家斉の代となりました。田沼意次が失脚した後の、天明7年(1787年)、徳川御三家の推挙を受けて、少年期の第11代将軍・徳川家斉のもとで老中首座・将軍輔佐となります。

 田沼意次の政治により、武士の世界は金とコネによる出世が跳梁しており、農村では貧富の差が激しくなり没落する貧農が続出していました。

 天明の打ちこわしを期に、幕閣から旧田沼系を一掃粛清し、祖父・吉宗の享保の改革を手本に寛政の改革を行い、幕政再建を目指しました。

 幕府財政の再建の為に、大胆な財政緊縮政策を行いました。田沼時代の運上金、冥加金の上納を引き換えとして特権を与えるなどといった商業資本重視の政策は、下層への搾取を生み、富商・富農の誕生を促進させたと判断した対応でした。

 一方で、農村で大量離村が発生したりして苦慮しました。対策として倹約や風紀粛清に尽力しました。福祉政策として、飢餓に備えて各藩で「社倉」「義倉」に穀物を備蓄するよう命じたりもしています。

 教育政策では、朱子学による学問吟味=官吏登用試験を行うことによって、幕府に忠実な封建官僚群を育成しようとしました。

 ヨーロッパの情勢が変化する中、定信は消極的開国政策を示し、ロシアなどの対外政策を実施しました。

 松平定信の改革は、一定の成果をあげましたが、その厳粛な厳しい政治に対する反発から失脚しました。

 

■ 徳富 蘇峰 明治から昭和のジャーナリスト 蘆花の兄

 とくとみ そほう
 1863年3月14日(文久3年1月25日)-1957年(昭和32年)11月2日)

 明治から昭和戦後期にかけての日本のジャーナリスト、思想家、歴史家、評論家。『國民新聞(現東京新聞)』を主宰し、大著『近世日本国民史』を著したことで知られる。

 平民の目線で政治に切り込むジャーナリズムは画期的と言えます。一方で、山縣有朋、桂太郎ら、当時の政治家とも密接な関係にあったといわれています。

 根津美術館の根津嘉一郎も、國民新聞の経営に参画していました。

 京王線沿線にある『蘆花恒春園』は、実弟である小説家・徳冨蘆花の旧居です。

山王草堂記念館
https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/adb4e888e2e1d9e1e369cf8372c0e7a4

山王草堂庭園
https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/4d832d9fa8e8d532216951ce6b812db7

 

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 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

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◆ 【経営コンサルタントのひとり言】

 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a0db9e97e26ce845dec545bcc5fabd4e

【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。


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【経営コンサルタントのお勧め図書】 2023これからの日本の論点 日経大予測 2301

2023-01-24 12:03:00 | 経営コンサルタントの本棚

本  【経営コンサルタントのお勧め図書】 2023これからの日本の論点 日経大予測 2301

 

 

経営コンサルタントがどのような本を、どのように読んでいるのかを教えてください」「経営コンサルタントのお勧めの本は?」という声をしばしばお聞きします。

 日本経営士協会の経営士・コンサルタントの先生方が読んでいる書籍を、毎月第4火曜日にご紹介します。

 

 【経営コンサルタントの本棚】は、2012年に、経営コンサルタントがどのような書籍を読んでいるのか知りたいという、ブログ読者の声を反映して企画いたしました。

 幸い、日本で最初に創設された経営コンサルタント団体である日本経営士協会には優秀な経営士・コンサルタントがいらっしゃるので、その中のお一人である酒井闊先生にお声をかけましたところ、ご協力いただけることになりました。

 それが、今日まで継続されていますので、10年余もの長きにわたって、皆様にお届けできていることに誇りを持っています。

本

■    今日のおすすめ

 

  『日経大予測「2023これからの日本の論点」』
                                  (編著:日本経済新聞社 発行:日本経済新聞出版)

 

 

本

■  2023年の初めにP・E・S・Tの論点を整理しておこう(はじめに)

 紹介本「2023これからの日本の論点」は、「世界はこれからどうなる」「日本はこれからどうなる」「企業はこれからどうなる」「アジア、欧州はこれからどうなる」の4分野22論点を展開します。
 2023年は、ウクライナ侵略とロシアの行方、ドイツをはじめとした欧州のロシアへのエネルギー依存への破綻とそれによる世界的インフレ・スタグフレーションの行方、脱ロシアの中でのGX(脱炭素)の行方、民主主義陣営と中露をはじめとする強権国家との分断による「新・冷戦」の行方など、2019~2022年のコロナの混乱を超える多くの問題を抱える、まさに先が見えないVUCAの時代と言えます。その中で注目した視点を次項で見てみたいと思います。

 

【 発行者付注 】 PEST分析
  https://ja.wikipedia.org/wiki/PEST%E5%88%86%E6%9E%90

本
■    2023年の注目情報はこれ

 

