物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

捨てへんど寒葉

2008-06-17 11:43:02 | 芸能ネタ

松山市の劇団こじか座の「捨てへんど寒葉」を松山市民会館で見た。

地元の劇団ではあるが、なかなかの芸達者で面白かった。それに知人が二人も出演していた。

市民会館中ホールはいっぱいの盛況の劇団創立50周年記念の公演である。主宰者の畑野稔さんの挨拶の後に公演が行われた。

寒葉とは「かんよう」と読むのだと思ったが、どうも「かんば」と読むらしい。それは劇の中でわかった。

ある女性が幸福な結婚をしたのだが、娘の葉奈が年頃になったときに精神的におかしくなり、婚家にも実家にも居れなくなり、娘をつれて四国遍路の旅に出る。

生きるに困って体を売りながらの旅を続ける。ある漁村ではそのことを村の女たちに気づかれ、生きるに困って岩場から親子で投身自殺をするという顛末である。

作者の猪野健介は今治市(旧菊間町)の出身だという。私の大学の同級生に猪野君というのが居り、彼が旧菊間町の出身であった。

それで彼に縁のある人ではないかと思うが、よくはわからない。猪野健介は早稲田大学を中退の後、家業を継いだとしかわからない。

猪野君のお父さんは時計屋さんであったと思うから、彼のお父さんである可能性もないわけではないが、彼から自分の父がシナリオを書いたり、演劇に関心があるなどとは聞いたことがないから、違うのかもしれない。いつか畑野さんにあったら、聞いてみようと思っている。

(2013.10.4 付記) その後、演出家の畑野稔さんに個人的に伺ったところでは猪野健介は呉服屋さんだったというから、友人の猪野君のお父さんではないが、親戚ではあるかもしれない。


広島大学理論物理学研究所

2008-06-16 14:56:52 | 物理学

広島大学理論物理学研究所とは、広島県竹原市にあった、もうなくなってしまった理論物理学の研究所である。

1944年設立で1990年に閉所して、京都大学基礎物理学研究所に吸収合併された。1989年に創立45周年の会があり、それに出席をしたことを覚えている。

宇宙物理学や場の理論、時間空間論を研究する全世界的にも特異な研究所であったが、いろいろないきさつから京都大学基礎物理学研究所と合併した。

1944年に発足したときには世界で第4番目の理論物理学研究所ということであったが、小さいことでも世界で一番小さな理論物理学研究所であった。

ここの教官は理学部の教官と一緒に理学研究科の一部であり、学部の学生の卒業研究を指導するシステムではなかったが、大学院生を教育していた。そこで学位をとった宇宙物理学や素粒子物理学の研究者は多い。

私はこの研究所の出身ではないが、広島大学理学部物理学科の学生だったから、いくらかこの研究所については見聞きしている。しかし、私の先生の一人Oさんなど私が大学院生のころは、学生が宇宙物理学分野に関心をもつのを要注意とされていた。

これは、これらの研究がそのころは物理だか哲学だかわからないようなところがあると思われていたからだろう。

その後、金沢大学からの田地先生とか素粒子の研究者が増えて物理的な色彩も強くなり、そういうことを言われなくなった。

また、宇宙物理学それ自体が実験とか観測データが増えてきて、いまでは宇宙物理学は狭い意味でも物理学の範疇に入っている。それが時代の流れなのである。

googleで検索してみると理論物理学研究所に関するホームページは結構多い。もうなくなってしまった研究所だが、ひときわ思い入れが強い。


口頭練習

2008-06-14 12:37:26 | 受験・学校

英語のNHKのテレビやラジオ放送などで口頭練習がある。これがなんの役に立つのかと思っていたが、どうも英語で言葉が出てこないのはやはり口頭練習が不足らしい。

その口頭練習がたっぷりあるのが基礎英語講座1,2,3なのだが、これを聞く気がしない。したがって、いつまでたっても英語ができるようにならない。

もっとも英語ができるというレベルも少なくとも2段階はあって、英語を聴いて簡単な反応が即座にできるという段階とそれに留まらず、もっと思想的なことまでも話しことができるという段階であろう。

