よもやま解体新書

山下和也の制作、見聞記. 北へ西へ南へ。

寒山拾得ギャラリートーク

2012-11-27 21:16:45 | Weblog
ガケイギムレットでの個展も今週の金・土曜日で最終です。既にお越しくださった皆様ありがとうございます。遠方なのに御越しくださり本当にうれしく思います。前回の個展は彩色が溢れていたので、今回の作品を観て同じ作家とは思えないという方も多いようです。モノクロームだし、お爺さんだし、ちょっと怖いし...。作家個人としては大変発見のあるテーマで、運筆や余白の造形を様々なかたちで観ることが出来る内容と思います。今回の展示作品は2006年の作品、2008年の作品、2012年の作品と展示されています。全て未発表の作品です。大野一雄というモデルを通じて明らかな造形的、心理的変化が検証できると思います。実際展示してみると自分でもその変化の過程が再確認できました。最終日の12/1(土)は京都国立近代美術館の研究補佐員の平田剛士さんと15:00からギャラリートークを行います。平田さんは東京圏で美術批評を数年前まで書いておられ、カロンズネットというアート情報や批評のWEBサイトの元編集長をされて
いました。現在は関西を拠点にはならぁとという町屋のアートイベントやつくるビルの活動などアクティブな美術批評家です。
今週土曜日のギャラリートーク、宜しければ是非是非ご参加ください。お待ちしております。

大野一雄氏

2012-11-19 19:29:14 | Weblog
大野一雄氏は北海道生まれで2年前に百何歳でみまかられた世界的なダンサーで、暗黒舞踏の二大巨頭として土方巽と共に世界に知られています。足腰が動かなくなっても椅子に座って手だけで踊るという終生のダンサーです。また、戦争体験をされているO氏は、みずからの踊りを供者に捧げるという心で踊っておられたようです。

O氏と寒山拾得

2012-11-16 20:06:43 | Weblog
今回の作品のモデルになっているのは故・大野一雄さんです。実は私が寒山拾得を描き始めたのは、このO氏の影響が少なからずありません。私は実際はO氏にお会いしたことはありませんが、17歳の時、氏の姿を映像で目撃して大変ショックを受けたのです。
それは全身白塗りで髪を振り乱した老人が、身体の底から声にならない叫びをあげているようであったり、優しく憂いをおびた姿であったり、とにかくあらゆるものが沈黙の内に溢れているような感覚を覚えたのです。超越した何かに触れて、それがなにであるか、その時の私には全く知り得ないものでしたが、心にその残像が棲みついてしまったのです。ある時、墨でドローイングしていたらO氏のイメージと江戸時代の曽我しょう白のイメージが重なるようなイメージを何枚と描きました。なぜ、そのようなイメージを描いたのかの説明はつきにくいのですが、私の中で両者が一致したのです。それは最初、全くビジュアルな面のみの結びつきだったのですが、後からO氏が曽我しょう白にシンパシーを感じておられる事を知りました。実際、作品に奇想の系譜の画家たちをプロジェクターで目まぐるしく投影した中で踊る舞台や、しょう白の描いた鬼女の屏風の前で踊られる事もされています。

私にとっての寒山拾得

2012-11-16 19:57:23 | Weblog
今となってはどちらを先に目撃したのか、いや、ほぼ同時期に目撃したのだと思います。曾我ショウハクの寒山拾得(興聖寺蔵)の絵と大野一雄先生の印象は、私にはまるで同一人物かのように結びついて離れないのです。
私にとっては、どちらもお会いする機会がなく、イメージの依り代として存在する人物です。寒山拾得については禅思想や絵画、詩というメディア、大野一雄先生は写真と映像というメディアによって今に伝えられ、共に私にインスピレーションを与える存在なのです。
私は禅宗文化や思想に興味をもっています。禅宗は日本に水墨画をもたらした日本絵画史上重要な文化です。日本における水墨画の原点を探るとき、東山御物に見られるモウリョウ画に直面します。禅宗は江戸時代にも白隠によって再興します。江戸時代の禅をテーマとした絵画は、東山文化の美意識とはまったく異なりますが、どちらも大変魅力的です。
大変高いハードルですが、胸をかりるつもりで、私なりにコツコツ挑みたい内容ではあります。

