昨日はジャック秘密会議(トークショー)
昼は京博の常設と三十三間堂に行きました。久々の三十三間堂。 懐かしい威圧感が私を襲う…
私は何かと仏と縁があるなとあらためて思う。小学校の低学年から家族で西国さん巡りや関西の寺社を毎週の様に家族で廻っていた。宗教団体には属せず、そのテの誘いはうまく敬遠していたが、父は熱心な仏教者?だと思う。
ある日、仕事場の消却場から捨てられていた小さな仏像を拾って帰って来た。年代物でもなんでもない既製の仏像だと思う。その汚れた仏像を綺麗に拭って子供箪笥の上に自家製祭壇を木材で作り、緞子や空海像、安物の印刷仏画等を飾りたてMY仏壇を作ってしまった。子供ながらに「なんじゃコリャ」と思いつつちょっと不気味でした。
いとこの家の仏壇とかも子供にはなんか怖いもの。別世界の入口みたいに感じて近寄りたくなかったのに、その日から隣で寝なくてはならなくなったのだから「えーっ」てなもんです。父は毎日朝晩欠かさず、始めはお経のテープを仏壇に向けてかけていた。ある日どこかの住職が家に来て、その仏壇にお経をあげにきたときがあった。父は住職に「下手でもなんでもお経は自分であげた方がよい。」と言われ、翌日からテープと一緒にお経をあげはじめた。最初は「ワシは歌は音痴」と自称するだけあって、テープとはズレていた。ひどいもんだと思っていたが、しかし毎朝晩欠かさずしていると次第に暗記して完全に覚えてしまった。
そして毎朝晩隣で布団で寝ている私はお経で眼が覚め、お経で眠っていた。そしていつしか私も暗記してしまっていた。門前の小僧というやつである。仏壇に燈された蝋燭の光を布団を被りながら下から朧に綺麗だなーと眺め寝入る。眼を開けても蝋燭の光が闇の中燈る景色に不思議と癒されていた。
寺社巡りは子供には退屈なもの。住職と遅くまで話す事もあったので、あまりの暇さに寺で絵を描き出した。始めは大津絵、そのうち仏画や仏像を描き始めた。地蔵や青や黄不動を描いた事を覚えている。
中学以降は寺社巡りは私は行かなくなったが、父の仏壇は今も変わらず同じ場所で、毎日二回お経が上げられている。
そんな私が嵯峨芸(大覚寺学園)に入り、仏画を模写し、今また別の関わり方で日々仏画に接している。
昼は京博の常設と三十三間堂に行きました。久々の三十三間堂。 懐かしい威圧感が私を襲う…
私は何かと仏と縁があるなとあらためて思う。小学校の低学年から家族で西国さん巡りや関西の寺社を毎週の様に家族で廻っていた。宗教団体には属せず、そのテの誘いはうまく敬遠していたが、父は熱心な仏教者?だと思う。
ある日、仕事場の消却場から捨てられていた小さな仏像を拾って帰って来た。年代物でもなんでもない既製の仏像だと思う。その汚れた仏像を綺麗に拭って子供箪笥の上に自家製祭壇を木材で作り、緞子や空海像、安物の印刷仏画等を飾りたてMY仏壇を作ってしまった。子供ながらに「なんじゃコリャ」と思いつつちょっと不気味でした。
いとこの家の仏壇とかも子供にはなんか怖いもの。別世界の入口みたいに感じて近寄りたくなかったのに、その日から隣で寝なくてはならなくなったのだから「えーっ」てなもんです。父は毎日朝晩欠かさず、始めはお経のテープを仏壇に向けてかけていた。ある日どこかの住職が家に来て、その仏壇にお経をあげにきたときがあった。父は住職に「下手でもなんでもお経は自分であげた方がよい。」と言われ、翌日からテープと一緒にお経をあげはじめた。最初は「ワシは歌は音痴」と自称するだけあって、テープとはズレていた。ひどいもんだと思っていたが、しかし毎朝晩欠かさずしていると次第に暗記して完全に覚えてしまった。
そして毎朝晩隣で布団で寝ている私はお経で眼が覚め、お経で眠っていた。そしていつしか私も暗記してしまっていた。門前の小僧というやつである。仏壇に燈された蝋燭の光を布団を被りながら下から朧に綺麗だなーと眺め寝入る。眼を開けても蝋燭の光が闇の中燈る景色に不思議と癒されていた。
寺社巡りは子供には退屈なもの。住職と遅くまで話す事もあったので、あまりの暇さに寺で絵を描き出した。始めは大津絵、そのうち仏画や仏像を描き始めた。地蔵や青や黄不動を描いた事を覚えている。
中学以降は寺社巡りは私は行かなくなったが、父の仏壇は今も変わらず同じ場所で、毎日二回お経が上げられている。
そんな私が嵯峨芸(大覚寺学園)に入り、仏画を模写し、今また別の関わり方で日々仏画に接している。