路隘庵日剰

中年や暮れ方近くの後方凡走

猫じゃらし握れば縞蚊群襲す

2011年09月17日 | Weblog

 もう、いつまで暑いんだか。

 先日連載(?)いたしました昭和22年10月3日の新聞に、「新刊紹介」として小さく載っていた、その新刊、を今回入手。三沢勝衛著 河角廣編『風土産業ー新しき日本のためにー』(昭和22年9月15日初版発行 昭和23年2月15日再版発行 蓼科書房)
 どうも奥付の発行者名など見ると、地方の篤志家というような人物がこの本を発行するために出版社の体裁を作った、みたいなカンジか。

 三沢勝衛(1985-1937)は、高等小学校卒業のみの学歴で検定試験により旧制中学の教員となって地理を担当。在野の地理学研究者として52歳で死ぬまで百二十余編の論文を執筆、幾多の専門科学者を育てたという人物。先の新聞の紹介文では「黒点観測者として有名な」という肩書がついている。
 ワシにとっては、地方において「坂の上」の時代に教養を以て立身しようとした人物たち(金井正なんか)のひとりとして興味がある。

 で、本書に新聞コピーが挟まれていて、朝日新聞1979年12月24日、月曜ルポ。(なんか昔の感熱紙コピーだから文字の消滅寸前である。)編集委員岩垂弘の署名記事。
 「没後42年 地方教師の著作集」という表題、「地理学に孤高の業績 思考力重視、人材育てる」という副題がついている。
 著作集、というのはその年みすず書房から刊行された全3巻のそれのことであるが、「中央の著名な学者でもない故人の著作集が、それも没後四十二年たって刊行されるのは、きわめてまれなことといえる。」 まあ、そうなんだろう。
 で、実はそれからさらに30年後、つまり一昨年(2009年)三沢勝衛著作集は全4巻として農村漁村文化協会から刊行されており、没後七十二年で再編集のうえの再刊というのはさらにまれなこと、といっていいのだろう。

 で、地理学、なのだけれど、これが現在の社会科の一科目ではなくて、完全に自然科学であるらしい。この記事から三沢の定義を孫引きすれば、
 「風土、すなわち地球の地理的表面、つまり大地、海洋と大気との接触面を研究する科学。この風土に関するあり得べきあらゆる種類の地理的事象を記述、収集、分類し、一つの統一ある系統にまとめ上げること、・・」ということであるらしいのでありますが。

 えと、また明日まで、あとちょっと続きます。