よもやま解体新書

山下和也の制作、見聞記. 北へ西へ南へ。

華と仏画

2010-02-22 23:25:21 | Weblog
京都の新京極にある浄土宗寺院の誓願寺。ここの社務所で嵯峨御流の境将甫さんの社中展があった。韓国人の画家、金ミンさんの作品と展示して花供養というテーマ展だった。
金ミンさんは京都芸大で日本画と模写を学び博士号を取得して、現在は韓国と日本で活躍している。将来、必ず母国に貢献するであろう人材である。彼とは大学時代からの仲である。
作品は仏像を描いたり花や草虫を描いた作品が主で、全て軸装に仕立てている。
華展のテーマと場所、作家の選出は的を得てるし、社中展とは思えない規模のないようだったが、絵と華が旨くかみ合っていたのはメインの一点だけのように感じられたのは少し残念でもある。華も豪華で花器も洒落ていて面白い、絵も丁寧で真摯な作品で良いと思うが、それぞれ孤立しているように感じられなくもない。いや、寧ろメインの一点があまりにも良かったのでそう感じたのだろうか。テーマも、空間への配慮も、コラボレーションという点でも、その一点がとても見ていて気持ち良かった。
コラボレーションというのは互いの力が引き出されて何かを生じさせるものでなければ面白みに欠けるものであるから、なかなかに難しい。

かくいう僕も5年前に襖絵を描き、そこでいけばなの社中展をされたので、同じようなことをしたのであるから難しさは承知である。ただ、その時の襖絵の傍に拝された華は、絵と対話するようにいけられていたように思う。個性の違いといえばそれまでであるが、ここにはそれぞれの花の在り様の違いがあるのだなと感じるものがあった。

それから5年がたち、4月のはじめにまたそこで社中展が開かれることになった。
前回は秋であるが、今度は春である。
お寺のような大きな空間ではなく、生活をしている自宅である。
主は襖絵のある空間で5年の時を経たことになる。
春の日に、あえて家の中で花見をするというある種の贅沢。

今回もその社中展に作品をいくつか貸し出すことになっていますので宜しければご高覧いただきたくおもいます。
どのように作品や襖絵が活かされるか。僕も楽しみにしています。

詳細はまたブログにて。







ひびのキセキ

2010-02-19 19:41:52 | Weblog
すっかりブログをさぼってしまい申し訳ありません。
年明けから九州に行ったり倉敷に行ったり、いろいろと駆け回りながら年度末真っ只中の今に至ります。


国立国際美術館の「絵画の庭」展や高麗美術館の「朝鮮虎」展などを見て廻り、ドローイングを繰り返しながら合間で絹を枠に張りつつ、描くことについて自問する。

息抜きに立ち寄った本屋で、たまたまジョン・ルーリーの画集を見つける。(ワタリウム美術館で展覧会中.)
彼はジムジャームッシュの映画の俳優でミュージシャンだった。病気がもとで足をあらったが、一人で出来る絵筆に持ち替えて地道に制作していたという。
日記のような個人的な内容だが、画面にはいとも簡単に楽器から筆に持ち替えただけかのように表現がそこに成立していた。自分の世界を持ち、表現媒体が変わってもジョン・ルーリーここにありという気概が感じられる。

 その日、一度近くに寄ったら訪ねようと思っていた町屋カフェに立ち寄った。
カフェというより友人のお宅に訪問という感じ。客は片手もいない。少し高くした天井とささやかなしつらえ。メニューも僅か。注文してからゆっくりと出てくる。ただ待つだけの時間をそこで過ごす。このゆっくりとした時間こそが、なによりの贅沢なのだ。
土壁と庭から入る光と長押に少し並ぶ小さな置物達。

みるという行為の中で、何をどう見て感じるのかというあたりまえのような事が自分の中で静かに更新されていた。

日々の中のそこかしこにある奇跡!
鮮烈であっても穏やかであっても、確かにそこにある世界を僕は感じとり、僕の中にある何かが少し後押しされて、ちょっと幸せな気持ちになった。

最近、早出をするので琵琶湖越しの朝焼けを眺めています。
冬の朝は空気が澄んで、太陽があたたかくて気持ちいい。