よもやま解体新書

山下和也の制作、見聞記. 北へ西へ南へ。

ふたつの国宝

2013-01-29 20:14:35 | Weblog
東京国立博物館の東洋館と常設展示を見てきました。東洋館はリニューアルオープンで、中国絵画の優品が多く出品しており、堪能しました。
また、常設展示では南宋時代の中国絵画の優品が並び、見応えありました。光琳の風神雷神や若冲の鶏の屏風、佐竹本の住吉大社という珍しい場面、下村観山の弱法師などこちらもなかなか楽しい展示でした。国宝展示室には松林図があり、人だかりが絶えません。前回の展覧会の作品制作中から能楽の事が関心から離れなくて、この松林図についても松風という能楽の演目が浮かんできます。能楽は舞台で身体が舞い、囃子が鳴り、幽玄なるものを湧出させるものかなどと勝手にイメージを膨らませるのですが、松風は二つの身体が松籟として舞う演目で、そうすると何だか松林図の松が身体に見えて舞っているようにみえるのです。また、松林図の少し不可思議で少し不気味な雰囲気は幽玄という言葉が合わなくもない。この絵は近づいて見ると筆触は見えても対して驚くような魅力に乏しい。しかし離れて見るとなんとも不思議な魅力を放つ。何故かと思い近づいても肩透かしを喰らう。しかし再び離れるとまたその魅力がたち現れる。松林図は松林を描いているのだが、松をさほど描いてい
るわけではない。松ではないものがその主役であり、主役は具体的には姿を持たずに秘されている。しかし、等
伯は確実にそれを描いている。再び近づくと松の周辺には何を描いているでもない筆触がみられる。離れるとそれは松籟にも奥にある松にも見えてくる。しかし、実態はない。それが何であるかと近づいてゆけば、只の筆触しか見えない。あるいは紙の白でしかない。この絶妙な曖昧さは松林図の持つ魅力であり、日本人の感性に最も響く国宝絵画のひとつである勘所と思っている。
同時期、根津美術館では国宝 那智瀧図が展示されている。大和絵で御神体で風景であるこの絵には松林図のような曖昧さは全くない。しかしこの作品もまた、日本人が好む国宝絵画のである事に疑いはない。少し俯瞰で捉えた構図は客観的視点を持ち、暗闇に掛けられた那智瀧図はまさにそこに瀧があるかのような佇まいを持っている。ただし、この作品は単なる客観的視点によって捉えた作品ではない。宗教絵画の持つ荘厳さを持っている。しかしそれが何故風景画でなく、御神体として感じられるのかは言葉にし難い。
どちらも見る度に深まるような懐の深さがあり、離れがたい作品です。