今回の作品のモデルになっているのは故・大野一雄さんです。実は私が寒山拾得を描き始めたのは、このO氏の影響が少なからずありません。私は実際はO氏にお会いしたことはありませんが、17歳の時、氏の姿を映像で目撃して大変ショックを受けたのです。
それは全身白塗りで髪を振り乱した老人が、身体の底から声にならない叫びをあげているようであったり、優しく憂いをおびた姿であったり、とにかくあらゆるものが沈黙の内に溢れているような感覚を覚えたのです。超越した何かに触れて、それがなにであるか、その時の私には全く知り得ないものでしたが、心にその残像が棲みついてしまったのです。ある時、墨でドローイングしていたらO氏のイメージと江戸時代の曽我しょう白のイメージが重なるようなイメージを何枚と描きました。なぜ、そのようなイメージを描いたのかの説明はつきにくいのですが、私の中で両者が一致したのです。それは最初、全くビジュアルな面のみの結びつきだったのですが、後からO氏が曽我しょう白にシンパシーを感じておられる事を知りました。実際、作品に奇想の系譜の画家たちをプロジェクターで目まぐるしく投影した中で踊る舞台や、しょう白の描いた鬼女の屏風の前で踊られる事もされています。
それは全身白塗りで髪を振り乱した老人が、身体の底から声にならない叫びをあげているようであったり、優しく憂いをおびた姿であったり、とにかくあらゆるものが沈黙の内に溢れているような感覚を覚えたのです。超越した何かに触れて、それがなにであるか、その時の私には全く知り得ないものでしたが、心にその残像が棲みついてしまったのです。ある時、墨でドローイングしていたらO氏のイメージと江戸時代の曽我しょう白のイメージが重なるようなイメージを何枚と描きました。なぜ、そのようなイメージを描いたのかの説明はつきにくいのですが、私の中で両者が一致したのです。それは最初、全くビジュアルな面のみの結びつきだったのですが、後からO氏が曽我しょう白にシンパシーを感じておられる事を知りました。実際、作品に奇想の系譜の画家たちをプロジェクターで目まぐるしく投影した中で踊る舞台や、しょう白の描いた鬼女の屏風の前で踊られる事もされています。