聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

「聖書って、おもしろい!」「ナルホド!」と思ってもらえたら、「しめた!」

2021/2/14 創世記一章20-23節「海の生き物」こども聖書④

2021-02-13 12:30:58 | こども聖書
2021/2/14 創世記一章20-23節「海の生き物」こども聖書④

 聖書の最初に書かれているのは、この世界の始まりです。世界を造り、光、空、陸、そして植物を造られた神様。神様の力は、大きくて、素晴らしく、ユニークです。そして神は次に動物を造られました。命があり、動くものです。そこにも、神の業の偉大さ、素晴らしさが現れています。初めての動物は、海の生き物と空の鳥たちでした。それが、今日の創世記一章です。「こども聖書」で、まず海の生き物の創造を読みましょう。
神様は、静かな海をご覧になり、力と権威をもって、海で生きる生き物を造られました。可愛らしい貝の中で生きる小さな生き物や、波に揺れ動くたくさんの足を持ったイカ。海深く潜る大きな鯨や、鋭い歯を持つ鮫も造られました。この生き物たちに、神様はこう仰有いました。「大きくなり、海一杯に増えなさい。」

川、池、湖はきれいな水がいっぱい注がれています。神様はここにも生き物を造られました。すばやく泳ぐ銀色の魚、曲がった足に飛び出た目を持つ蛙、大きくて固い甲羅を背負う亀や、ハサミを持ったザリガニなどです。
 こうして、世界の海や水の中に、沢山の生き物が群がりました。

 海には沢山の生き物がいます。陸上よりも海の中の生き物のほうが何倍も多いのだそうです。現在の予想では、おそらく1,000万種類以上の生物がいるとされています。ちなみに、陸上に住む生物はおよそ100万種類で、その85%が昆虫といわれています。地球上にいるすべての生物を重さであらわしたとき、その90%は海の生物といわれています。今でも、海の中にどんな生き物がいるのか、新しい発見があって、驚くことばかりです。

 また、いま地球で最も大きな動物は、海の中にいるシロナガスクジラです。他にも海には沢山の大きな動物がいます。大きな海は、大きな動物が住んでいますし、そんなイメージがあります。ダイオウイカや、メガドロンなど、本当にいる動物もあります。
2019年に座礁していたのは新種の鯨(2021年1月10日のニュース)
オニイソメ(海底で全長3mに成長する巨大な蠕虫)は、2千万年も前から魚を襲っていた 。2021年2月6日のニュース

 また、映画やマンガでも海にはとてつもなく大きな動物がよく出て来ます。大きな巨獣が、それよりももっと大きな怪物に食べられるなんて、よく見ますね。
 人間なんて比べることも出来ないぐらい小さくて、海の巨獣には目にも留まらないほどです。そんな怪物が住んでいると、昔から人々は考えていました。時には海が荒れ狂うと、その波が海獣やオオタコの手足に見えたりしたからでしょうか、怪物が暴れるせいで、嵐や地震や津波が起きる、という考えもあったり、その怪物を宥めるために、海の獣を「神様」として礼拝するような習慣も、世界中にあったのです。

 実は聖書の中にも、海を恐ろしい場所だと考えていた見方があります。今日読んだ創世記でも「海の巨獣」とありました。魚や貝よりも、「巨獣」が海の生き物にあげられています。中でも有名なのが、レビヤタンという巨獣です。その詳しい描写は、ヨブ記の四〇章に詳しく出て来ます。ウロコで覆われ、牙があって、口からは火が、鼻からは煙が出ていて、どんな武器も歯が立たない、人間には負かすなんて出来ない強い獣でした。本当にそういう動物がいた、ということではありません。当時の人々が考えていた、海に住んでいる、とてつもなく恐ろしい獣が、こんな姿だと考えていたのです。
ヨブ記41章、詩篇104編26節

 また、聖書の最後の黙示録でも、海から獣が出て来る、というくだりがあります。海は死とか恐怖の象徴でした。聖書がそうだといっている、というより、当時の人がそう考えていたので、聖書も、そういう考え方に合わせた書き方をしているのです。
ヨハネの黙示録13章1節

 他にもそういう巨獣がいるのが海という場所でした。海は人間の力を越えた恐ろしい場所。嵐になれば人を飲み込んでしまう、死の場所。その海の巨獣も、神がお造りになったもの、とあっさり言っているのが、今日の聖書の箇所なのです。

 海の獣が神様と拝んで、生け贄を捧げて宥めようとするような信仰は、今でも世界中にあります。それだけ、海の力は強大です。聖書のヨナ書のお話しがあります。預言者ヨナが逃げた時、彼の乗った船が大嵐に遭いました。船の人々は必死に「それぞれ自分の神に向かって叫んだ。そして、船を軽くしようと積み荷を海に投げ捨てた」のです。それでも嵐は静まりませんでしたが、ヨナが海に投げ込まれると、神は嵐を凪に変えました。人々は「非常に主を恐れ、主に生け贄を献げて誓願を立てた」とあります(2:16)。そして、神である主は何をなさいましたか? 大きな魚を備えて、ヨナを呑み込ませ、命を救ってくださったのです。この神である主が、神であり、嵐を起こしも鎮めもなさるお方です。

 海の巨獣は神ではなく、神によって造られたもの、そして、神はその海の巨獣も用いるお方です。どんなに海の巨獣が大きいとしても、天地を造られたまことの神の前はそれよりも遙かに大きいお方です。
 先のヨブ記でも、レビヤタンが出て来たのは、ヨブと私たちに大切なことを教えるためでした。ヨブは、突然、嵐や蛮族によって、家畜の全財産も、子どもたちも失い、病気で自分の健康も失いました。どうしてこんなことが、と嘆いて訴えるのがヨブ記の殆どです。そのヨブ記の最後に、海の巨獣レビヤタンが持ち出されたのは、人間には理解も太刀打ちも出来ないものが世界にある、ということを教えます。この世界は、神がお造りになった世界で、私たちはそこに置かれているちっぽけな人間でしかありません。私たちには分からないことも、どうにもならないこともたくさんあります。それを神様がなぜなさったのか、神がどうしてこんなものを造られたのか、私たちの小さな頭では理解できない。それでも、神はすべてを造り、支配しています。悪や巨獣や嵐が圧倒的でも、それは神ではなく、主なる神が神です。私たちは、この大いなる主の前に、自分の小ささを心に刻んで、謙虚になります。大いなる主を賛美し、礼拝し、信頼します。

 聖書の時代より、今はもっと科学や発見が進んで、嵐の仕組み、海の役割、世界の海の様子がたくさん分かってきました。レビヤタンや海の巨獣はまだ見つかっていないので、いないかもしれませんが、鯨やワニの力強さは侮れません。海の事故や嵐の恐ろしさもあります。海の研究者たちは、人はまだ海のことを僅かしか分かっていない、と言います。私たちが毎日見ている海も、私たちの神が治めておられます。

「海を造り、いのちを満たしたもう神。今でも海は神秘です。大きな嵐の力もあなたは治め、また美しい生き物やおいしい魚もあなたが備えてくださったものです。私たちに襲いかかる禍や出来事は、私たちの理解を超えるばかりですが、あなたはそのすべてを御手の中で治めておられます。嵐の中もともにいてくださる主を、海の生き物を通しても覚えて、賛美し、謙ってあなたに信頼し、船旅のような毎日を続けさせてください」
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