聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

「聖書って、おもしろい!」「ナルホド!」と思ってもらえたら、「しめた!」

はじめての教理問答120~121 ヨハネ10章7~11節「豊かな命を下さる神」

2019-07-07 17:23:46 | はじめての教理問答

2019/7/7 ヨハネ10章7~11節「豊かな命を下さる神」はじめての教理問答120~121

 

 主イエスが私たちに教えてくださった「主の祈り」を今日も味わいましょう。ここまで

「御名が…御国が…御心が…」

と神様のことを祈ってきました。祈りとは、自分の願いを祈るよりも、まず神様を神様として、第一にすることです。私たちの願いを神様に願うよりも、まず、祈っている相手の神様との関係を大事にすること…でした。

 今日から、その先の第四、第五、第六の祈りを見ていきます。この後半は

「私たちの」

祈りになります。私たちのために祈る。さて、イエスは私たちに、自分のために何を祈るように教えてくださっているでしょうか。私たちが自分のために一番に祈るに相応しいことって、どんなことだと皆さんは思うでしょうか。

問120 第四の願いごとはなんですか?

答 第四の願いごとは「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください」です。

問121  「私たちの日ごとの糧をきょうもお与えください」とはどういう意味ですか?

答 私たちに必要なものを、神さまが全て備えてくださいという祈りです。

 「糧」は英語では「パン」という言葉です。聖書の書かれたイスラエルの国では毎日の食事はパンでした。日毎のパン、とは、パンだけではなく私たちの食事全部、また、生きるのに必要なすべてのもののこと。それが「パン」というひと言にギュッと凝縮されているのです。だから、ボクはパンよりもご飯が好きなのになぁと思う人も安心してください。私たちが生きるのに必要な全ての事です。

 こんな図があります。ニーズの三角形です。私たちに必要なのは、パンやご飯、食事だけではありません。空気や健康も必要です。それから、太陽も天気も、安心して住める家も必要です。また、人は一人では生きられません。家族や友だち、仲間が必要です。そして、話しをして、心が通い合うことが必要です。また、あなたがあなたで良い、自分を認めてもらうことも必要です。そして、自分のしていることが役に立ったり、評価されたり、トロフィーをもらうようなことが必要だ。ただ、食べ物や健康だけで無く、こんな色々なニーズが満たされていないと、人間は生きていけないと言います。主の祈りで「日毎の糧を」と祈るのが、「私たちに必要なものを」という事であるなら、こうしたすべてのものを指しているのでしょう。

 宗教改革者マルチン・ルターは言います。

毎日のパンとはなんですか?
答 からだの栄養と維持のために必要なすべてのもの、すなわち、食べ物、飲み物、衣服、履物、家、屋敷、畑、家畜、お金、財貨、ちゃんとした家族、ちゃんとした真実の支配者、よい政府、よい気候、平和、健康、規律、名誉、よい友人、忠実な隣人などだよ。

 私たちが生きるのに必要なものは、本当に沢山あると気がつきます。

 私たちが願うもの。こうしたものを思いつくことはあまりないでしょう。主の祈りでイエスは、私たちが生きていること自体が、神様に養われているのだよ、神がこうしたものを下さらなければ、私たちは生きていくことが出来ないのだよ、と教えてくださっています。神がいるなら、あれもしてほしい、これもしてほしい。祈っても聞いてくれなかったら、神はケチだ。そんなことを私たちはつい考えます。でも、まず私たちが生きていること、今ここにいることが、当たり前ではないのです。神が私たちに命を下さって、食べ物も、家族も、教会も健康も下さっているから、私たちは今ここで生きています。人間は、神に養われていること。それを私たちがまず覚えて、命を下さっている神に感謝すること。そのことを主の祈りは思い出させてくれます。

ヨハネ十10わたしが来たのは、羊たちがいのちを得るため、それも豊かに得るためです。

11わたしは良い牧者です。良い牧者は羊たちのためにいのちを捨てます。

 イエスはご自分のことを「良い牧者」、よい羊飼いだと言いました。ですから、教会には羊の絵がよく使われます。イエスと私たちの関係は、羊飼いと羊のようだからです。羊飼いが羊たちにいのちを与えるように、イエスは私たちに命を下さいます。羊飼いは、羊たちがお腹を空かせて死なないように、緑の草地に連れて行きます。喉が渇いて死なないように、水のある所にも連れて行きます。また、オオカミが来たら、杖で追い払います。羊が迷子になったら、捜しに行きます。羊は、羊飼いに生かしてもらっています。

 羊はとても弱い動物です。臆病で、ストレスに弱い。そして、一匹ではなく、群れで行動します。目も近くしか見えないので、すぐ前のヒツジについていくのです。羊飼いのお世話を必要としています。羊飼いがいなければ、羊たちは生きていけないのです。

 イエスはご自分を羊飼いだと仰いました。それも、よい羊飼いだと言われました。良い羊飼いは、羊を生かすだけではありません。羊たちに豊かに命を得させる。そして、羊のために命を捨てるのです。イエスは私たちに、毎日のパンを求めさせるだけではなく、すべての必要が与えられるように、祈りなさいと仰ったのでしょう。いのちを豊かに持たせるため、ご自分の命も捨てるようなイエスです。時々、自分が欲しいものや無くて困っている物のことも、神様に祈るのは遠慮する人がいます。「自分のお願いなんてつまらないことだから、そんなことを祈るなんてとんでもない」と言うのです。イエスが教えるのは、そういう思いとは正反対の神。私たちに毎日の食事も、命も健康も下さっている神です。食べるだけで無く、食べた物がカラダの栄養になるのも、それがウンチになって出て行くのも、神様によらなければ出来ません。そうして、私たちを生かす神様は、私たちが豊かな命を持つように、私たちの願いや夢、困っていること、諦めていること、願いもしないようなことまで考えて、与えてくださるお方です。

 最後に、実はこの「日毎の糧」には「私たちの日毎の糧」という言葉がついています。他の人のではなく、私たちの、です。世界には沢山の人がいます。中には食べ物がなくてお腹を空かせている人もいます。その一方で、食べる物が十分にあって、好き嫌いを言えて、捨てている人もいます。全世界では、食品の三分の一が食品ロスとして廃棄されているそうです。これは私たちが「私たちの日毎の糧」ではなく、他の人の糧を奪って、捨てていることでしょう。私たちが求めるのは自分に必要なものだけです。必要以上のものを求める生き方をせず、与えられているもので十分に満足しましょう。豊かな命は贅沢によっては手に入りません。むしろ、私たちが主の言葉に従って、分け合う時、互いのために祈り、互いの命を生かし合う時、私たちは本当に豊かな命を戴くのです。

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