路隘庵日剰

中年や暮れ方近くの後方凡走

索漠と子規忌を超えて月翳る

2011年09月19日 | Weblog

 まだまだ暑くて閉口である。加えて今年の蚊の多さ。屋外にいればもちろんのこと、屋内でも刺されまくり。こんなことは初めてである。しかも物凄く痒い。なんだか不気味である。

 潮見俊隆『治安維持法』(1977 岩波新書)
 定価280円だけれど、検索すると今1,000円前後つけて数冊出てる。
 けっこう美本。読んでないけど面白そう。あとがきが4ページちょっと。その中身は先行研究の列挙みたいになってる。いっぱい参照した、ということなんだろうが。
 古書価はともかく、ちょっとメッケもん、かもしれない。
 この本について、坪内祐三『新書百冊』(新潮新書 2003)が触れているので引用。
 「・・・岩波新書の黄版の刊行が始まったのは私が浪人時代の1977年5月のことである。・・・(中略)・・・その22番の『治安維持法』が盗作問題で発売と同時に絶版処分になったのを発売日の夕刊で知った私は、すぐに自転車に飛び乗り・・・」
 自転車に飛び乗った坪内は、岩波新書が日ごろからそろっている大きな書店二軒をまわったが既に回収されていて無く、3件目に小さな書店でみつけて入手できた、という。

 発売と同時に絶版、というのは出版した側もあわてただろうな。岩波の社史にそのへんのことが出てるのかどうか。夕刊で報じられたというのだから当時はケッコウなニュースだったのだろう。(たしか著者はこの問題で東大教授を辞任している。)もっともワシにはなんの記憶も無い。ワシはこのころ坪内氏と同じく浪人で、三畳一間の下宿でテレビも新聞もない暮らしでありました。
 この本の購入者がなぜこれを買ったのか。盗作問題は購入者も記憶にないらしいから、偶然買ったのか。それともニュースで知って買ったけれど、そのことを忘れてしまったのか。
 ともかく、発売してその日にあわてて回収したけど(そういうのって出版社の社員が書店回って回収してゆくのかなあ)大都市の大型店は回収できても、田舎の小さな本屋にはその後数日は店頭に残されていた、ということか。田舎の本屋のオヤジがわざとそのままにしておいた、ということもあるかもしれない。

 著者が盗作した、とされるのは奥平康宏の諸研究等とされているらしいが、奥平の『治安維持法小史』(筑摩書房 1977)は以前より架蔵している。
 こちらの、はしがき、に付記として以下のようにある。
 「本書が世に出る直前に、潮見俊隆『治安維持法』(岩波新書)が出版された。これと本書とは、いろいろな点でー例えば、事例のあげ方のような技術的な部分も含めてー似ているところがあるようである。
 (以下奥平がそれまで発表してきた論文が例示されていて)
 潮見氏の新書版と似ているところがあるとしても、本書の方からいえることは、それは「偶然の一致」だというくらいに、かんがえていただきたいということである。
 本書執筆当時、私は、いかなる意味でも潮見氏の治安維持法論を知るよしがなかった。氏の見解はこれまで一度も論文の形で公けにされていないし、少なくも、私は、その他の形式での研究発表に接する機会に恵まれなかったからである。
 私としては自分で資料を集め、自分の目でこれを読んで解釈した所産を、本書に投入したという自負がある。・・・(略)・・・見る人からは、本書にそれなりの独自性があると認めていただけるのではないかと、ひそかに期待している。」
 とある。なーんか東大の同僚というか先輩に遠慮しつつも、ワレぁ勝手にパクリやがって、みたいなカンジですな。

 ちなみに、某市立図書館のF文庫というのがあって、ここに戦後の岩波の刊行物はすべて揃っていることになっている。試しに潮見本を検索してみたら、ハハ、無いでやんの。今度高く売りつけてやろう。(もちろん冗談です。)