聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

「聖書って、おもしろい!」「ナルホド!」と思ってもらえたら、「しめた!」

2022/2/27 ダニエル書3章「燃える炉」こども聖書㊽

2022-02-26 12:35:22 | こども聖書
2022/2/27 ダニエル書3章「燃える炉」こども聖書㊽

 今日のお話は、旧約聖書の残り四つのお話しの一つです。旧約聖書の歴史の終わり頃。

「王の時代から長い長い年月が経ちました。イスラエルはバビロンという国と戦って、負けてしまいました。そしてイスラエルの人はみんな、バビロンに連れて行かれました」

とあった通り、イスラエルの人々は遠くバビロンに移されたのです。



 バビロン捕囚の時代です。そして、バビロンの王ネブカドネツァルは、本当の神を知りません。そして、

ダニエル3:1
ネブカドネツァル王は金の像を造った。その高さは六十キュビト、その幅は六キュビトであった。彼はこれをバビロン州のドラの平野に建てた。

 これはメートルに直すと、高さ26.4m、幅が2.64mちょうどこの講壇の半分ぐらいの幅で、高さはその十倍。


 マンションの九階ぐらいの高さです。鳴門図書館はその半分ぐらい。



 どうやってそんな大きな像を造ったのでしょう? それを平野に建てて、何の役に立つのでしょう? それは多くの国々の人々が、王の命令に従い、自分たちの宗教よりもバビロンの命令に従うための試金石だったのかもしれません。そのお披露目の式典も仰々しいものでした。なんとも大袈裟で、自慢したがりな空っぽさがギラギラしています。しかし、集まった大勢の人々は黙ってこの命令に従いました。巨大な金の像と、大がかりなセレモニーで、圧倒されて、言われるがままになったでしょう。従わない人がいるなんて、誰も思わなかったでしょうか。ところがイスラエルの若者三人は違いました。ある人々が訴えます。

12…王よ。この者たちはあなたを無視して、あなたの神々に仕えず、お建てになった金の像を拝みもいたしません。」


 王は怒り狂って、三人を脅し「金の像を拝むならそれでよい。拝まないなら、火の燃える炉に投げ込むぞ。どの神が、私の手からおまえたちを救い出せるだろうか。」と脅しました。これに、あの三人は、きっぱりと答えました。

16…「ネブカドネツァル王よ、このことについて、私たちはお答えする必要はありません。17もし、そうなれば、私たちが仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ、あなたの手からでも救い出します。18 しかし、たとえそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々には仕えず、あなたが建てた金の像を拝むこともしません。」

 私たちの神は、救い出すことが出来ます。しかし、たとえそうでなくても(神が私たちを火の中から救い出されないとしても)私たちはあなたの神々や金の像を拝むことはしません。こう言い切るのですね。私たちが仕える神だけが、私たちが拝む神です。王が造る金の像はいくら巨大でも、救いも滅ぼしも出来ません。今この金の像はどこにあるかも分かりません。抑も、たった三人の若者が拝まないだけで、怒り狂う。脅しても言うことを聞かせられないで、ますます怒り猛り、三人を火に投げ込むことも、王も金の像が、無力で、偽物の神で、虚しいことの証拠に他なりません。

 怒りに満ちたネブカドネツァルは、炉を何倍も熱くして、三人を投げ込ませます。彼らを連れて行った屈強な兵士たちさえ、その火に焼き殺されてしまいました。三人は、縛られたまま、炉に投げ込まれてしまいました。



 しかし、そこで驚くことがおきます。

24そのとき、ネブカドネツァル王は驚いて急に立ち上がり、顧問たちに尋ねた。「われわれは三人の者を縛って火の中に投げ込んだのではなかったか。…25…だが、私には、火の中を縄を解かれて歩いている四人の者が見える。しかも彼らは何の害も受けていない。第四の者の姿は神々の子のようだ。」



 何の害も受けていない。王は唖然として、三人に出て来るよう命じます。

27…三人を見たが、火は彼らのからだに及んでおらず、髪の毛も焦げず、上着も以前と変わらず、火の臭いも彼らに移っていなかった。

 三人は救われたのです。
 この時は王もイスラエルの王を認めました。とはいえ、その後も彼はまた思い上がって、神を忘れます。その後も今日まで二千年以上、人間が神を造ったり自分を拝ませたりする出来事は続いています。逆らうなら命を奪う、と脅して、多くの人を強いてきました。日本の国でも、天皇陛下を神として拝ませて、逆らう人が酷い目に遭わされることが、80年にもならない前にあったのです。ですが、そうして無理やり人を従わせようとすること自体が、そして、それでもみんなを従わせることは出来なかった事自体が、どれも本当の神ではない、無理があることの証しです。

 本当の神は無力どころか、世界のすべてを創られました。火の中からも救い出せます。いつも私たちと一緒にいて、支えてくださり、「たとえそうでなくても人間や偶像は拝みません」という勇気も与えてくださいます。三人と一緒にいた四人目の誰かは、きっと神様でしょう。見えない神がともにいたのです。預言者イザヤも言いました(43:2)。

あなたが水の中を過ぎるときも、わたしは、あなたとともにいる。…火の中を歩いても、あなたは焼かれず、炎はあなたに燃えつかない。

 こう約束した主は、本当に彼らとともにいてくださいました。そして、ともにいることを最も現して下さったのは、御子イエス・キリストです。イエス様は、火の中どころかこの世界に飛び込んでこられました。人間の思い上がりや冷たさ、非難や裏切りに身を焼かれるような生涯を歩まれました。最後まで、その苦しみから救い出せる天の父を信頼しつつ、救われないで十字架に息絶えるまで、私たちのため、ご自分を与えきってくださいました。それは、本当に私たちとともにいてくださることの証しです。


 この本当の神を知れば知るほど、私たちは人の脅しや無理な要求にもノーと言えます。世界中が神ならぬものにひれ伏しているようでも、私たちは決して一人ではありません。仲間がいます。イエスがいてくださいます。だから、私たちが勇気をもって本当の神を告白して、神ならぬものに頭を下げないことは、出来ます。どんなに脅されても、私たちの心の自由は、決して奪われることは出来ません。その行動で、大勢の流れを変えることが出来るのです。そういう勇気ある生き方も、本当の神が下さるのです。



「本当の神である主よ。遠くバビロンの地で、三人の若者が見せた真っ直ぐな信仰に、あなたがともにおられる神であることを励まされます。生きて働かれる主よ、そのあなた以外の何者も神ではないことを、私たちの生き方に貫かせてください。あなただけを礼拝する生活により、この世界の暴走を食い止め、風穴を開ける私たちとしてください。私たちと常にともにいて、恐れから救い出し、今ここであなたを礼拝させてください」
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 2022/2/27 ユダ書17~23節「... | トップ | 2022/3/6 マタイ伝27章57~6... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

こども聖書」カテゴリの最新記事