路隘庵日剰

中年や暮れ方近くの後方凡走

青信濃夏ある国に水脈幾筋

2010年07月18日 | Weblog

 朝5時半に家を出て、蓮の花を見てきた。

 車で一時間強のところに縄文遺跡があって、その一郭に蓮田がある。
 山脈の端が緩やかに谷に向かい、やがてまた山脈に登り始めようとする南向き斜面に縄文人の遺構があって、あたりが高原のテラスになっている。そこに大賀蓮(例の古代蓮ですね。)が植えられて、本日その開放、というか朝から専門家の説明もあるというので出掛けていったのである。

                   

 大賀蓮(こういう字でよかったっけ?)は他の蓮と違い、その年の天候にかかわらず六月の末日か7月の朔日には開花し始めるのだという。で、本日はちょうど満開、というか見頃のころ。
 朝から地元の人々もしくは別荘族がつめかける。(といっても数十人ではありますが。)
 本日いよいよ夏開始、といった天気。眼前の山脈には雲かかっているも、その上の空はまさに夏の盛り上がり。
 縄文考古館の館長さんのはなしを間近で聞きながら、蓮田から伸びる気品ある花格を愛でてまいりました。

                     

 昔、小学校にも蓮田があって、確かに今頃ポッカリと水面高く花を浮かせていたことを思い出しました。
 1学期の終わるころ、担任の教師はその一輪を教卓の花瓶に活けて、「蓮は君子の花である。」というハナシをしたもので、根は泥中にあっても花は水面の上に咲く、ということではありますが、小学生相手になにを言いたかったのだろう。まあ、ヤな教師でしたな。
 泥に落ちても根のあるヤツはやがてハチスの花と咲く、と寅さんも言っておりますがネ。

                  

 秋になるとみんなでレンコン堀りをやらされました。
 裸足で泥田に入って、足でレンコンのありかをさぐり、両腕つっこんで引っこ抜くわけですが、たいがい転んだり両手両足泥から抜けなくなったりでみんな全身泥だらけでありました。教師は子供たちがそれを楽しんでいるとでも思ったかもしれませんが、少なくともワシはちっとも面白くありませんでしたな。
 終わって畦に上がると、必ず両脚にヒルが2,3匹吸い付いておりました。
 数本ずつまとめたレンコンが俵状に積み上げられてケッコウな収穫量であった記憶がありますが、あれはどうしたんでしょうな。きっと売って教材費か何かにしたんでしょうな。
 蓮田はそのあと冬になるともう一度ミズをはって、小さなスケートリンクになりました。表面ボコボコの滑るとスケートの刃のほうが欠けるんじゃないかというようなリンクではありました。

                 

 と、そんなこんなを思い出しながら、夏の初め、蓮田に吹く高原の朝風を感じつつ帰ってまいりました。

 近くには、睡蓮の池もありました。ひつじ草やコウホネも。

 その後は、暑い一日をどうにかこうにか過ごしました。

 日曜日、畑も行ったし、キャッチボールもしましたし。
 日盛り、お葬式にも行きましたしね。