聖書のはなし ある長老派系キリスト教会礼拝の説教原稿

「聖書って、おもしろい!」「ナルホド!」と思ってもらえたら、「しめた!」

ルカ二三章39~43節「逆転の恵み」

2015-11-15 21:02:58 | ルカ

2015/11/15 ルカ二三章39~43節「逆転の恵み」

 

 この秋は外部講師や、ブラジルやアフリカなどからも礼拝に加わる方がおられます。教会の交わりが世界大の広がりであって、実際に生きた交流があることを体験しています。嬉しく思います。お客様を迎える時、どんな迎え方をしたらよいだろうか、失礼のないように、相応しく精一杯のおもてなしをしたい、と日本人としては思いますね。どんな迎え方を喜んでくださるだろうか、ガッカリさせたら申し訳ないと考えます。もしイエスが明日ここに来られるとしたら、「誰の家でお迎えしようか、誰が挨拶するのが失礼にならないだろうか、一番信仰の篤い人、一番相応しい模範的なクリスチャンでないと悪い」と考えるでしょう。ところが、イエスはこの世界に来られた時、最も相応しくない人、最も神から遠い人の所に行かれた方でした。それが、福音書に繰り返されており、今日の箇所にも見られるイエスなのです。

 今日の箇所は、前回の33節辺りから一気に読んだ方が分かりやすいでしょう。十字架という惨たらしい処刑道具にイエスを釘付けした人々は、みんなでイエスを嘲りました。指導者たちも、兵士たちも、民衆も、イエスの無残な死を取り囲んで、嘲笑いました。そして、39節でイエスの隣で十字架に掛けられていた犯罪人も、イエスを冒涜して、

…「あなたはキリストではないか。自分と私たちを救え」と言った。

 上から下までみんなが十字架のイエスを呪った。ところが、そこでアッと驚く展開です。

40ところが、もうひとりのほうが答えて、彼をたしなめて言った。「おまえは神をも恐れないのか。おまえも同じ刑罰を受けているではないか。

41われわれは、自分のしたことの報いを受けているのだからあたりまえだ。だがこの方は、悪いことは何もしなかったのだ。」

 これは本当にまさかの出来事ですね。誰もが罵り、十字架のイエスを侮辱する中で、なんと隣にいた犯罪人のひとりが、イエスの無罪を心から確信して、告白します。マタイやマルコの福音書では、二人とも一緒になってののしっています[1]。最初は一緒にイエスを呪い、自分と俺たちを救えと毒づいたのです。初めから、健気(けなげ)にイエスをかばったり、自分の非を認める良心が残っていたりした人ではありません。むしろ、振り返れば、十字架のこの苦しい死が、自分のしたことの相応しい報いだと認めるような生き方をしてきたのです。罰当たりな生き方を突っ走って来て、なおイエスを罵って「自分と俺たちを救ってみやがれ」と唾をかけたのです。けれども、その彼が今、非を認めて、本当に謙った正直な懺悔(ざんげ)を口にしています。そして、想像すら出来ないほどの激痛と苦悶に身を捩(よじ)らせながら、イエスを罵る仲間を窘(たしな)めて、イエスの正しさを告白するのです[2]。自分の人生の間違いに気づき、もう取り返すには遅すぎました。でも後悔や絶望や投げやりではなく、最後の力を振り絞ってイエスの正しさを告白するのです。

42そして言った。「イエスさま。あなたの御国の位にお着きになるときには、私を思い出してください。」

 彼は、イエスが何一つ悪いことはしなかった無垢な方であるだけでなく、御国の位に就く方、即ち、王であると告白しています。37、38節で「ユダヤ人の王」とあったのは嫌みであり嘲りでしたが、この犯罪人はイエスが本当に王だと告白します。あなたは王です。今は十字架で苦しまれて、誰一人気づかないけれど、あなたこそは王であり、やがて御国の位に就くお方です、と信じたのです。しかし、彼は、その時には私もおそばに置いて下さいとは言いません。御国の端っこに入らせてください、とも言いません。ただ、思い出してください、と言うのです。思い出してどうするかは、イエスにお任せしています。思い出してくださるだけでよかった。御国に入れてほしいとか地獄で苦しみたくないとか、そんな事よりも、もうイエスが思い出してくだされば、それだけで本望だと死ねる。そういう思いだったのではないでしょうか。

 東日本大震災後しばらく経ってから、「忘れられるのが一番怖い」「覚えていてほしい」という言葉をよく聞きます。大変な中にあっても覚えていてくれる人がいれば頑張れる、というのが人間です。家族や生活を失った上、それを思い出す価値もないと忘れられるなら、耐えられないほど孤独になります。この犯罪人は、十字架刑を宣告されるような破壊的な生き方を突っ走って来ました。誰も自分を気にかける人などいないさと、最後は神にも人にも呪われて死ぬのでも構わないと生きてきたのでした。でもその最後に、イエスに出会いました。自分を覚えてくださる方がいると思えたのです。この方に思い出してもらえるなら、死んでも満足だ。そして、その願いを、きっとこの方は聞き入れて下さるに違いない、と思えたのです。