【貿易・投資の枠組みをめぐる米中対立】
 現時点での、世界の貿易・投資の枠組みとしてEU、TPP、RCEP、IPEFがあります。ここ1年余りの、貿易・投資の枠組みの動きを見てみましょう。
 2018年3月にTPP11として発効したTPPは、参加国の世界GDPに占める比率は13%、参加国の人口は5億人です。TPPについては中国の加盟申請があり、参加基準のクリアーが障壁となり難しいとされますが、注目されています。
 2022年1月1日に発効したRCEPは、中国を中心とする経済圏の国々15ヶ国で構成され、参加国の世界GDPに占める比率は30%、参加国の人口は23億人です。
 1993年11月1日に発効したEUは、2021年1月1日の英国離脱の移行期間が終了した時点で、27ヶ国になりました。参加国の世界GDPに占める比率は17%、参加国の人口は5億人です。
 2022年5月23日の日米首脳会談を機に立上ったIPEFはアメリカ主導の貿易・投資の枠組み作りを目指しますが、2022年9月9日の参加国閣僚会議で、今後の方向性が合意されたものの、具体的な枠組みには至っていません。参加国の世界GDPに占める比率は40%、参加国の人口は25億人です。
 この様に、世界の貿易・投資の枠組みにおいてアメリカを中心とする米・日・欧陣営と中国との対立が強まる中、日本政府の貿易・投資担当の官僚が目指す野心的な案「TPP+EU+アメリカの統合EPA」に期待したいですね。TPPとEUがまとまれば、巨大な貿易圏(世界GDPの30%)が誕生し、アメリカは自国が不利な立場に置かれることから、アメリカが加わる可能性が出て来ます。因みに、「TPP+EU+アメリカの統合EPA」の参加国の世界GDPに占める比率は54%、参加国の人口は14億人です。中国を主体とするRCEPのGDP比30%を大きく上回ることになります。

 

【経済安全保障でグローバリゼーションは終わる】
 グローバリゼーションの歴史を、第二次大戦後の主な歴史的事実から見てみましょう。1948年GATT(関税と貿易に関する一般協定)体制がスタート、1955年9月に日本GATTに加盟(1559年以降は理事国)、1973年G7がスタート、1985年プラザ合意、1991年ソ連崩壊による冷戦の終結、1993年EUが発足、1995年1月WTO(世界貿易機関:World Trade Organization)が発足(GATTを吸収、協定から国際機関への転換に伴い、ルールの範囲も、モノの関税率だけでなく、投資や知的財産、サービス、防衛など幅広い分野を対象となる)、2001年中国がWTOに加盟、などを挙げることが出来ます。
 グローバル化の推移を、世界の貿易量の世界のGDPに占める比率の推移を見てみましょう。()は歴史的事項。
 1960年代11%程度、2000年23%、(2001年中国WTO加盟)、2008年30%、(2010年中国が日本を抜きGDP世界2位へ)、(2018年トランプ政権による米中貿易摩擦がスタート)、2021年25%です。
 この数値から読み取れることは、2001年の中国のWTO加盟を機に、貿易量が拡大し、更には、中国の世界の工場としての地位が拡大し、世界のグローバル化が進みました。2010年には中国は日本を追い越しGDP世界2位へと躍進します。しかし、2018年に始まった米中貿易摩擦などにより、貿易量のGDP比率の低下が始まり、グローバル化にブレーキが掛り始めている事が読み取れます。
 2022年には、ロシアのウクライナ侵略に加え中国の人権問題や軍事的拡大リスク等から、経済安全保障の意識が高まり、民主主義国家vs独裁国家の分断が急速に拡大しています。自由貿易を推進するWTO協定にある唯一の例外既定、「安全保障上の懸念がある場合」、を適用した制裁が拡大しています。2022年12月12日、中国は、アメリカが「安全保障」条項を悪用し半導体の輸出規制をしているとして、WTOに提訴しました。解決は難しいでしょう。
 ロシア、中国の強権的・拡張的リスクは収まりそうもありません。それに対抗する米・欧・日の対露・対中制裁は深まる一方です。まさにポスト・グローバリゼーションの時代に突入しています。

【文化は戦略にまさる VUCA時代の企業経営】
 紹介本は「VUCAワールドにさらされる日本」を見出しとする解説で、現在、世界が「VUCAワールド」にある裏付けとして「“GEPU”Index(“世界経済政策不確実性”指数)」 〔図表:注釈付きグローバル EPU インデックス〕を引用し、2022年にはウクライナ侵攻などの要因で、1997年~2015年までは100程度の不確実指数が、300にまで上昇していることを指摘します。その中で日本も、経済面では米中対立やウクライナ侵攻に伴うインフレリスクや円安の影響を受け、また社会面では阿倍元首相の銃撃事件が発生するなど、VUCA的な展開が拡大していると指摘します。
 この様な環境下における企業経営の在り方について、マイクロソフト社の2014年に就任したナデラGEOによる、「フィクスド(型にはまった)マインドセット」から「グロース(成長志向の伸び伸びとした)マインドセット」への転換に伴い、クラウドビジネス等への快進撃をもたらしたこと(GAFAMの株価時価総額で4位からアップルに次ぐ2位へ)や、ソニーの「弱いつながり」による新たなビジネスの創出に成功している例を挙げています。
 VUCA時代をしたたかに生きるための、「企業文化の変革を通じた、社員自ら主体的に働く生き生きとした組織風土を築き上げ、組織力を高め、『時代を先導できる力』の創出」により、一つ一つの事象に臨機応変に対応していく組織能力が必要と指摘します。

■    2023年の企業経営のキーワードは“アジャイル”(むすび)

 2023年は2022年にも増して「不確実性の時代」になります。早急に、「現状把握・分析⇒仮説立案・検証⇒意思決定・アクションプランの策定」をし、アクションをアジャイルに実行する時ではないでしょうか。

本

【酒井 闊プロフィール】

 10年以上に亘り企業経営者(メガバンク関係会社社長、一部上場企業CFO)としての経験を積む。その後経営コンサルタントとして独立。
 企業経営者として培った叡智と豊富な人脈ならびに日本経営士協会の豊かな人脈を資産として、『私だけが出来るコンサルティング』をモットーに、企業経営の革新・強化を得意分野として活躍中。

  http://www.jmca.or.jp/meibo/pd/2091.htm

  http://sakai-gm.jp/

 

