聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

「聖書って、おもしろい!」「ナルホド!」と思ってもらえたら、「しめた!」

2021/12/19 こどもクリスマス おはなし

2021-12-18 14:34:32 | こども聖書


 今年のクリスマス絵本、どうでしたか? 特に印象的だったのはどんな絵でしたか?
 僕も、ヘロデ大王の顔が一番大きいなぁ~と思いました。クリスマスなのに、イエス様よりも、ヘロデ大王の顔のほうが大きい。そう思って聖書を読んでみると、確かに、聖書の言葉でも、ヘロデ大王はイエス様が生まれたことを妬み、殺そうとした人です。この人の事は、当時の歴史の資料にも残っています。大変、権力欲が強く、純粋なユダヤ人では無いのに、ずる賢く立ち回って、いくつもの窮地を切り抜け、ローマ帝国に取り入って、「ユダヤ人の王」という地位を手に入れました。彼は建築家として、エルサレム神殿も立てました。しかし、非常に疑り深く、権力の座を脅かす人は、妻や実の子どもでも次々に処刑しました。自分の権力の座を絶対に手放したくない王だったのです。
 そのヘロデと対照的なのが、イエス様です。イエス様は、この世界の本当の王、永遠の権力者です。私たちが礼拝し、感謝と賛美を捧げるべきお方は、イエス様です。しかしこのイエス様は、その権力の座にしがみつきませんでした。むしろ、その栄光の座を惜しまずに捨てて、人間となることを選ばれました。誉められるとか仕えられるとか、自分の地位を脅かされたり、笑われること。どれも、ヘロデ大王なら我慢できなかったことでしょうが、イエスはそんな事には拘りませんでした。なぜなら、イエスは、誰がなんと言おうと、王であり権力をお持ちの方だからです。本当に強い人は、人がなんと言おうと動じることはありません。ヘロデ大王は、本当の王ではないからこそ、自分の立場にしがみついて、それを失うことを恐れました。イエス様は、本当の王だから堂々と見た目に拘らず、完全に虚しくなり、マリヤの胎に宿り、赤ん坊として生まれてくださいました。それは、私たちに一番近づくため、私たちの心に触れて、私たちの王となってくださるためでした。そして、やがては私たちの罪のために十字架に殺されるためでした。イエス様は、私たちのことをひたすらに愛し、ご自分を与える王なのです。
 クリスマスの話でも、ヘロデ王が出てきます。今、教会でクリスマスを祝って、聖書の言葉を聞いても、普段の生活ではなんだか全然違うなぁ、ニュースになることにも、学校でのことも、神様なんて全然出てこないなぁ、と思っているかも知れません。でもそれこそイエス様が、ヘロデと同じような権力者の王ではない証です。人の上でチヤホヤされることを願う王ではなく、私たちの所にまで降りて来られて、近くにおられて、私たちを強めてくださる。私たちの罪も妬みも知って、その赦しのために、十字架にまで卑しめられることも厭われませんでした。そういうイエス様こそが、本当にこの世界を治めて、本当に平和な世界を作って下さるのですね。ヘロデや一番を狙う人たちには到底出来ないことです。
 だからこそヘロデもイエス様の誕生を恐れました。そして、私たちが、イエス様を知って、この世界で目立ちたい誉められたいという生き方から、仕える生き方に変えられていくことは、この世界のあり方をじわじわとひっくり返していくことなのですね。

 クリスマスにお生まれになり、私たちのために十字架にかかり、甦ったイエス様は、本当に私たちを変えてくださり、この世界を変えられる王なのです。

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