よもやま解体新書

山下和也の制作、見聞記. 北へ西へ南へ。

ホタルのひかり

2011-06-28 21:16:09 | Weblog
蛍を見た。
数年ぶりに見たのか、イメージにある蛍と現実に目の前にいる蛍は違っていた。蛍の光は儚く、美しかった。闇夜に飛び交うやさしい光。そういえば、10年くらい前に沖縄の八重山で見た蛍は、蒼白く、早いテンポで点滅していた。
前回の個展に描いた山水の中にも小さな光が飛ぶ作品があったが、その光の様が、目の前の蛍の光とふと繋がった。

ある日やまのなか

2011-06-27 22:30:58 | Weblog
鹿児島県霧島市。
連日の雨、晴れの日も突然のスコール。
その名の如く、霧の世界。
みどりが深く美しい。
山は呼吸しているかのように、霧を吐く。
木々は風に揺れて踊る。
ある日森の中、瓜坊と穴熊と鳥たちの歌声。
火山地帯。桜島遠望。
美味い酒肴。
温泉。

日本。

山水雑感2

2011-06-09 18:02:30 | Weblog
これは山水画なのか?と思ったのは自分の中で、山水画というものが、未消化であるからです。山水画についての解説はいろいろあります。しかし、その事が自分にとっての山水の答えではありません。僕にとって、あらためて山水というものをとらえ直してみる事とは、描くという事でしかありえません。自分が描いた絵をみながら、「?」がついたのだから、自分にとって「山水」という言葉に「?」がつかなくなるまで、僕はまだ山水を描いて行かねばなりません。
そんな中で、描くという実践から得られたヒントがありました。
それは「山水」という言葉にある、まさしく「水」の存在です。
日本画には、用途別に様々な筆が存在しますが、そのかなめに水の使い方があります。水を使うには、実は大気や時間も使う必要が技術的に不可欠です。今回、技術としてもそうですが、モチーフとしても、大気や水や時間が重要な要素として現れました。線で描くにも、絵具で描くにも、不定形ゆえに自由であり、自己表出が起こりやすいと感じます。このうつろうものの中に、僕の「山水」に対するひとつの示唆があるような気がしています。