【 注 】  著者からの原稿をそのまま掲載しています。読者の皆様のご判断で、自己責任で行動してください。

 

■■ 経営コンサルタントへの道 ←クリック

 経営コンサルタントを目指す人の多くが見るというサイトです。経営コンサルタント歴半世紀の経験から、経営コンサルタントのプロにも役に立つ情報を提供しています。


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【経営コンサルタントのお勧め図書】 2023これからの日本の論点 日経大予測 2301 改訂版

2023-01-24 12:03:00 | 経営コンサルタントの本棚

本  【経営コンサルタントのお勧め図書】 2023これからの日本の論点 日経大予測 2301 改訂版



 



経営コンサルタントがどのような本を、どのように読んでいるのかを教えてください」「経営コンサルタントのお勧めの本は?」という声をしばしばお聞きします。


 日本経営士協会の経営士・コンサルタントの先生方が読んでいる書籍を、毎月第4火曜日にご紹介します。


 


 【経営コンサルタントの本棚】は、2012年に、経営コンサルタントがどのような書籍を読んでいるのか知りたいという、ブログ読者の声を反映して企画いたしました。


 幸い、日本で最初に創設された経営コンサルタント団体である日本経営士協会には優秀な経営士・コンサルタントがいらっしゃるので、その中のお一人である酒井闊先生にお声をかけましたところ、ご協力いただけることになりました。


 それが、今日まで継続されていますので、10年余もの長きにわたって、皆様にお届けできていることに誇りを持っています。


 


  【 注 】


    初版で、安倍元首相の文字が変換ミスをしておりました。


    読者および安倍元首相の関係者の皆様に失礼を致しました。


    ここに改訂版をお届けします。


 


本


■    今日のおすすめ


 


  『日経大予測「2023これからの日本の論点」』
                                  (編著:日本経済新聞社 発行:日本経済新聞出版)


 




本


■  2023年の初めにP・E・S・Tの論点を整理しておこう(はじめに)



 紹介本「2023これからの日本の論点」は、「世界はこれからどうなる」「日本はこれからどうなる」「企業はこれからどうなる」「アジア、欧州はこれからどうなる」の4分野22論点を展開します。
 2023年は、ウクライナ侵略とロシアの行方、ドイツをはじめとした欧州のロシアへのエネルギー依存への破綻とそれによる世界的インフレ・スタグフレーションの行方、脱ロシアの中でのGX(脱炭素)の行方、民主主義陣営と中露をはじめとする強権国家との分断による「新・冷戦」の行方など、2019~2022年のコロナの混乱を超える多くの問題を抱える、まさに先が見えないVUCAの時代と言えます。その中で注目した視点を次項で見てみたいと思います。


 


【 発行者付注 】 PEST分析
  https://ja.wikipedia.org/wiki/PEST%E5%88%86%E6%9E%90

本
■    2023年の注目情報はこれ


 


【貿易・投資の枠組みをめぐる米中対立】
 現時点での、世界の貿易・投資の枠組みとしてEU、TPP、RCEP、IPEFがあります。ここ1年余りの、貿易・投資の枠組みの動きを見てみましょう。
 2018年3月にTPP11として発効したTPPは、参加国の世界GDPに占める比率は13%、参加国の人口は5億人です。TPPについては中国の加盟申請があり、参加基準のクリアーが障壁となり難しいとされますが、注目されています。
 2022年1月1日に発効したRCEPは、中国を中心とする経済圏の国々15ヶ国で構成され、参加国の世界GDPに占める比率は30%、参加国の人口は23億人です。
 1993年11月1日に発効したEUは、2021年1月1日の英国離脱の移行期間が終了した時点で、27ヶ国になりました。参加国の世界GDPに占める比率は17%、参加国の人口は5億人です。
 2022年5月23日の日米首脳会談を機に立上ったIPEFはアメリカ主導の貿易・投資の枠組み作りを目指しますが、2022年9月9日の参加国閣僚会議で、今後の方向性が合意されたものの、具体的な枠組みには至っていません。参加国の世界GDPに占める比率は40%、参加国の人口は25億人です。
 この様に、世界の貿易・投資の枠組みにおいてアメリカを中心とする米・日・欧陣営と中国との対立が強まる中、日本政府の貿易・投資担当の官僚が目指す野心的な案「TPP+EU+アメリカの統合EPA」に期待したいですね。TPPとEUがまとまれば、巨大な貿易圏(世界GDPの30%)が誕生し、アメリカは自国が不利な立場に置かれることから、アメリカが加わる可能性が出て来ます。因みに、「TPP+EU+アメリカの統合EPA」の参加国の世界GDPに占める比率は54%、参加国の人口は14億人です。中国を主体とするRCEPのGDP比30%を大きく上回ることになります。



