路隘庵日剰

中年や暮れ方近くの後方凡走

海底に時々波のきえる夜

2011年09月11日 | Weblog

 久しぶりに半日草取りをした。そんな日に限って暑くなる。いつまで暑いんだろう。

 そのあと、これまた久しぶりに畑へ。大根蒔かなければならないのだけれど、八月後半は雨ばかり降って、結局今頃になってしまう。まだ大丈夫だろうか。
 耕運機かけて、畝つくって、そのころになってポツポツと夕立っぽくなる。青空見えてるから驟雨ですむであろうと思い作業続けて、帰る頃になってだんだんと本降りの様相を呈してくる。耕運機転がして帰途に着き始めたころにマサニ夕立。ザーときてザッと降り止まないなかをガラガラ耕運機押して帰ってくる。久しぶりに体の芯まで濡れそぼつような雨中の行進。行過ぎる車からみんな奇異の目で見ているような気がして、誇らしくなる。サッカーではどんなに雨降っても試合中止になることはないのである、などと思いながら帰ってくる。
 ホント、久方ぶりに気持ちよかった。

 夜はまだまだ暑くてカナワン。これまた久しぶりに窓開けて寝る。
 疲れたせいか、知らぬ間に熟睡。
 4時に目覚めて、5時にお墓掃除。

 


夕間暮れ夕焼け夕月夕花火

2011年09月09日 | Weblog

 そんなわけで、まだ花火あげてるぞ。ホントうるさい。

 今日は峠を越えて配達。まだ日中は暑いな。昨日花粉症の薬飲んだら、眠くて仕方がない、ような気がするのだけれど車中ではそうでもなかった。眠いのは薬のせいでもないらしい。(というか、花粉、すごいな。)

 で、久しぶりにK堂へ寄ってしまう。
 いつもながら品揃えはいいんだけれど、高いからなあ。欲しいのはあるんだけれど、千円以上すると手が全然出ない。まあ一冊400円くらいまでだな、ワシが買えるのは。
 というわけで、引っ張ったり崩したり、戻したり積んだりしていると、オヤジさんが「ちょっとお茶のみませんか。」と声かけてくれる。よっぽど閑だったのかなあ。
 しかし、古本屋のオヤジにお茶誘われるなんて、ワシ、ステージ一個上がった気分だなあ。
 で、レジ前に出してくれた丸椅子に座って、しばし話す。でも、すごくギコチナイ。ギコチナイので話の内容は、抽象的というか高踏的というか、要するになんだかワカンナイ話に終始する。つまり、本屋は全然ダメだ、という話。ネットの普及とかそういった社会の変化が、といったどこでも聞く話と、最近本読む人がいない、というこれまたよく聞く話。この街にある大学の学生なんかほとんど来やしません、ダメですか、ダメですね。
 20分くらいは話したかな。途中、大学教授っぽい初老男性が入ってきて、ソッコーで5,6冊の本を選び、マイド、とレジに置いたのをシオに辞去した。(こういう本の買い方は、ワシ死ぬまで出来んだろな。)
 買ったのは、以下。
 小林勇『蝸牛庵訪問記』(1991 講談社文芸文庫)
 内田魯庵『魯庵の明治』(1997 講談社文芸文庫)
 田山花袋『東京の三十年』(1981 岩波文庫)
 「初期社会主義研究 第4号」(1990 弘隆社)
 雑誌「初期社会主義研究」は扉に、「恵存 須崎慎一様」と書き込みがある。この書き込みが無かったら買わなかったけどね。

 で、ビュンビュン飛ばして帰る。
 なでしこ、があるからね。

 なでしこ、お疲れ。
 マスコミのせいだな。

 


コンビニのバイトにおちて風駿る

2011年09月05日 | Weblog

 台風がずうっと居座り続けている。こんなに長い時間列島を蹂躙し続ける台風はあまり記憶にない。ほんとうに気持ち悪い。嫌な感じの日本である。

 台風が始まった頃、深夜の駅へ出かける。もちろん所用あって出かけたわけだけれど、待合室で20分ほど過ごす。
 ワシを含めて4人が待合室にいて、ワシ以外は皆20歳前後の男一人女二人。みんなケータイを手にしている。一人の女性、二十代前半、OLかもしくは女子大生か、が大声で電話している。深夜の公共の場でそれほど傍若無人になれるのもスゴイが、その内容が、友人がコンビニのバイトに落ちてそんなのシンジラレナイ、みたいな話なのだけれど、なんというか、その内容、話し方、挙措、さらには立居の様子すべてが、見苦しい。きちんと化粧してそれなりの顔立ちなのだけれど、そこにあるその有りようが、見苦しいというよりも、いつのまに日本人はこれほどまでに劣化してしまったのか、品格とかそういったもののはるか以前のレベルで、もはや修復不可能な劣化を目の当たりにした気がした。
 ま、人様のことは言えないが。

