よもやま解体新書

山下和也の制作、見聞記. 北へ西へ南へ。

身辺整理

2005-06-28 06:24:44 | Weblog
先日、以前ライブペイントした守山のCafe'Branche'のオーナーから手紙が届いていた。もちろん店に作品を数点置く約束をしている事は忘れていない。妙蓮の咲く頃までには納めたい処です。
ジャックの制作回想記はまだまだ更新する予定だけどそろそろ次のステップを踏まなきゃいけない。ジャックを経て、11月の二人展の出品プランが大筋イメージ出来た。

新しく何かを始める時はまず身のまわりの整理からだとつくづく思う。床に広がる絵皿を一気に洗い、少し棚等動かしてライトテーブルを設置した。このライトテーブルは学生時代に模写室の先輩の父親が作ったものであったが故あって私が譲り受けたものである。引っ越ししてすぐにジャックと仕事のピークで多忙していたので部屋が未整理のまま混在している。実は衣装ケースも先週買ったところで衣服の梱包もまだ未開封のものがあった。月日がたつのは早いですから、あんまり休んでもいられない。まずは部屋をきちんと整理しよう。それからいろんな事を整理しよう。ひとつずつ確かに。

ジャック反省会

2005-06-24 06:51:25 | Weblog
先週の土曜日、ジャックの反省会が開かれた。私はその日、大阪で高校時代の友人の追悼会に参加していて少し遅れてその場に着いた。
友人Yはバイク事故で25歳で世を去ったのだが、その人生は本当に眩しかった。誰からも愛されるようなステキな人で追悼会には多くの友人が集まった。ホテルの会場ではYの作品や写真、旅の手記や愛用品、劇団で毛皮のマリーを主演した映像や双子の兄の結婚式に三味線を手に「花」を歌うYがいた。皆もちろんYの全てを知ってる訳ではない。私達の知らないYが会場には溢れていた。私はYの残したそれらに出会い、いつものように熱いパワーを貰った。彼の残したモノ達は紛れもなく彼の分身であった。彼は尾崎豊やジェームス・ディーンに強く魅かれていたが、彼自身がそのような事になるとは誰も思わなかった。Yの命日には私は自ら描いた仏画を前にしばし黙祷して彼の事を少し思う。今年はジャックの搬入前日で命日にY宅には行けなかった。
会場の中央にあるYの写真には皆からヒマワリの花が捧げられていた。不思議な事に誰もがYに最も合う花だと思っていた。太陽のように熱くあたたかい人だった。会場でtake freeになっていた彼の写真を少し貰う。この写真を見る度、私は少し熱くなれる。こうした機会を作ってくれたYの家族や友人に心から感謝致します。

会場を後に京都へ向かう。ジャックの反省会である。私は今回の作品に負い目を感じていた。今回の私以外の作家は力の限りを尽くした作品で挑んでいた。それに比べ私の作品が至らないものであった事は自明であり、そんなものしか用意出来なかった事はとても悔しかった。あらためて絵を前にして何一つbestと言える箇所が見当たらなかった。まだマシなのは構図くらいだろうか。それでもまだまだ余地がある。ともかく私は私自身に打ち勝っていないのだから、いぜんの話である。S君はバッサリ私の絵をきってくれた。他の作家も今回の私の作品には満足していなかったはずである。
反省会を通して様々な点で己の未熟さと同時に必要な事や可能性が確認出来た。
文博で行われた日本画ジャックはひとまず幕を降ろした。しかし自分の絵はまだ幕を降ろした訳ではなく、むしろ幕開けである。
カーテンコールで再びジャックの幕が開かれる予兆を感じつつ、私はあらたに筆を取り直す。

Yの姿がふと頭をよぎる…私はまだまだ走りきっていない。

Re:日本画ジャック(日)

2005-06-14 23:40:48 | Weblog
私のブログだけ日本なのに時差がありますが、日本画ジャック最終日回想。
土曜日の打ち上げ後、実家に久々帰り日曜はそこから会場へ。この日は本当に来場者が多く来てくれた知人友人にもあまり対応出来ずこれはこれで大変だった。参加作家のトークもあまり聞けずちょっと残念。本当に遠くから足を運んで来てくれた人達もいて驚きました。
ジャック最後のトークショーで皆このジャックという展覧会を簡単には言葉に出来なかった。それは作家にとっても未整理な程、多面体なものであったと同時に速断を避けたい思いがあったからだと思う。

今回あまりうまくトーク出来なかったが自分がどういう絵を描いているか、どんな能力があるかをこの個性豊かな作家達の中で改めて認識出来たような気がする。私は制作も模写と同様の視点に立っている事に気付いた。日本文化、美術等をその発生源から見直しそれを生み出した人達の夢想やイメージに自分も視点を同じくして再検証する。その点では同じ動機であり、ただビジュアルとして立ち現れ方が違うのだと思った。