【経済安全保障でグローバリゼーションは終わる】
 グローバリゼーションの歴史を、第二次大戦後の主な歴史的事実から見てみましょう。1948年GATT(関税と貿易に関する一般協定)体制がスタート、1955年9月に日本GATTに加盟(1559年以降は理事国)、1973年G7がスタート、1985年プラザ合意、1991年ソ連崩壊による冷戦の終結、1993年EUが発足、1995年1月WTO(世界貿易機関:World Trade Organization)が発足(GATTを吸収、協定から国際機関への転換に伴い、ルールの範囲も、モノの関税率だけでなく、投資や知的財産、サービス、防衛など幅広い分野を対象となる)、2001年中国がWTOに加盟、などを挙げることが出来ます。
 グローバル化の推移を、世界の貿易量の世界のGDPに占める比率の推移を見てみましょう。()は歴史的事項。
 1960年代11%程度、2000年23%、(2001年中国WTO加盟)、2008年30%、(2010年中国が日本を抜きGDP世界2位へ)、(2018年トランプ政権による米中貿易摩擦がスタート)、2021年25%です。
 この数値から読み取れることは、2001年の中国のWTO加盟を機に、貿易量が拡大し、更には、中国の世界の工場としての地位が拡大し、世界のグローバル化が進みました。2010年には中国は日本を追い越しGDP世界2位へと躍進します。しかし、2018年に始まった米中貿易摩擦などにより、貿易量のGDP比率の低下が始まり、グローバル化にブレーキが掛り始めている事が読み取れます。
 2022年には、ロシアのウクライナ侵略に加え中国の人権問題や軍事的拡大リスク等から、経済安全保障の意識が高まり、民主主義国家vs独裁国家の分断が急速に拡大しています。自由貿易を推進するWTO協定にある唯一の例外既定、「安全保障上の懸念がある場合」、を適用した制裁が拡大しています。2022年12月12日、中国は、アメリカが「安全保障」条項を悪用し半導体の輸出規制をしているとして、WTOに提訴しました。解決は難しいでしょう。
 ロシア、中国の強権的・拡張的リスクは収まりそうもありません。それに対抗する米・欧・日の対露・対中制裁は深まる一方です。まさにポスト・グローバリゼーションの時代に突入しています。



【文化は戦略にまさる VUCA時代の企業経営】
 紹介本は「VUCAワールドにさらされる日本」を見出しとする解説で、現在、世界が「VUCAワールド」にある裏付けとして「“GEPU”Index(“世界経済政策不確実性”指数)」 〔図表:注釈付きグローバル EPU インデックス〕を引用し、2022年にはウクライナ侵攻などの要因で、1997年~2015年までは100程度の不確実指数が、300にまで上昇していることを指摘します。その中で日本も、経済面では米中対立やウクライナ侵攻に伴うインフレリスクや円安の影響を受け、また社会面では安倍元首相の銃撃事件が発生するなど、VUCA的な展開が拡大していると指摘します。
 この様な環境下における企業経営の在り方について、マイクロソフト社の2014年に就任したナデラGEOによる、「フィクスド(型にはまった)マインドセット」から「グロース(成長志向の伸び伸びとした)マインドセット」への転換に伴い、クラウドビジネス等への快進撃をもたらしたこと(GAFAMの株価時価総額で4位からアップルに次ぐ2位へ)や、ソニーの「弱いつながり」による新たなビジネスの創出に成功している例を挙げています。
 VUCA時代をしたたかに生きるための、「企業文化の変革を通じた、社員自ら主体的に働く生き生きとした組織風土を築き上げ、組織力を高め、『時代を先導できる力』の創出」により、一つ一つの事象に臨機応変に対応していく組織能力が必要と指摘します。

■    2023年の企業経営のキーワードは“アジャイル”(むすび)


 2023年は2022年にも増して「不確実性の時代」になります。早急に、「現状把握・分析⇒仮説立案・検証⇒意思決定・アクションプランの策定」をし、アクションをアジャイルに実行する時ではないでしょうか。


 


本


【酒井 闊プロフィール】


 10年以上に亘り企業経営者(メガバンク関係会社社長、一部上場企業CFO)としての経験を積む。その後経営コンサルタントとして独立。
 企業経営者として培った叡智と豊富な人脈ならびに日本経営士協会の豊かな人脈を資産として、『私だけが出来るコンサルティング』をモットーに、企業経営の革新・強化を得意分野として活躍中。


  http://www.jmca.or.jp/meibo/pd/2091.htm


  http://sakai-gm.jp/


 


【 注 】  著者からの原稿をそのまま掲載しています。読者の皆様のご判断で、自己責任で行動してください。


 


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 経営コンサルタントを目指す人の多くが見るというサイトです。経営コンサルタント歴45年余の経験から、経営コンサルタントのプロにも役に立つ情報を提供しています。


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【話材】 昨日01/23のつぶやき  御苦楽園“修養の庭”2 銘石・格言・借景を楽しめる池泉回遊式庭園 宝来山

2023-01-24 07:29:21 | ブログ

 

  【話材】 昨日01/23のつぶやき  御苦楽園“修養の庭”2 銘石・格言・借景を楽しめる池泉回遊式庭園 宝来山

 

 経営コンサルタントとして感じたことを毎日複数のつぶやきをブログでお届けしています。

 もし、お見落としがありましたり、昨日のブログで再度読みたいつぶやきがあるというときに便利なページです。

 本日も、複数のブログで、つぶやき済です。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/5c0652c4ce03f826bf11ea29d25d2907

  ■【今日は何の日】 1月24日 巣鴨とげぬき地蔵尊例大祭 初愛宕(はつあたご)

曇りb30

■ 昨日は、下記のリストのようなことをつぶやきました。

konsarutanto   ◇ 昨日のつぶやき ◇ 

>> もっと見る

 【カシャリ! ひとり旅】を映像にして紹介しています。

   ユーチューブで見

 

 バックナンバー

 

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■【きょうの人】 0124 前島 密 郵便制度の父、一円切手

2023-01-24 06:33:00 | 【話材】 きょうの人01月

 

  【きょうの人】 0124 前島 密 郵便制度の父、一円切手

 

