よもやま解体新書

山下和也の制作、見聞記. 北へ西へ南へ。

大阪~京都

2009-06-22 22:09:43 | Weblog
大阪民藝館の「茶と美」展を観る。駒場の民藝館の名品。柳宗悦の茶会のしつらえ等がイメージできる構成。柳が何を選び出したか。また、取り合わせなどにみる美観。柳のそれは趣味ではなく、民藝の価値感を決めるものであるから、ただ善いものを選び出すというのではなく、自分の主張(思想)を説得力のある後押しをしてくれるものでなくてはならない。
今回、あらためて感じたのは、江戸はともかく、昭和等の同時代のものが意外に多いという事だ。また、濱田や芹沢のような作家とは違う選択眼が感じられる。
大阪民藝館は駒場や倉敷のように、建物自体が民藝ではない。万博に併せたパビリオンであった。しかし、ここの常設はスリップウェアとグレゴリオの部屋、そばちょこの部屋、そして天井の高い最後の部屋と、いつ来ても見飽きない。ものの良さもあるが、平坦な空間故に展示がもたらす空間の変化が如実に感じられる。

民藝館を後に、京都で藤岡雅人さんの個展と西田隆彦さんの個展に行く。藤岡さんは来客と難しい話をしてたのだが、作風はえらい変わっていた。造形は変わっても心象が作品にそのまま出る素直さは変わらないのが藤岡さんだと思う。
西田さんは描き込みと同時に世界感の広がりが、内しょう的な感じからスケールアップして、大きな物語に膨らんでくる感じがした。意外にもニュートロンでの初個展だそうです。
みなさん元気でなによりでした。

倉敷 岡山

2009-06-17 18:24:39 | Weblog
倉敷には4回目になる。倉敷民藝館には行けなかったが、土地勘も出て来て馴染みの場所に寄る。
 
大原美術館の東洋館は建物含めて楽しめる。他には麗子像、マチス、藤田、サム・フランシス、マイヨールも楽しみ。
工房IKUKOは作家のうつわのラインナップが人気作家が多い。なかなかこちらでは見ないものも見れてよかった。
倉敷帆布も丈夫でシンプルで愛用している。今回は同じタイプの黒を買う事にした。
三宅商店のカラフルなマスキングテープもいくつか買う。
民芸融は小鹿田や読谷、倉敷硝子などあるが、なかなかよい感じ。いくつかある倉敷硝子のシンプルなものの中で、手に合うものと少し小ぶりなものを買う。夏に向けて少し硝子が嬉しい。
 岡山に泊まり、朝から後楽園を散歩。白蓮が少し咲いているかと思えば、紫陽花と花菖蒲が満開。暑いさなかの涼しい色合いに爽やかな心地がする。
岡山県立美術館は朝鮮絵画の大展覧会。巡回して岡山に来たのだが、これがなかなかよく揃えたものだと感心してしまう内容。1時間という短時間だがとても充実してました。
今回、倉敷民藝館や郷土玩具館には行けなかったが、岡山の展覧会は倉敷民藝館と合わせて、後期にもう一回行ってもいいな。

今日のごはん(日常茶飯事?)

2009-06-08 12:02:46 | Weblog
フィリピンのスクエア笊?籠?を買った。土産品でなく民具として使っていたため、編み込みもしっかりして丈夫。飴色に艶が出ていて何か使ってみせろと触発させられた。いろいろ使えそうだが、手始めに食卓使いしてみた。高さは漆の足付きの丸盆があり、ちょうどよいあんばいになった。
という訳で遠出する日はちょっとしっかり。昼ごはんのような朝ごはんです。

献立

・白飯/読谷焼呉須絵付
・豚肉とお揚げの野菜炒め直島セブンビーチソースかけ/小石原焼
・ポタージュスープ/春慶塗椀?
・ごまわかさぎ/鳥(鳶?)陰刻豆皿
・野沢菜/織部豆皿
・コーヒー/唐津焼き松に千鳥
・その他
・曙塗り箸、唐津どぜう箸置き、ポシャギコースター、アタのコースター

日常茶飯事

2009-06-07 22:40:58 | Weblog
京都の北大路にある高麗美術館に行く。小さな美術館だが、朝鮮美術専門の展示で個人的にはとても好きな美術館のひとつ。今は螺鈿と青磁の展覧会。螺鈿にも朝鮮美術特有の愛らしさがある。朱い漆に螺鈿で鶴を配した机は、鮮やかな晴レの感覚が、見ているだけでこちらも明るくなってくる魅力がある。
漆といえば、先日、朱漆の木杯をいただき、後日名前入りの箸をまた別の方からいただいた。
奈良博で小さな香袋を買ってみれば、ふとまた素敵な香袋をいただいた。ひとがひとを引き合わせるように、モノもモノを引き合わせるのだろうか。ひとつ動けば、連鎖的にいろいろなものが付いてくるような感じ。
 最寄りのアートスペース感の岩崎絵里展は表具師の村山さんとの組み合わせが楽しい。シンプルな人物像に仕立てが心地よく世界感を広げてくれている。
京都伊勢丹では山本太郎展。偶然に作品解説とグッズ販売をしている時間帯で太郎さんにあって久々に話をした。今回の集大成から、新たなニッポン画の進路に対する期待は高まる。

週を変えて、国立国際美術館に巡回した杉本博展と姫路の橋本関雪展に行く。杉本博は金沢でも観たが、今回は展示の仕方を観に行くつもりだ。金沢での展示が良すぎたのもあるが、今回は何か縮小されたように感じた。金沢に観に行けた事は、今思えばラッキーだった。同じ内容で、モノ自体のクオリティはなにひとつ変わらないのに、こうも印象は違うのかと思ってしまった。
姫路は遠いが、ここの煉瓦作りの美術館はなかなか素敵なたたずまいをしている。関雪展は9割が絹本で半分以上は屏風という内容で、所見出来たものもあり良かった。僕の関雪の印象は淡彩で運筆に任せて色は補助的に仕上げていて、熱烈な中国文人趣味。故事と動物画に佳作ありという見解。食い足りなさとギリギリのところの緩急と、この時代の画家の自由さは考えさせられるものがある。
元町の古道具屋MARNIは少し着くのが遅く、既に閉まっていて間に合わなかったが、下階の店でベトナムのアルミ製デザートフォークと四国のお菓子屋から出た、硝子の小さなゼリー型を見つけた。アルミ製品もステンレスが普及して作られなくなってきているようだ。このうすーい軽さがなかなかよくも感じられるのは、進化か後退かいささか疑問でなくもない。
自分の中の何かにひっかかるそれは、一体何にひっかかったのかを手にしてふと考える。日常に使う行為の中で選び、並ぶそれらは食卓インスタレーションというと言いすぎだから、まんまの前のままごととでも言おうか。このまんまごとは実は師辺座友の楽しみがある。食卓が少しずつ楽しい勝負の場になる。
 これって拡大解釈すれば、作品が料理で美術館がうつわで、コンセプトは今日の食卓という事でしょうか。
うーん、日常から生まれるものはどこへと辿りつくのか。はたまた、その作品は日常にいかに返礼するのか・・・どちらも人あってこそのものであるけど。