 日曜日は雨の中、峠を越えて土門拳展を見に行く。
 最終日のせいか大入りである。
 地方にしてはなかなかな量の展示であった。まだそれほど劣化する以前の日本人が見事に写されておりました。中で圧巻なのはやはり「筑豊のこどもたち」であったが、点数の少ないのがやや残念であった。
 だいぶ昔に土門拳のTVドキュメンタリーを見た記憶が蘇りましたが、晩年室生寺(?)だかの撮影で、車椅子から弟子たちを怒鳴りつけるさまは、まさしく鬼でありました。
 もっとも、晩年といっても、半身不随で10数年、その後意識不明のまま10数年というのはどう理解していいのか、理解というのもヘンですが、なにかと考えさせられることでした。
 満員の展示スペースはオバサマたちの団体多く、オバサマたちは土門が写した頃よりははるかに服装等小奇麗になっておりましたが、携帯電話高らかに鳴らされる方々等、その劣化はやはり隠しがたいものでありました。

 今日も、雨か。

 


晩成と云われて久し鰯雲

2011年09月02日 | Weblog

 9月だよなあ。早いというか、ようやく、というか。
 蒸し暑い。台風がくるとかで、そのせいか雨ふったりやんだり。ずっと空に雨袋があって、それが少し破れかかってるカンジ。ヤブレカブレだな。

 昨日までの昭和22年の新聞補遺。
 広告欄には、商店開店のお知らせが多い。殆どが閉店広告の今とはエライ違いだ。
 隅っこに「○○縣の皆さん」という小さな囲みがあって、「図書館の係は先生にも生徒にも大事なものを教えて呉れます。最近図書館へ行かれたのはいつですか?」とだけある。これは何だ?広告なのか、ただスペース埋めただけなのか。とてもスペースに余裕があったとは思えんが。広告だとしたら、誰が出してんだろう。
 やっぱり隅っこに、「白骨團体日取変更」という太字の囲み。なんじゃこれ、と思い、遺骨の収集のなにかか、それにしても白骨とは、と思ったけれど、どうやら白骨という温泉地への団体旅行の日取の変更、ということらしい、と想像する。当時の人はこれだけで判ったのかしらん。

 まあ、そんなこんなで、9月である。だからどうということもないけれど。

 9月と聞けば、でもちょっと落ち着くか。何がだよ、ということだけど。

 ともかく、9月だからね。
♪ 秋の気配/小田和正(オフコース)

 

 


蜘蛛の巣をはらって野分の朝の窓

2011年09月01日 | Weblog

 二百十日でちゃんと台風来るからなあ。台風は怖い。それから夕方また地震あったな。床がグラグラして驚いた。でも誰も気付かないからな。地震はもっとも怖い。

 昭和22年10月3日の新聞探検まだ続き。
 「機関士には栄養注射を」
 鉄道機関士の体調についての記事。「・・・歩行休憩、睡眠までを含めた消費熱量は二千三百七十一カロリーで消化不良二割を含めて最低三千カロリーが必要とするが、現在の食事情、労働条件を以てしては僅かに千八百カロリー内外であり、このまま経過すれば機関士達の身体はどうなるやもしれず特別措置を絶対必要としている。」

 「配給」欄
 「五,六両日養命酒を妊産婦一人に一本宛(百二十五円)
  二,三,四の三日間大根味噌漬一戸五百匁あて百匁四円で
  二日一般家庭用としてリンゴを配給する一人五十匁集成切符十七番で購入すること」

 新聞の日付は10月3日なのに一日、二日の公告が多いことに気付いた。ラジオ欄も10月2日分だし。ひょっとしたら先付けの日付とかいうことがあるのだろうか。
 ちなみに、ラジオは5時から9時半までで、番組は全部で9本。「放送劇・ジェーンエア」「音楽の世界 管げん楽」「街頭録音・インフレと貯蓄について」「炭鉱に送る夕」など

 「話の泉」という欄。クイズ欄だな。
 「次の略語は新聞紙上でよく見ますが、ホントの名称は?  農委 終連 経復 国連 食糧委 地労」
 「次の人々の職名は?  山川菊枝 三淵忠彦 松本冶一郎 ウィリアム、J,シーボルト」
 「次は海に住む動物の名だが、何と読むか?  河の豚 海の馬 海の鹿 海の豹 海の鼠」
 答えは翌日でるそうです。ちなみに、松本冶一郎はこの前放言して辞めた復興大臣のジイサンですね。

 その横に、「話の泉出題 その後の浦島太郎 応募解答は厳選の結果左の如く入選を決定」とある。
 その入選作。
 「自分の変わり果てた姿を嘆いた浦島太郎は再び竜宮行きを決意したが問題の亀は現れずついに果たしえなかった、とかくするうち生活苦に悩み職をみつけようとしたが、年寄りでは使い手もないので元の若さをとりもどすべく若返り法の研究に没頭その結果生まれたのが「白髪染」であった。かくて彼は白髪染本舗の主人となり後世を安楽に送った。」
 ふーん。

 と、そんなこんなで、まだまだいっぱいあるけれど、こんなところにしときますかね。
 ちなみに(ちなんでばかり) この新聞一部40銭 1ヶ月12円50銭。価格の前に必ずマルに公、という字が入っているのは何だろう。