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

■ 前島 密 郵便制度の父、一円切手


 まえじま ひそか
 天保6年1月7日(1835年2月4日)-大正8年(1919年)4月27日


 1円切手の肖像で知られる、日本の官僚、政治家です。日本の近代郵便制度の創設者の一人であり、その功績から「郵便制度の父」と呼ばれています。

「郵便」とか「切手」、「葉書」という名称も彼が中心となって命名したと言われています。


【日本郵政サイト】

越後国(現在の新潟県)に生まれ。享年84歳。「縁の下の力持ちになることを厭うな。人のためによかれと願う心を常に持てよ」という信条どおり、近代化が進む日本でまさしく陰ながらより便利でより快適な暮らしの方法を提案し続けた。肖像画は、明治末ころのもの。向かって右えりに勲二等瑞宝章のバッジ、左えりには当時の貴族院議員記章が描かれています。

 

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。

 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b980872ee9528cb93272bed4dbeb5281

◆ 【経営コンサルタントのひとり言】

 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a0db9e97e26ce845dec545bcc5fabd4e

【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 山形県天童市 御苦楽園“修養の庭”2 銘石・格言・借景を楽しめる池泉回遊式庭園 宝来山

2023-01-24 00:33:00 | 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 山形県天童市 御苦楽園“修養の庭”2 銘石・格言・借景を楽しめる池泉回遊式庭園 宝来山

 

 

 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。

 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

 

■■ 山形県天童市 御苦楽園“修養の庭”2 銘石・格言・借景を楽しめる池泉回遊式庭園 宝来山
 

 「御苦楽園」(ごくらくえん)は、昭和初期に当地の実業家・水戸部弥作によって造られ、昭和40(1965)年に開園した池泉回遊式庭園です。天童市街地の外れにある、個人の作庭・運営による庭園ですので、正直なところ、行く前はあまり期待をしていませんでし。良い意味で、期待を裏切られました。

 庭園の設計は、地元の庭師・山口助松(養樹園)と、松下幸之助の『真々庵』を手掛けた京都の庭師・川崎幸次郎です。

 当園設立者、現園主の曾祖父で、山形県東村山郡干布村の農弥十郎の次男として生まれました。16歳の時、父親が多額の財産を分与しようとしましたが、深く考えるところがあって固辞し、当時金百円の資金のみを受けて分家しまし、水車、米穀販売業を営みました。

 生来、剛毅かつ独立心が強く、幾多の労苦を重ねて大いに発展しましたが、その後、長兄に死なれ、実家に戻り家督を相続しました。実家に戻って3年後、酒造業(山形正宗)に着手し、短期間に、地方の醸造家として世に知られる程でした。

 しかし自生活にはきわめてきびしく、その反面、学校教育および各種団体の育成にはきわめて熱心で、それらに対しての尽力は人の目を驚かすものがありました。

 50才の春、決するところがあって、長男に酒造業を、次男に醤油醸造業を担当させ、自らは敷地弐千数百坪の土地を買い上げて隠居しました。昭和初期の不況下に、失業対策をかねて、当園を庭することにし、多数の人夫を雇うなど、失業対策に尽力しました。

 子孫には財産よりも精神を相続させる方が有意義と信じ、自分が過ごした青年時代から経験してきた修養の資とした処世訓や、古今の金言の数々を柱石に刻み、庭園に立て、その一部が多数、今日までも残されています。近所の子供達を集め、その柱石を読ませ、褒美を与えたと言います。

 人生の苦しみと楽しみを盛った庭園という意味で「御苦楽園」と名づけました。

 園内には、県内外から銘石、銘木を集め、山、沢、池、滝を配しました。石灯籠の多さも特徴的で、「一家にお金は残さない」としましたものの、「いざという時、いつの時代にも価値あるもの」といった意味が石燈籠にあるという考えだったそうです。

 かつての主屋の前にも築山式の池泉鑑賞式庭園があり、隣接する蔵屋敷なども見学できます。大きく4つのエリアに分かれていると言って良いでしょう。

 入園してすぐ前が四阿(あずまや)跡と自動自活石柱のあるところで、四字熟語による代表的な格言としていることがわかります。

 そこに隣接する池泉エリアが最大のところで、宝来山(蓬莱山ではない)から見下ろすとその素晴らしさが格別です。

 三番目が、主屋・なまこ壁の蔵エリアで、小さな池があります。

 4つ目は、裏庭と言っても良いのでしょうか、築山のある池泉鑑賞型庭園です。

 各々がバラバラではなく、かといってまとまっているのでもなく、不思議な融合感で繋がっています。

 庭園面積は、5,940平方メートルですが、ちなみに隣接している小学校までが、かつての水戸部家の敷地であったそうです。教育に対して熱心な水戸部弥作が、その敷地の一部を寄贈したそうです。

 個人で、これほどの庭園を造れたのは、水戸部の強い社会観があったればこそと考えます。

 

  【 注 】 エリア名は、当ブログ管理者の命名
 

 

■ アクセス


 JR山形新幹線 天童駅・山形駅より路線バス「ごくらく園口」バス停下車 徒歩3分
 天童駅より約4km(レンタサイクルあり)
 JR奥羽本線 天童南駅より約3km(徒歩約40分)
 〒994-0051 山形県天童市奈良沢乙47 

 入園時間    8:00~17:00
 休園日冬期間    1月10日~2月末まで休園
 駐車場        無料駐車場
 入園料        個人 大 人 400円 子ども 200円(30名以上団体割引あり)
     ※ 案内希望の場合は別途1,500円
 事前予約    電話にて事前に予約 023-653-3392

 サイト    http://gokuraku-en.jp/gokurakuen.html

 

