よもやま解体新書

山下和也の制作、見聞記. 北へ西へ南へ。

回想駄話「須弥山ランド計画」

2010-05-22 09:46:42 | Weblog
金色の浄土曼陀羅を眺めながら、だんだんそれが遊園地のように見えてきた。賑やかだし、建物や池や空飛ぶもの、仏様は列に並んでの大混雑。まばゆい金のエレクトリカル浄土パレード?だ。

そういえば、大学時代に模写室の無駄話で、嵐山を蓬莱山に見立てて「須弥山ランド計画」という実現する気のさらさらない話で盛り上がった事がある。
入口は仁王門。隣にはバリアフリーな薬師病院を併設。リアル六道巡りに飛天のメリーゴーランド、ぐるぐるまわる蓮台のコーヒーカップに火の車のゴーカート。白象や獅子は勿論、ガチョウや邪鬼にもお乗りできます。正午のお昼寝涅槃タイム。3時は羅漢果をデザートに優雅な散華タイム。奇麗な夕焼けをバックに山越阿弥陀が現れる抜群のロケーション?お帰りは早来迎で出口まで送ります。他にも文殊大学とゆいま大学、二十五菩薩オーケストラ、などなど。癒しと悟りをテーマにした夢の国?を5人ぐらいで教室ランチをしながら2~3日も息抜きに発案しあったのでした。

南北を歩いて

2010-05-20 20:01:14 | Weblog
5月は自宅、いや滋賀にいる日が片手程しかない。
初旬は青森、あとは奈良と福岡を往復している。
大変だという人もいれば、羨ましいという人もいる。どちらとも言えなくはないが、どちらであってもその裏方にいる人達の恩恵に授かっている事は確かです。

電車移動が多い僕は、車窓から山の姿を見るのが好きです。山間を走る電車の窓から見える山の姿は、いつ見ても飽きない。
山を描くために山中に隠居した先達のような暮らしは、望むべくもなく(まだ望んでもいないが)、各地の山をただただ眺めています。山に住む人の山と、そうでない人の山では、自ずと山に対する接しかたが違うでしょう。しかし、山河を描くという事と山水画を描くという事は別の事です。これは植物や動物を描く事と花鳥画を描く事は違うという事と同じだと思います。
南北の山を眺め歩き、ふと考えるのでした。

奥入瀬へ

2010-05-07 15:52:50 | Weblog
日本を代表する奥入瀬渓流。一度ならず訪れてみたい場所です。
十和田は桜で満開ですが、奥入瀬はほぼ枯木で、一輪菊草や新芽がチラホラ見られる程度。しかし、渓流の美しさは緩急さまざまで、いちいち絵になるほど美しい。
ここは日本なのか・・・というのは野暮な話で、ここは僕のイメージの中にある北欧に近いものがあった。(北欧も行ったことがないので、それもイメージでしかない。)日本画という名の表現に携わる者として、「日本」というものもイメージでしかないのだなとあらためて感じる。
奥入瀬渓流は小野竹喬の作品が個人的には絶品だと思う。水の美しさが優しい色で七色をみせている。完成に長く時間を要したとあるが、この構図には季節を問わず凝縮した「奥入瀬の渓流」という美しさが描き出されている。
足元の高さで、ともに流れを歩み、様々な流れを越えて行くと、それはもう人生のようで、ついつい「川の流れのように」を歌ってしまいそうになるのでした。








南へ

2010-05-07 15:01:00 | Weblog
盲腸騒ぎも一幕降りて、お蔭様で元気になりました。
福岡に数日滞在することになり、薬院あたりをブラブラする。古道具や雑貨屋の多いこの辺りを渡り鳥のように歩く。明治以降のものが多いが、関西とは違ったセレクトで伊万里が多い。そこここの店で手にしたチラシを見て少しづつ開拓。好みのお店もチラホラ。
マンションの一室をそのままギャラリーやお店にしているところが何件かあったが、その使い方もなかなか興味深かった。
その店店の人と人のつながり方や室礼をみる。あいだにものがある。ものと、それに関わる人人のドラマを感じる。みえないところでみえてくるものをジワジワと感じるのでした。