43イエスは、彼に言われた。「まことに、あなたに告げます。あなたはきょう、わたしとともにパラダイスにいます。」

 彼をやがて思い出すだけではない。今日、わたしとともにパラダイスにいる。パラダイスとは聖書にも余り沢山は出て来ませんので詳しいことは言えません[3]。ただ、そこは祝福の場で、イエスがともにいてくださる場です。この犯罪人にイエスは、「あなたはわたしとともにいる」と言ってくださいました。思い出すどころか、パラダイスまで連れて行くと約束してくださる方との出会い。それは彼の破滅的な人生のすべてを逆転させてしまうような言葉でありました。

 イエスは、そういう王です。パラダイスも死も司り、犯罪人の心にも働いて、罪を認めさせ、その赦免を与えてくださる王であられます。いいえ、彼のために、こうして一人の人間となり、十字架の苦しみに最後まで留まられることも厭われなかった王です[4]。犯罪や虚しさや自滅的な生き方を這いつくばっている者に、いつの間にかそっといてくださるお方です。神を恐れるとか永遠のいのちという言葉が、素晴らしすぎて身近に思えないほど荒んだこの世界の、どん底に降りて来られる方です。そして、「ただ思い出してほしい」と願うのが精一杯という心の渇きに応えてくださるお方。そういうイエスこそ世界の王であり、いま共におられるお方です。

 この犯罪人だけではありません。ルカは、放蕩息子の喩えや取税人、ザアカイ、不品行な女など、沢山の「まさか」と思うような人の事を語ってきました。また続きの「使徒の働き」では、教会の迫害者のリーダーから初代教会の中心的な役割に転じた使徒パウロがいます。そういう「まさか」の大逆転の系譜に、この十字架で起きた犯罪人の回心が伝えられています。

 イエスは、神から最も遠い人の所に行って、その心を捕らえて、新しい希望や喜びを下さるお方です[5]。彼の名前は分かりません。大きな影響力を持つ人でもなく、ルカ以外は記さないほど彼の回心はある意味では小さなことでした。でもそういう小さな者に目を留めて、そのために命を投げ出してくださった主イエスなのです。そういうお方が世界を治めておられ、今も私たちの中に働いておられる。私たちの予想を大きく覆すような恵みでもって、この地に働いておられる。そして、その恵みを先に知らされた私たちの歩みを通しても、生きる希望を下さる主が証しされ、御業が進められる。そうした恵みの大逆転を信じるのが、私たちの信仰なのです。

 

「無力だと罵られる中、人の力ではなし得ない回心が起きました。人の力や知恵ではなく、ただあなた様の深く強い愛だけが世界に希望を与えます。今も、不正や貧困、刑務所や臨終の場で、あなたとの出会いに与るために、働いている教会の業を用いてください。私たちを忘れず、今日ともにいると約束したもう御声によって、私たちの家庭や地域をも新しくしてください」



[1] マルコ十五32「…また、イエスといっしょに十字架につけれらた者たちもイエスをののしった。」(マタイ二七44)

[2] 「二人の犯罪人」の対比が印象的ですが、ルカでは、二人を並べての対称という構造のエピソードが頻出します。「五タラントと五十タラント(七41)」「兄と弟(一五章)」「二人の主人(十六13)」「パリサイ人と取税人(十八10)」、マルタとマリヤ、シモンと不品行な女、などなど。

[3] パラダイスとは、ペルシャの「園」に遡り、旧約聖書のギリシャ語訳では、エデンの園と、終末的なエデンの園(エゼキエル二八13)などに使われます。しかし、その意味内容については明確ではなく、イメージとして用いられていますので、定義や説明はしにくい概念です。その根底には、キリスト教が、彼岸宗教ではなく、現世を神の創造の舞台とし、現世での生き方に重点を置く宗教であることがあります。

[4] これは、ルカが最初から「ヘロデがユダの王であった時」と書き出したように、地上の王と対比した、キリストの御国、支配とは何か、という視点が、この十字架において明らかになる、という意味があります。このイエスの「王国」こそ、ルカが宣べ伝えている神の国であり、使徒の働きが展開する、神の国の福音の根拠なのです。そして、私たちも、この十字架のキリストこそ私たちの王であると信じる。ヘロデや権力者、高い者たちが支配し、勝利する国ではなく、この低くなられたキリストこそ、王であり、永遠の勝利者であると信じるのです。そのことが力強く証しされたのが、復活でした。

[5] これは、「人の子は失われた人を捜して救うために来たのです」(十九10)と明言されている通りです。

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