■ 【アドバイス】

 天童駅から4kmもありますし、路線バスも少ないので、スケジュールを組むときには、事前に調べておくことをお勧めします。
 私は、山形駅前から山交バス天童線・天童駅前行きに乗り、ごくらく園口で下車しました。この路線は、山形駅と天童駅の間を往復する路線ですので、おそらく天童駅で折り返すのでしょう。
 ごくらく園口バス停で降りると、20数m戻ったところの道を入るのですが、案内板が見にくいですので、注意が必要です。
 乗車時間は、40分弱、乗車賃は590円(2022年現在)です。長い距離を走るからか、乗車時間になってもなかなか来ないですので、諦めずに辛抱強く待つ必要があります。

 私は、予約なしでゆきましたが、親切に対応して下さいました。
 金言集も販売されています。

 

■ 宝来山エリア


園内マップ(公式サイトより)

 

宝来山は、蓬莱山になぞらえて命名された

園内最高地の場所

 

金言石柱の脇に小径があり、

左手に池泉エリアの池があります。

 

上述の小径を進むと石橋があり、

池泉エリアの最下部に至ります。

 

池泉エリアの最も長く大きな池が見えてきます。

 

自動自活エリアのユニークな石灯籠も見えます

 

このエリアで最も大きな石灯籠

 

池脇のオブジェ風のユニークな形に刈り上げられた松

 

池に配された徽軫灯籠(ことじとうろう)

 

池の周囲にはいろいろな石灯籠が配されています

 

上記の石灯籠脇の石橋

 

宝来山へ続く小径

 

宝来山脇の松と石灯籠

 

蓬莱山の心社(お社)の鳥居

 

宝来山頂上へ

 

宝来山頂上の下に立つ石碑

 

宝来山頂上

 

心社

宝来山頂上に立つ祠(ほこら)

 

心社ほこらの中

 

宝来山頂上から

先ほど見てきた池を見る

「三の池」

 

 

 

 

  リスト http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm

 

 

  ■ カシャリ! ひとり旅

 




ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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【話材】 昨日01/22のつぶやき カレーライスとライスカレー

2023-01-23 07:21:55 | ブログ

  【話材】 昨日01/22のつぶやき カレーライスとライスカレー

 

経営コンサルタントとして感じたことを毎日複数のつぶやきをブログでお届けしています。

もし、お見落としがありましたり、昨日のブログで再度読みたいつぶやきがあるというときに便利なページです。

本日も、複数のブログで、つぶやき済です。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/e/2500816d7a87f8edf97b3566e347fbdc

曇り

■ 昨日は、下記のリストのようなことをつぶやきました。

konsarutanto   ◇ 昨日のつぶやき ◇ 

>> もっと見る

 【カシャリ! ひとり旅】を映像にして紹介しています。

   ユーチューブで見

 

 バックナンバー

 

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■【きょうの人】 0123 ■ 直江兼続 「愛」の兜で米沢藩家老として尽力 ■ 道慈律師 西明寺に住した三論宗の僧

2023-01-23 06:33:00 | 【話材】 きょうの人01月

 

  【きょうの人】 0123 ■ 直江兼続 「愛」の兜で米沢藩家老として尽力 ■ 道慈律師 西明寺に住した三論宗の僧

 

 独善的な判断で、気になる人を選んでご紹介しています。

 そこに歴史や思想、人物、生き方などを感じ取って、日々の生活やビジネスに活かしてくださると幸いです。

 

■ 直江兼続 「愛」の兜で米沢藩家老として尽力


 なおえ かねつぐ
 永禄3年(1560年)-元和5年12月19日(1620年1月23日)


 戦国時代から江戸時代前期にかけての武将で、米沢藩(主君 上杉景勝)の家老を務めました。

 NHK大河ドラマでも、その兜の立物「愛字に端雲の立物」は有名です。また、兼続は、お船の方を最後まで愛し側室を迎えず正室だけを妻に迎えたことでも知られています。


 兼続については、資料も乏しく、諸説入り混じっています。

 永禄7年(1564年)に上田長尾家当主の政景が死去した時、上杉輝虎(謙信)の養子となった政景の子・顕景(後の上杉景勝)に従って春日山城に入りました。仙桃院(謙信の実姉で景勝の母)の要望を受け、景勝の小姓を経て、側近として仕えました。

 武田家滅亡の折には、信濃衆との取次を行うなどから頭角を現し、豊臣時代には、内政・外交の取次のほとんどを担うようになり、家老として景勝との二頭政治に近いものが行われました。

 豊臣政権下で、当時戦乱で疲弊した越後を立て直そうと兼続は農民に新しい田畑の開墾を奨励し、新田開発が進み、それが現在の「米所新潟」の礎となりました。兼続の施策は越後に謙信の時代に劣らぬ繁栄をもたらし、後に上杉鷹山が米沢藩建て直しの参考に繋がったといわれています。

 秀吉の命令で景勝が越後から会津120万石に加増移封された際、兼続には出羽米沢に6万石の所領が与えられました。

 関ヶ原直前、兼続が景勝に無断で年貢を持ち出し、堀秀治が上杉家謀反を家康に訴えました。家康の命を受けて上杉家との交渉に当たっていた西笑承兌に景勝が送った書簡が、有名な「直江状」です。これが、関ヶ原の戦いのきっかけとなる会津征伐を家康に決意させたとされていますが、偽文書とも、大幅改竄された文書ともいわれています。

 景勝が五大老の一人として秀吉方で闘った上杉家ですが、関ヶ原後、慶長6年(1601年)、兼続は景勝とともに上洛して家康に謝罪しました。この時に罪が赦され、景勝は、兼続の所領であった出羽米沢30万石へ減移封となり、上杉家の存続ができました。

