奈良からバスに乗り、浄瑠璃寺に行く。九体阿弥陀と吉祥天で有名なこの寺は伽藍配置を含めて非常に興味深いところだった。
あたりに野仏がみられるところを抜け、彼岸と此岸にたって景色を見渡す。朝の涼やかで清澄な空気が、ひそかに空間を荘厳ならしめているかのようで、美しい静けさの中にぽつりぽつりと歩んでいた。
阿弥陀堂の中はまた、濃密な世界だった。吉祥天と厨子(厨子の絵は東京芸大の模写)の美しい空間は圧巻だ。また、九体阿弥陀というこの着想と空間。しばし、ここから宇宙と対話する。
浄瑠璃寺を後にしてバスでJR奈良から電車で法隆寺へ。
ここはまた緩やかな時間がながれる。北小路という陽のひかりが優しく入る静かな店で山菜等の定食を食べ、夢殿、中宮寺へ。救世観音は観られなかったが、桜が美しく典雅に咲いていた。夢殿の建築自体も隙間なので満喫する。中宮寺はやはりあの微笑みである。柔らかく美しい姿だ。
法隆寺の参道は土壁や道の広さからも、なにか他とは違う時間が流れているように感じる。中央の伽藍の脇道に入ると峰薬師がある。なかなか立派な薬師で個人的には好きな部類の姿をしている。
そして伽藍内に入り、五重塔へ。ここは中に塑像群があり、以前から気になっていた。網で様子は少しわかりにくいが、搭の中にこんなものがという驚きがある。
横には、かの金堂がある。柱には立派は龍が巻き付け、柱も鬼ではなく、貘や獅子が支えている。
いよいよ内部へ。
図版では知り得ない空間がある。釈迦三尊の装飾的と思われた衣が、なんとも美しく舞っている。穏やかで優しく、典雅な姿だ。空間の濃密さと柔らかな本尊は典雅な世界を生み出している。
講堂は薬師と脇待、四天王がいる。こちらも立派で脇待がまたよい。
宝物館では白鳳仏の数々、玉虫厨子、百済観音他素晴らしいものばかり。
時間を忘れて眺められる。
京都に戻ると少し花でも観て歩こうと花見小路から円山公園へ。京都ノサクラはやはりこのあたりの民衆の桜がまたよい。ここらは毎年ふらっと寄り道する。街中にあるからふらっと寄れるのが魅力。祇園の桜は花街の空気や沢山の人に見られるせいか、妖艶で美しい。夜桜は格別でいつみても魅了される。毎年、花の咲き具合をみて、元気な姿を観てほっとする。
ふと赤毛氈の提灯の下をみると、舞妓が数人お客に連れられ酌をしている。村上華岳のあの華やかで色気ある花見の絵を思い出す。
春の京都を感じるひととき、再び花見小路を通って駅へと向かった。
あたりに野仏がみられるところを抜け、彼岸と此岸にたって景色を見渡す。朝の涼やかで清澄な空気が、ひそかに空間を荘厳ならしめているかのようで、美しい静けさの中にぽつりぽつりと歩んでいた。
阿弥陀堂の中はまた、濃密な世界だった。吉祥天と厨子(厨子の絵は東京芸大の模写)の美しい空間は圧巻だ。また、九体阿弥陀というこの着想と空間。しばし、ここから宇宙と対話する。
浄瑠璃寺を後にしてバスでJR奈良から電車で法隆寺へ。
ここはまた緩やかな時間がながれる。北小路という陽のひかりが優しく入る静かな店で山菜等の定食を食べ、夢殿、中宮寺へ。救世観音は観られなかったが、桜が美しく典雅に咲いていた。夢殿の建築自体も隙間なので満喫する。中宮寺はやはりあの微笑みである。柔らかく美しい姿だ。
法隆寺の参道は土壁や道の広さからも、なにか他とは違う時間が流れているように感じる。中央の伽藍の脇道に入ると峰薬師がある。なかなか立派な薬師で個人的には好きな部類の姿をしている。
そして伽藍内に入り、五重塔へ。ここは中に塑像群があり、以前から気になっていた。網で様子は少しわかりにくいが、搭の中にこんなものがという驚きがある。
横には、かの金堂がある。柱には立派は龍が巻き付け、柱も鬼ではなく、貘や獅子が支えている。
いよいよ内部へ。
図版では知り得ない空間がある。釈迦三尊の装飾的と思われた衣が、なんとも美しく舞っている。穏やかで優しく、典雅な姿だ。空間の濃密さと柔らかな本尊は典雅な世界を生み出している。
講堂は薬師と脇待、四天王がいる。こちらも立派で脇待がまたよい。
宝物館では白鳳仏の数々、玉虫厨子、百済観音他素晴らしいものばかり。
時間を忘れて眺められる。
京都に戻ると少し花でも観て歩こうと花見小路から円山公園へ。京都ノサクラはやはりこのあたりの民衆の桜がまたよい。ここらは毎年ふらっと寄り道する。街中にあるからふらっと寄れるのが魅力。祇園の桜は花街の空気や沢山の人に見られるせいか、妖艶で美しい。夜桜は格別でいつみても魅了される。毎年、花の咲き具合をみて、元気な姿を観てほっとする。
ふと赤毛氈の提灯の下をみると、舞妓が数人お客に連れられ酌をしている。村上華岳のあの華やかで色気ある花見の絵を思い出す。
春の京都を感じるひととき、再び花見小路を通って駅へと向かった。