路隘庵日剰

中年や暮れ方近くの後方凡走

夕間暮れ夕焼け夕月夕花火

2011年09月09日 | Weblog

 そんなわけで、まだ花火あげてるぞ。ホントうるさい。

 今日は峠を越えて配達。まだ日中は暑いな。昨日花粉症の薬飲んだら、眠くて仕方がない、ような気がするのだけれど車中ではそうでもなかった。眠いのは薬のせいでもないらしい。(というか、花粉、すごいな。)

 で、久しぶりにK堂へ寄ってしまう。
 いつもながら品揃えはいいんだけれど、高いからなあ。欲しいのはあるんだけれど、千円以上すると手が全然出ない。まあ一冊400円くらいまでだな、ワシが買えるのは。
 というわけで、引っ張ったり崩したり、戻したり積んだりしていると、オヤジさんが「ちょっとお茶のみませんか。」と声かけてくれる。よっぽど閑だったのかなあ。
 しかし、古本屋のオヤジにお茶誘われるなんて、ワシ、ステージ一個上がった気分だなあ。
 で、レジ前に出してくれた丸椅子に座って、しばし話す。でも、すごくギコチナイ。ギコチナイので話の内容は、抽象的というか高踏的というか、要するになんだかワカンナイ話に終始する。つまり、本屋は全然ダメだ、という話。ネットの普及とかそういった社会の変化が、といったどこでも聞く話と、最近本読む人がいない、というこれまたよく聞く話。この街にある大学の学生なんかほとんど来やしません、ダメですか、ダメですね。
 20分くらいは話したかな。途中、大学教授っぽい初老男性が入ってきて、ソッコーで5,6冊の本を選び、マイド、とレジに置いたのをシオに辞去した。(こういう本の買い方は、ワシ死ぬまで出来んだろな。)
 買ったのは、以下。
 小林勇『蝸牛庵訪問記』(1991 講談社文芸文庫)
 内田魯庵『魯庵の明治』(1997 講談社文芸文庫)
 田山花袋『東京の三十年』(1981 岩波文庫)
 「初期社会主義研究 第4号」(1990 弘隆社)
 雑誌「初期社会主義研究」は扉に、「恵存 須崎慎一様」と書き込みがある。この書き込みが無かったら買わなかったけどね。

 で、ビュンビュン飛ばして帰る。
 なでしこ、があるからね。

 なでしこ、お疲れ。
 マスコミのせいだな。