路隘庵日剰

中年や暮れ方近くの後方凡走

コンビニのバイトにおちて風駿る

2011年09月05日 | Weblog

 台風がずうっと居座り続けている。こんなに長い時間列島を蹂躙し続ける台風はあまり記憶にない。ほんとうに気持ち悪い。嫌な感じの日本である。

 台風が始まった頃、深夜の駅へ出かける。もちろん所用あって出かけたわけだけれど、待合室で20分ほど過ごす。
 ワシを含めて4人が待合室にいて、ワシ以外は皆20歳前後の男一人女二人。みんなケータイを手にしている。一人の女性、二十代前半、OLかもしくは女子大生か、が大声で電話している。深夜の公共の場でそれほど傍若無人になれるのもスゴイが、その内容が、友人がコンビニのバイトに落ちてそんなのシンジラレナイ、みたいな話なのだけれど、なんというか、その内容、話し方、挙措、さらには立居の様子すべてが、見苦しい。きちんと化粧してそれなりの顔立ちなのだけれど、そこにあるその有りようが、見苦しいというよりも、いつのまに日本人はこれほどまでに劣化してしまったのか、品格とかそういったもののはるか以前のレベルで、もはや修復不可能な劣化を目の当たりにした気がした。
 ま、人様のことは言えないが。

 日曜日は雨の中、峠を越えて土門拳展を見に行く。
 最終日のせいか大入りである。
 地方にしてはなかなかな量の展示であった。まだそれほど劣化する以前の日本人が見事に写されておりました。中で圧巻なのはやはり「筑豊のこどもたち」であったが、点数の少ないのがやや残念であった。
 だいぶ昔に土門拳のTVドキュメンタリーを見た記憶が蘇りましたが、晩年室生寺(?)だかの撮影で、車椅子から弟子たちを怒鳴りつけるさまは、まさしく鬼でありました。
 もっとも、晩年といっても、半身不随で10数年、その後意識不明のまま10数年というのはどう理解していいのか、理解というのもヘンですが、なにかと考えさせられることでした。
 満員の展示スペースはオバサマたちの団体多く、オバサマたちは土門が写した頃よりははるかに服装等小奇麗になっておりましたが、携帯電話高らかに鳴らされる方々等、その劣化はやはり隠しがたいものでありました。

 今日も、雨か。