 その後は徳川家に忠誠を誓い、兼続は重光と改名、家老として、新たな土地の開墾を進めるために治水事業に力を入れるなど、藩政改革を進めました。

 

 

■ 道慈律師 西明寺に住した三論宗の僧

 どうじ
 生年不詳 - 天平16年10月2日(744年11月14日)

 奈良時代の三論宗の僧で、俗姓は額田氏、大和国添下郡の出身です。

 702年(大宝2年)に唐へ渡り、
西明寺に住し、三論に通じることになりました。その結果、仁王般若経を講ずる高僧100人のうちの一人に選ばれています。

 718年(養老2年)に帰朝し、日本三論宗の第三伝とされました。

 729年(天平元年)に律師に任じられ、大安寺を平城京へ移設することに尽力しました。736年(天平9年)には、
大安寺大般若経転読会を始め、739年(天平12年)には大極殿最勝王経講説の講師をつとめました。

 大宝の遣唐使として43年ぶりに入唐を果たした道慈は、帰国後に『愚志』という書物を著して、唐と異なり教典に従っていないことが多い日本の仏教界を批判しています。

 僧尼の質を向上させるために、戒師を唐から招請、鑑真の来日によって実現することになりました。

 『日本書紀』の編纂にも関与したという説もあります。
(【Wikipedia】を基に作成)

 

  西明寺

  大安寺

  

 

 

 

◆ 【きょうの人】 バックナンバー

 歴史上で活躍したり、仏教など宗教関係の人であったり、ジャンルはいろいろですが、彼等から、学ぶところが多々ありますので、それをご紹介します。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b57a13cf0fc1c961c4f6eb02c2b84c9f

◆ 【今日は何の日】は、毎日発信しています。

 一年365日、毎日が何かの日です。 季節を表す日もあります。 地方地方の伝統的な行事やお祭りなどもあります。 誰かの誕生日かも知れません。 歴史上の出来事もあります。

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/b980872ee9528cb93272bed4dbeb5281

◆ 【経営コンサルタントのひとり言】

 経営コンサルタントのプロや準備中の人だけではなく、経営者・管理職などにも読んでいただける二兎を追うコンテンツで毎日つぶやいています。 

  https://blog.goo.ne.jp/keieishi17/c/a0db9e97e26ce845dec545bcc5fabd4e

【 注 】

 【きょうの人】は、【Wikipedia】・当該関連サイトを参照・引用して作成しています。


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【カシャリ!庭園めぐりの旅】 鳥取県米子市 足立美術館 大観他の日本画と枯山水庭園

2023-01-22 10:03:00 | 【カシャリ!ひとり旅】 山陰山陽四国

 


  【カシャリ!庭園めぐりの旅】 鳥取県米子市 足立美術館 大観他の日本画と枯山水庭園


 



 


 若い頃からひとり旅が好きで、経営コンサルタントとして独立してからは、仕事の合間に旅をしたのか、旅行の合間に仕事をしたのかわかりませんが、カメラをぶら下げて【カシャリ! ひとり旅】をしてきました。

 旅のテーマは寺社や庭園めぐりです。


 日本には「日本庭園」と呼ばれる庭園だけではなく、「イングリッシュガーデン」など、海外の庭園形式をした庭園も多数あります。寺社を訪れたときに、想定していなかったところに、庭園を発見することがあります。

 下手の横好きで、【カシャリ! ひとり旅】を続けていますが、その一環で訪れた庭園を順次紹介してまいりたいと思います。

■ 鳥取県米子市 足立美術館 横山大観他の日本画と枯山水庭園 


 


 足立美術館(あだちびじゅつかん)は、島根県安来市に所在する、近代日本画を中心とした島根県の登録博物館です。

 地元出身の実業家・足立全康(あだちぜんこう)が、1970年(昭和45年)、71歳のときに開館しました。

 美術館としての特徴は、横山大観等日本画のコレクションと美しい日本庭園です。

創立者・足立全康
 


 足立全康(あだちぜんこう 1899年 - 1990年)は、明治32年2月8日、能義郡飯梨村字古川(現、安来市古川町)の農業に生まれました。
 戦後、大阪で繊維問屋、不動産関係などの事業のかたわら、幼少の頃より興味を持っていた日本画を蒐集し、いつしか美術品のコレクターとして知られるようになったのです。裸一貫から事業を起こし、一代で大コレクションをつくりあげるほどの才能の持ち主といえます。
 逸話も多くあります。なかでも大観の名作『紅葉』と『雨霽る』(あめはる)を含む北澤國男(東洋バルヴ創業者)の「北沢コレクション」を、1979年(昭和54年)に入手した際の武勇談は有名です。
 昭和53年に名古屋の横山大観展で見た「紅葉」(六曲一双屏風)に言葉も出ないほどの感動を受けました。何が何でも手に入れるのだと八方手を尽くしたそうです。門外不出の「幻のコレクション」といわれた北沢コレクションの一部とわかりました。
 「一目惚れの女性に2年も通い続けて枕金も決め、さあ床入りという時に、枕をかかえて逃げられるようなもんだ。そりゃあんまりじゃないですか」と頼み込み、泣き落として決めたそうです。


 


          


                  苔庭に立つ足立全康像

美術館としての足立美術館

 日本人なら誰でも知っている画家の作品に接することで、日本画の魅力を理解して欲しいというのが、足立美術館のコンセプトです。また、大観を知ることによって日本画の美、すなわち「美の感動」に接する契機となることが、創立者足立全康の願いでもあるのです。

