よもやま解体新書

山下和也の制作、見聞記. 北へ西へ南へ。

出雲大社の梅

2005-09-25 21:13:22 | Weblog
DMが完成し、展覧会に向けての打ち合わせが重なる。
今回もいろいろなプロセスを通して学ぶ事多し。社会勉強欲が沸いてきてそんな心境からマナー本とか買ってみる。今更ながら「おお、そうなのか・・」と関心する事多し。贈り物の本と食事の本。実践的で思わずやってみるとなんか嬉しい。
 昨日は朝、榎さんと自転車で和邇にある出雲大社の分祠に行く。そこには梅の木があって、その木がライブペイントで描いた梅と全く同じだという風に聞いていたのでちょっと挨拶に行く。梅の巨木もスケッチ等でよく見てきたけどこの木は親しみやすさがあった。榎さんは僕がこの木を見た事がないのにどうして同じ木が描けたのかといつも不思議そうにそして嬉しそうに話す。榎さんの木がどうして描けたのか、それは僕にもわからないけど、あの空間でライブペイントしたから描けたのだという事は確信している。
丁度朝のおつとめをされている最中であった。この神社は建物こそ新しいが、静かで清涼な空間。宮司の所作に見入りつつ、この空間には私を魅きつける何かがあると直観する。
 そのまま大きな木というギャラリーに行く。流木等を活かした立派なテーブル等が並ぶ。カフェスペースもあって、和邇にこんな所が・・・といういい感じでした。
その後、大学へDMを持って行き、帰りに野々村さんと打ち合わせなどする。
一日は長くて短い。季節はもう秋。


金沢

2005-09-19 23:15:39 | Weblog
今日は早朝に電車に乗り、金沢へ向かう。目当てはゲルハルト・リヒター展。作品数は以外と少ないが、まとめてはいるというカンジか?アブストラクトの小部屋の代わりにアトラスの展示とかストロンチウムが観たかった。
別企画でスゥー・ドゥーホーの階段が観れたのは良かった。

昼すぎに金沢美大の助手をしている友人とご飯を食べ、近くの中村記念美術館へ行く。
その後、尾山神社へ。この神社の門が煉瓦づくりと木造の合体で、前田家の家紋入り。さらに教会風天守閣にはステンドグラスという妙な建築。折角なので参拝する。その後友人の紹介でギャラリーへ。オーナーの面白くてためになる話を聞いた後、帰宅する。
あぁ、また本を四冊も買ってしまった…

観月

2005-09-19 09:14:00 | Weblog
月が綺麗に出ていたので、昨日は大覚寺の観月祭へ行く。大学の琴部の友人とたまたま行く事になる。(観月祭では毎年琴部の演奏がある。)宝物殿で狩野山楽の襖絵(紅白梅と牡丹)、渡辺始興の板絵を観る。今、本殿等にはまっているのは林司馬先生の模写で、復元古色と現状模写が混ざったようなものでした。司馬先生の線はやさしく、柔らかく山楽の線とは少し違うのかというような感はありますが、先生の人柄といいますか端正でとてもいい絵でした。現在のような復元模写が通例化する以前ですから、折衷的なものになっていますが、いい具合に肩の力が抜けて、でもちゃんと描いてあるのは流石。大量ですからもちろん全て描かれてないでしょうし、手が違うのかなという面も少なからずありましたが、水墨の襖絵も近くから見えませんでしたが鷹が獲物を捕らえている絵が良かったように思います。きっと楽しく描かれたのだと観ていてなんか嬉しくなる(笑)
学生時代には先生の複模から運筆の練習をしていたので、その線がなつかしく感じられます。
実際に襖絵を描く経験を経て、改めて襖絵やその空間を観るとやはりそれ以前とは違い実空間と絵画空間の両方からその絵の姿が、より感じられるようになった気がします。
山楽の牡丹の襖絵は広い間にぐるりとまわるので、実際庭を眺めるような空間で、総金地なのに現実的な奥行きが立ち上がってくる。また、広い間を囲うので、牡丹だけでなく、岩組やちらほら咲く別の花や鳥、蝶などが、自然に見受けられ、現実の庭を眺める際に去来する時の流れを体感する。また、襖絵は居空間なので、遠くからも近くからも接する。遠くからは庭を眺め、近くからは何か小さな生物になって庭で遊ぶように感じられる。
描いてみて襖絵は空間によって描かされると感じたが、寺の空間というのはやはり特殊だなとあらためて感じました。