久々に仕事で滋賀に帰りました。
相国寺の若チュウ展も京博の展覧会に出ていなかったものを含め、襖絵の再現展示も楽しめました。襖絵は余白をしっかりとっているのに空間が充実していて、とても勉強になりました。動植彩絵の極彩色の空間を埋め尽くす作品や舛目描きとは反対に余白たっぶりで空間把握の確かな水墨襖絵も堪能でき、制作意図の的確な切替が感じられると思います。舛目描きを見ていつも想うのはウンゲン彩色の事です。ウンゲンは仏を荘厳する彩色技法であり、色はエレメントであり、光であるから、画面全てをウンゲン化するという事は世界の全てを(空気さえも)荘厳する事にほかならないのではと思うのです。世界を荘厳するというのは動植彩絵にも感じるところです。
彩雲堂に久々に訪れ、筆を見せてもらっていたら、兎毛の面相筆(毛描き筆)と鼬毛の連筆を入手しました。この連筆は毛が少し固く、毛先は捌いているのですが、空刷毛の要領でぼかしに有効な感じがします。山馬と比べると、含み、固さ、毛の纏まりは優しい感じはしますが、羊毛の連筆とは全く別物といった感じがします。羊毛よりも荒いが毛が強いので、岩絵具にも有効かもしれません。水墨にもよいかと思います。うまく使いこなしたいものです。
相国寺の若チュウ展も京博の展覧会に出ていなかったものを含め、襖絵の再現展示も楽しめました。襖絵は余白をしっかりとっているのに空間が充実していて、とても勉強になりました。動植彩絵の極彩色の空間を埋め尽くす作品や舛目描きとは反対に余白たっぶりで空間把握の確かな水墨襖絵も堪能でき、制作意図の的確な切替が感じられると思います。舛目描きを見ていつも想うのはウンゲン彩色の事です。ウンゲンは仏を荘厳する彩色技法であり、色はエレメントであり、光であるから、画面全てをウンゲン化するという事は世界の全てを(空気さえも)荘厳する事にほかならないのではと思うのです。世界を荘厳するというのは動植彩絵にも感じるところです。
彩雲堂に久々に訪れ、筆を見せてもらっていたら、兎毛の面相筆(毛描き筆)と鼬毛の連筆を入手しました。この連筆は毛が少し固く、毛先は捌いているのですが、空刷毛の要領でぼかしに有効な感じがします。山馬と比べると、含み、固さ、毛の纏まりは優しい感じはしますが、羊毛の連筆とは全く別物といった感じがします。羊毛よりも荒いが毛が強いので、岩絵具にも有効かもしれません。水墨にもよいかと思います。うまく使いこなしたいものです。