 横山大観の作品総数130点が所蔵され、質量ともに日本一として知られています。代表作「紅葉」は、大観の代表作のひとつで、昭和6年(1931)の作です。
 真紅の紅葉に、群青の流水と白金泥の漣を加え、秋の清冽な自然を描き出しています。

 大観のほかにも、竹内栖鳳、橋本関雪、川合玉堂、上村松園ら、近代日本画壇の巨匠たちの作品も揃っています。それに加え、北大路魯山人、河井寛次郎の陶芸、林義雄、鈴木寿雄らの童画、平櫛田中の木彫なども収蔵され、魯山人館には、北大路魯山人の作品が陳列されています。

日本庭園美の足立美術館

 足立美術館のもう一つの特色である、広大な日本庭園は、中根金作の設計で、苔庭は、小島佐一も参画しています。足立全康の「庭園もまた一幅の絵画である」という信念の結晶です。

 庭園は「枯山水庭」「白砂青松庭」「苔庭」「池庭」など6つに分かれ、面積5万坪にまでも及んでいます。全康自らが、全国を歩いて庭石や松の木などを捜してきたのです。全康の言葉通り、絵画のように美しい庭園です。

 日本庭園における造園技法のひとつである借景の手法が採られています。彼方の山や木々までも織り込まれています。その借景を維持するために、借景となる山林の一部を購入するほどまでにもこだわっています。

 90歳を超えても、全康は、朝に夕に庭を見て廻ったそうです。少しでも気に入らないことがあると庭師を呼んでは陣頭指揮をとって手を加えさせました。

 米国の日本庭園専門雑誌『ジャーナル・オブ・ジャパニーズ・ガーデニング』が行っている日本庭園ランキング(Shiosai Ranking)では、初回の2003年から何度も日本一に選出されています。

 フランスの旅行ガイド『ミシュラン・グリーンガイド・ジャポン』や『Guide Bleu Japon』におきましても、それぞれ三つ星(最高評価)を獲得しているのです。

 外国人にも人気が高く、年間の来館者数は、60万人を超えることも多いそうです。

■ アクセス


 


JR: 安来駅より無料シャトルバスで約20分
車: 山陰道安来ICより約10分


 


開館時間 年中無休
 夏季    4月-9月    9:00-17:30
 冬季    10月-3月    9:00-17:00


 


          


 


歓迎の庭
 足立美術館の建物前から白砂青松と紅葉の赤がクッキリと見える庭園が歓迎してくれています。
 受付を通って直進すると通路に出ます。その右手が白砂青松の「歓迎の庭」の裏側になります。足立美術館庭園の素晴らしさの前奏曲といえます。

          

苔庭
 歓迎の庭通路を左折すると苔庭を通して足立翁像が見えます。
 スギゴケを主体とした強風の雅やかさを醸し出す庭園で、苔の緑と白砂のコントラスト、苔庭の先と枯山水庭を結ぶ石橋が心を慰めてくれます。
 苔庭を見ながら左折すると魯山人館です。その手前に魯山人館の竹林と蹲踞があります。

          


枯山水庭
 足立美術館庭園のハイライトともいえる枯山水庭が見えるロビーにでます。
 借景の山も足立美術館が購入するほど、自然との調和が美しい庭です。中央に立つ石は、険しい山をイメージしたものでしょう。そこから流れ落ちる滝水が大河となって、大海を表す池に流れ込む雄大な山水を感じ取れます。
 右手奥を見ますと、高さ15mの瀑布が見えます。那智の滝を模して作られたという「鶴亀の滝」です。


 


          


 


          


 


白砂青松庭
 庭園を満喫できる喫茶室前を通ると「白砂青松庭」が見えます。足立美術館の表庭の最も奥に位置します。
 横山大観の名作「白砂青松」をイメージして造られた庭園だそうです。白砂の丘陵には、右手がクロマツ、左手が赤松が配されていて、その対照的な調和を楽しみながら鑑賞できます。

          


 


坪庭
 本館から喫茶室「大観」に行く途中に坪庭があります。蹲踞が存在感を高めています。

          


 


池庭
 喫茶室「大観」からお茶をしたり、軽食をとったりしながら楽しめる池泉庭園です。
 周囲との調和のとれた、新しい感性と伝統的な手法のハイブリッド型の池泉庭園といえます。奥には小滝が二段になって流れ落ち、中央に架かる石橋を通して大毛に流れ込んでいます
 池には優雅に泳ぐ鯉が、「これこそ、俺たちの池だ!」と言っているようです。

          


 


生の額絵
 枯山水庭へ行く通路に、生の額絵と言われる、枯山水庭が見える額縁窓があります。窓のすぐ外に大きなクロマツが、格好良く庭にアクセントを付けて立っています。大小の木や石がバランス良く配置されていて、芝生の稜線が美しく見えます。「琳派の絵のようだ」と形容されるそうです。

          


 


生の掛け軸
 池庭を見るふもとに休憩所があり、窓越しに池庭を見ると一幅の絵となります。その反対側にも額縁窓があります。床の間の壁を縦長にくりぬいて、あたかも山水画の掛け軸のような演出もなされています。
 見落としがちなところにありますが、美術館側のお薦めスポットですので、見逃さないようにしたいです。
 


          


 





ユーチューブで視る 【カシャリ!庭園めぐりの旅】

写真集は、下記URLよりご覧いただくことができます。

静止画: http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmeisho.htm
映像:  http://www.glomaconj.com/butsuzou/meisho/indexmovie.htm 

【 注 】 映像集と庭園めぐりは、重複した映像が含まれています


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