歴代天皇の書

2012-11-16 19:52:33 | Weblog
個展会場で、書家の島本さんにお会いしました。墨や筆、紙や裏打ちの話など聞いてみてとても興味深い話が聞けました。実は同日の朝、京都国立博物館の天皇の書の展覧会でお見かけしていた事に気が付きました。あぁ、そういえば...という感じで。島本さんはあと3回通います!と興奮しておりましたが、確かに僕もいい表具が沢山出ていて何度か通いたいなぁと、違う視点で同感しておりました(笑)正直言って、私などは書家の方が感じられる程の深い理解には及びませんが、解らないなりにも本物の雰囲気のもつ凄さや気品などにふれるよい機会なのでお奨めしたい展覧会です。いろいろな視点で観ることが出来て一度だけでは勿体ない内容ですよ。

もうりよう画2

2012-11-12 21:30:05 | Weblog
「もうりょう画」は減筆体といって筆遣いを制限して描きます。「墨を惜しむこと金の如し」というような最小限の表現で描きます。また、薄影(もうりょう)のようなという表現にあるように淡墨に僅かに濃墨を効かせるような描法で、描くことと描かないことのせめぎあいが絵に緊張感を生み出しています。どこか霞に消えるような存在感で、俄にはっきりとは見えにくい。それは実際、東山御物のもうりょうがを見たときに感じた印象でした。しかし、このもうりょうが。減筆は同じ内容の絵でも、余白の取り方、モチーフのサイズ感で全く絵のレベルが変わってしまう恐ろしいものです。上手くいったときは奇跡のように思えるし、同じような心持ちで描いたつもりでもつまらないものを描いてしまったと落胆してしまうこともあります。およそ意気込み過ぎると硬いし、気が抜けすぎたら締まらない。描くことを制限することは、みえないものを描くこと、みえないレベルの仕事をすることへと意識が働く。もうりょうがの内容を誤読も含めて受けとめて、僕なりのもうりょう
がを模索してみました。

もうりょうが

2012-11-12 21:05:12 | Weblog
今回の展覧会はすべて水墨画で出品しています。主に黄色い唐紙の生紙に描き、全て同じサイズの作品が並びます。古典に倣いながらいくつかの技法で描いています。寒山拾得は私にとって以前から興味深い画題でした。この画題は禅宗絵画の有名な画題です。禅宗絵画は日本における水墨画のはじまりであり、このテーマに取り組むにあたり日本の水墨画についてあらためて考えてみたいと思ったのです。今回はその第一段といったところです。日本の水墨画について辿りながら、富岡鉄齋、池大雅、与謝蕪村、伊藤若冲、曽我しょう白、俵屋宗達、長谷川等伯、雪村、雪舟と遡り、室町時代の東山御物へと至って「もうりょう画」に出会いました。「もうりょう画」は知融という画家にはじまり、中国宋時代の画家である牧谿、玉澗を経て、日本では狩野派の草体山水画の基準となり、長谷川等伯の国宝「松林図屏風」もその影響下にあるといわれています。「もうりょう画」に学ぶことで得るものがあるように直感しました。

寒山拾得2

2012-11-11 17:46:24 | Weblog
寒山は唐時代の詩人ですが、南宋時代の禅宗の水墨画や元時代の顔輝などの作品が本格的に絵画化されてゆく契機となります。実在した頃からその間に数百年の隔たりがある訳ですが、そこに様々な解釈や自由な想像を受け入れる素地が生まれたのだと思います。実在した事実と伝説による存在の不確かさが、二人の人物をさらに不思議な存在たらしめ、そこにも面白さがあるように思います。また、二人という対の関係性も、どのように描くかという要素として想像力を膨らませてくれます。

京都で個展はじまりました。

2012-11-10 10:36:04 | Weblog
昨日から京都のガケイギムレットで個展がはじまりました。今日(11/10[土])は14時くらいから滞在予定です。
近くの北野天神さんのもみじ苑が公開され、今月はイベントもいろいろあるようです。京都の行楽に是非ガケイギムレットにもお立ち寄りください。
詳しい展覧会情報はガケイギムレットのHPをご覧ください。