ブログ一時中断・・・ 

Re:日本画ジャック(土)

2005-06-14 22:41:23 | Weblog
画面が大きくなる程ストロークが大きくなる。ストロークが速くなる程抑制も難しい。大勢が観る中でコチョコチョ描いていても手元なんて描いてる人の後ろ姿で見えない。やはり観られる事の意識やパフォーマンス性なんかも必要。近くで観たときの筆触と少し離れたときの形象の把握、大画面程それが際だつ。
結果としては向かって右から描き始め、立葵、菊、鶏頭、椿、梅、左は妙蓮、花菖蒲、あじさい、枝垂れ桜を描いた。
墨は二種(油煙、松煙)筆は円山派、刷毛、平筆、面相、書道筆等を使う。こうして客を集めたライブペイントも大画面も初めてで描いたモチーフも初めてのものだ。一番始めに描いた立葵からして初めて描いたんだから(笑)
実際立てて描くと目の前に白い壁があるわけで吸い込まれそうな気持ちと強い抵抗感と両方を感じます。また、寝かせて描くと重力で水が浸透していくのですが、立てると墨が垂れないように加減するのもあるが、思ったより浸透性が悪い。
運筆に型があるのかという質問がありましたが、確かに芥子園画伝(江戸期の文人画の教科書)とかあるけど私の場合は写生と印象が基盤です。そこから運筆が生まれます。確かに型も故人が写生より生みだし理にかなうもので感心しますが、それもそのものを自分で描いてみないとわからないし、でなければ型の型でしかなくなると思います。もちろん日本絵画そのものは我田引水して見事な作品を作っているのですが、それは型と別のリアリティが同時に生まれているからでしょう。
こちらの事情はともあれBGMもないのに40分近く描いたので人が居なくなったらどうしようなんて少し思っていたけど描き終えて振り返った時、大勢の方が最後まで観ていてくれた事が何より嬉しかった。
以前OPEN前のCafe'Branche'で描いた時はBGMが流れていて踊りながらリズムに乗って筆が運んだ。音楽含め空間によって生まれてくる絵も随分違ったと思う。今度誰かセッションしてみませんか(笑)

Re:日本画ジャック(土)2

2005-06-13 21:06:39 | Weblog
ライブペイントは彩雲堂の店主の材料学の話の後すぐに始まりました。運筆の話等も少しされていたようでその点は繋がりがスムーズでした。
今回は出品作の二曲一双の裏側に滲み止めなしの画仙紙を張り込んでいてそこに描いていきます。実際真白の二曲一双の空間を目の前にして一瞬思考が飛びました。表の四季花に対して水墨で四季の花を違ったかたちで描き出そうと思ったのですが、真白の二曲の空間がとてもキレイでびっくりしたのです。ただ立葵を描こうとふと思っていたのでまずはそこから始まりました。ライブペイントは余白との均衡の中で生まれていきます。描いたものと余白との間で次のものが生まれてくる。はじめに考えていてもあまり意味がない。いろいろな花を描けてもその時出てくる花が何かはその時次第です。

Re:日本画ジャック(土)

2005-06-13 20:39:21 | Weblog
ついに日本画ジャック閉幕。特に土日は大勢の方に来て頂き文化博物館の5階とは思えない入りでした。
土曜日はライブペイントにトークショー参加とイベントだらけ。ライブペイントは、たまたま無地のTシャツがあったので手描きして着てやろうと思い立ちました。朝からシャツに一人ライブペイントしてた訳です。で、四季の花を桜の花びら、鉄線、睡蓮、鶏頭、椿と配しました。自分で言うのも何ですがこれが意外といいカンジ。でライブペイントの時は始めるまで上に一枚羽織っていて、いざ始める時に脱いで四季の花のシャツを着た姿になる。ただ会場はどれくらいの人が気付いたかはわからないけど…
でもTシャツは結構メンバーや友達も「これやったら欲しいわ」言うてくれたんで嬉しかったです。日常に使えるのを作るって楽しいですよね。


回想9

2005-06-10 23:05:27 | Weblog
蓮は好きですし何かと縁がありますね。地元には蓮根饅頭なるものがあります。早朝、父と天竜寺まで開花の音を聞きに行った事や天竜寺、法金剛院に朝夕描いてました。守山に妙蓮という花が咲くのですが、ここもよく通い受付の人と仲良くなっていろいろお世話になりました。ここの人の紹介でOPEN前のCafe’Branche’のオーナーに会い店に約2メートルの鳥の水墨画を二点描きました。施工段階も見ていて店の中でライブペイント状態で大きな筆でさっと描いたのは体全体で筆を動かす感触がとても気持ちよくノリノリだったことを思い出します。Cafe’Branche’には今後小品を飾る予定なのでその際にはまたお知らせします。
妙蓮はスケッチもそこそこあるのでまとめてこれも作品化して発表したいな。