東京に行ったついでに夜間拝観で対決 巨匠達の日本美術に行きました。
あれだけ御馳走並べると、どれもじっくり味わうのは難しいけど、ぐるり日本美術の中の自分好み再発見ツアーまたは名所巡り?という感じの展観でした。たっぷりだけどあっさり。後味は極上の上汁スープ飲んだ感じですかね。全部ちゃんと食べるとまんかんぜんせきでしょうか。
今回何度か気になったのはりん派と茶碗と芦雪、松林図、文人画、円空の十一面観音。あれだけアクの強いものがあったせいか、さらっとなんでもないものがとてもよく見えた。そしてこのさらっとしたものの中にある風格としなやかな存在感にあらためて日本美術の発見をみた気がした。
大学の博物館では林司馬の展覧会が行われている。司馬先生は模写室を作った方で、先生亡き後も僕達は先生の肉筆手本から模写や日本画の第一歩を学んでいる。出品はスケッチや簡素な巻物が多いがジワジワと心地よい。柔らかで優しく、この品と風格は僕達が親しんだあの手本達であり、どれも司馬先生でした。
確たる自分でありながら、無私の世界が広がっていて、作品存在そのものが自然になるという感覚。
私という存在無く無私は有り得ないという事なのですね。
あれだけ御馳走並べると、どれもじっくり味わうのは難しいけど、ぐるり日本美術の中の自分好み再発見ツアーまたは名所巡り?という感じの展観でした。たっぷりだけどあっさり。後味は極上の上汁スープ飲んだ感じですかね。全部ちゃんと食べるとまんかんぜんせきでしょうか。
今回何度か気になったのはりん派と茶碗と芦雪、松林図、文人画、円空の十一面観音。あれだけアクの強いものがあったせいか、さらっとなんでもないものがとてもよく見えた。そしてこのさらっとしたものの中にある風格としなやかな存在感にあらためて日本美術の発見をみた気がした。
大学の博物館では林司馬の展覧会が行われている。司馬先生は模写室を作った方で、先生亡き後も僕達は先生の肉筆手本から模写や日本画の第一歩を学んでいる。出品はスケッチや簡素な巻物が多いがジワジワと心地よい。柔らかで優しく、この品と風格は僕達が親しんだあの手本達であり、どれも司馬先生でした。
確たる自分でありながら、無私の世界が広がっていて、作品存在そのものが自然になるという感覚。
私という存在無く無私は有り得ないという事なのですね。