高松であった、今年の徳島科学史研究会から帰ったところである。
今年の研究会は科学史のテーマから外れたものもあったが、大勢の女子学生の参加でおもしろかった。別に女子学生が来たからといって鼻の下を長くして言っているわけではない。
「恋人のDV問題」だとか「不登校の問題」だとかは、あまり科学史の研究会らしからぬという年配の先生からの批判はあった。それはそうだが、いままでそんなトピックを取り上げるとは思ってもみなかったものを、取り上げられてみると、その発想の柔軟性に驚かされる。
いじめが不登校を生んでいる大きな原因だとしても、そのいじめをする人たちがやはりいじいじしているから、いじめがなくならないのだとまで考えが及べば、これは単に不登校の生徒や子どもの問題からもっと社会の問題へと視点は広がる。
やはり社会をどうするかという視点なくしては、不登校の問題だってなくなりはしないだろう。もちろん、対症療法的に不登校の子どもを救うことを忘れてはならないが、そこだけで話が閉じるのではやはり、構想のスケールが小さいのではなかろうか。