大阪民藝館の「茶と美」展を観る。駒場の民藝館の名品。柳宗悦の茶会のしつらえ等がイメージできる構成。柳が何を選び出したか。また、取り合わせなどにみる美観。柳のそれは趣味ではなく、民藝の価値感を決めるものであるから、ただ善いものを選び出すというのではなく、自分の主張(思想)を説得力のある後押しをしてくれるものでなくてはならない。
今回、あらためて感じたのは、江戸はともかく、昭和等の同時代のものが意外に多いという事だ。また、濱田や芹沢のような作家とは違う選択眼が感じられる。
大阪民藝館は駒場や倉敷のように、建物自体が民藝ではない。万博に併せたパビリオンであった。しかし、ここの常設はスリップウェアとグレゴリオの部屋、そばちょこの部屋、そして天井の高い最後の部屋と、いつ来ても見飽きない。ものの良さもあるが、平坦な空間故に展示がもたらす空間の変化が如実に感じられる。
民藝館を後に、京都で藤岡雅人さんの個展と西田隆彦さんの個展に行く。藤岡さんは来客と難しい話をしてたのだが、作風はえらい変わっていた。造形は変わっても心象が作品にそのまま出る素直さは変わらないのが藤岡さんだと思う。
西田さんは描き込みと同時に世界感の広がりが、内しょう的な感じからスケールアップして、大きな物語に膨らんでくる感じがした。意外にもニュートロンでの初個展だそうです。
みなさん元気でなによりでした。
今回、あらためて感じたのは、江戸はともかく、昭和等の同時代のものが意外に多いという事だ。また、濱田や芹沢のような作家とは違う選択眼が感じられる。
大阪民藝館は駒場や倉敷のように、建物自体が民藝ではない。万博に併せたパビリオンであった。しかし、ここの常設はスリップウェアとグレゴリオの部屋、そばちょこの部屋、そして天井の高い最後の部屋と、いつ来ても見飽きない。ものの良さもあるが、平坦な空間故に展示がもたらす空間の変化が如実に感じられる。
民藝館を後に、京都で藤岡雅人さんの個展と西田隆彦さんの個展に行く。藤岡さんは来客と難しい話をしてたのだが、作風はえらい変わっていた。造形は変わっても心象が作品にそのまま出る素直さは変わらないのが藤岡さんだと思う。
西田さんは描き込みと同時に世界感の広がりが、内しょう的な感じからスケールアップして、大きな物語に膨らんでくる感じがした。意外にもニュートロンでの初個展だそうです。
みなさん元気でなによりでした。