「座辺師友」とは先に読んだ魯山人三部作の中にあった言葉で、ざっくりいうと身の回りにあるものからは益を受けるのだから身辺・日常にはよい師友をおけという事でもある。
湯呑みひとつにしても日常使うものであれば、ありあわせよりは気の合うものの方が幾分良い。そういえば故・有元利夫さんは魯山人の湯呑みを使っていたそうだが、まだ駆け出しの頃、骨董商に自分の作品と交換して欲しいと進言したという話を聞く。
ふと京都現代美術館に行き、地下の魯山人室でこの言葉が目に止まったのだ。因みにメイン展示はMAYAMAX展。十牛図がテーマ。当日は建仁寺の禅居庵でライブペインティング。会場はたくさんの人で埋まっていたが、本人は観客と話しながら100号のキャンバスに一頭の牛を描いていった。2歳児のヤジを笑いに変換しながら会場全体と終始トークしながらで飽きさせない。むしろ描く事が話のネタになっていて、トークライヴショーに近いんじゃないかと思わせる。時間は約50分でしたが、終始会場を楽しく盛り上げながら、更に説明しながら絵を描くって難しいですよ。ちょくちょく近くにいたセキユリヲさん?に話かけながらやってたけど、いやー、ナイスパフォーマンスでしたよ。だって面白かったから。
湯呑みひとつにしても日常使うものであれば、ありあわせよりは気の合うものの方が幾分良い。そういえば故・有元利夫さんは魯山人の湯呑みを使っていたそうだが、まだ駆け出しの頃、骨董商に自分の作品と交換して欲しいと進言したという話を聞く。
ふと京都現代美術館に行き、地下の魯山人室でこの言葉が目に止まったのだ。因みにメイン展示はMAYAMAX展。十牛図がテーマ。当日は建仁寺の禅居庵でライブペインティング。会場はたくさんの人で埋まっていたが、本人は観客と話しながら100号のキャンバスに一頭の牛を描いていった。2歳児のヤジを笑いに変換しながら会場全体と終始トークしながらで飽きさせない。むしろ描く事が話のネタになっていて、トークライヴショーに近いんじゃないかと思わせる。時間は約50分でしたが、終始会場を楽しく盛り上げながら、更に説明しながら絵を描くって難しいですよ。ちょくちょく近くにいたセキユリヲさん?に話かけながらやってたけど、いやー、ナイスパフォーマンスでしたよ。だって面白かったから。