よもやま解体新書

山下和也の制作、見聞記. 北へ西へ南へ。

タタズムにタタズム

2010-06-18 22:19:08 | Weblog
三条祇園画廊の二階、ギャラリー北野にベリーマキコさんの個展「タタズム」を見に行く。
ベリーマキコさんは日本画ジャックという展覧会での出品作家の一人で、僕は彼女の作品のファンです。
説明がつかないから説明ができない、描くことが好きと言い放つシンプルさ。
絵は頭でなく、手で描くものだと言われているようで、コンセプトとかステイトメントなんて煩わしく感じてしまう。マキコさんの描く絵。これは洗練の手ではなく、野性の手が描き出すもので、それゆえに素で見る者に迫る力があるように感じる。
「作品なんて見る人の自由よ。」これは最初の見る人となる制作者本人にも言いあたると思う。

日常と非日常が不思議に交錯したマキコさんの作品は、いつも謎に満ちている。

見ること、描くこと~野十郎とクマチカ~

2010-06-18 22:16:55 | Weblog
福岡滞在の帰りに、県立美術館の熊田千寡暮展に行く。
プチファーブルと言われる氏の作品はとにかくよく観察し、丁寧に描かれている。同館常設の高島野十郎も自然を観察し、実に丁寧に描くのだが、両者は技法も作画態度も大きく異なる。
野十郎は油彩、熊田千寡暮(クマチカ)は水彩、色鉛筆。野十郎は対象とそれを見る自分との間に拮抗する切迫感があり、「写生」に徹している。そこから滲み出す高濃度な雰囲気は、描くことによる凡庸ならざる平坦な世界であり、じわじわと内側に入る野十郎の眼と手を追体験させる。
大きな違いはクマチカには特別ではないが、ファンタジーがあるということ。絵の中のクマチカは虫の世界の住人である。また、画面を走る水平線状の景色は実は私達人間住むの世界でもあり、世界は繋がっているのだと思う。絵本の挿絵を描いてきたクマチカは自己の内側ではなく、外と繋がる世界を描いているように感じる。世界のほんの片隅で、小さないのちの営みを、優しく丁寧に説き明かしてくれる。
二人の作り出す作品の違いはなかなか興味深く感じました。