この第二の段階まで進むとそれは単に英語の問題だけではなくて、その人の思想なり考えなり、人としての教養がにじみ出てくる。そこまでいかなくては本当の人と人との交流とはならないのだが、そこまでいけるということは私たちには少ない。

いやまずは第一の段階を目指すのだが、それがうまくいえない。そこが難問である。簡単なことがなかなか言えるようにならないのだ。

もちろんその段階に達した人は日本人には多いのだろうが、それから先へ進める人はもっと少なくなる。英語を話すという以上は第二段階にまで進みたいものだが、それは私にはもう夢でしかない。


アンバランス

2008-06-13 11:38:30 | 学問

過去を振り返ってみてうまくいったなどと思ったことはほとんどない。私の学位論文になった研究などは無理やりでっち上げたものだったし、生まれて始めて書いた英語の論文だってそうであった。

一見うまくいったように外から見えるというのと自分の内面とはまったくちがう。どうも自分で考えてみてもいつもアンバランスなのである。博士課程を終える3年の年限で学位をとったのだから、世間的にはうまくいっていると思われるが、どうも実感としてはそうではない。いまでも思い出すのだが、論文の公聴会で副査の先生の質問にうまく答えられなかったし、その後の面接でもうまく質問に答えられなかった。

偏に当時の指導教官だったYさんの後押しによって学位をやっともらったような気がする。それらは私の上の先輩たちを見ていたら、彼らは私などよりずいぶんしっかりしている。どうみても私はアンバランスだった。

いまでもアンバランスなのかどうか。それは自分ではわからない。いくらかアンバランスを克服したようにも思うし、いやまったく克服していないようにも思える。


和文英訳(英作文)

2008-06-12 11:40:00 | 受験・学校

昔、高校生の頃、受験勉強で大学受験ラジオ講座を聞いていた。

その中に東京外国語大学の海江田進先生の和文英訳があった。その講義を聴いてはじめて日本文を英語に訳するにはまず日本語を英語に訳しやすいようにその意味を考えるということを知った。

高校の英語のN先生は英語のよくできる人であったが、それでもその講義でそういう風にするのだということは直接は教えてもらわなかった。

これはずっと後になってだが、作家の小田実が予備校の英語の講師として和文英訳を担当していたときに、彼の講義がまず日本文をその意味をよく考えてそれを簡単な英語に訳すという風に進めていたことを小田のエッセイで知った。

小田はその日本文の意味をよく考えるということに和文英訳の時間の大部分を使ったという。

英語はあまり上手ではないが、私も論文を書くときには言いたいことをまず箇条書きに日本語でまとめておいてそれをできるだけ直接に英文で表現するのが常だった(これを梅棹忠夫は「こざね法」という。「知的生産の技術」(岩波新書)参照)。

英文を書き始めた始めのころはひょっとしたら、日本文をまずつくっておいてそれを英語に訳そうとしたかもしれないが、そんなことはうまくいかないことがすぐにわかった。というのは日本文がうまくは書けていないからである。それですぐに日本文を和文英訳することはあきらめた。

それに大学院生くらいだと指導教官がその英語を添削してくれる。いや、はじめは日本語で書いた論文も添削をしてくれた。そのころは文章を書くのにいつも苦労をした。

たくさん、長文を書くのだが、それがばっさりと削られて短い簡潔で要を得た文に変わっていく。その結果としてはじめに自分の使った単語はあちらこちらに浮かぶ小島のように残っているだけである。

そういう訓練を経て、やっと日本文が書けるようになった。もっともいまでも悪文かもしれないけれど。

いまでは他人様の日本語の文章の「てにをは」にまで手を入れるということまでする。畏れ多いことである。一般に人は話をすることはできるが、意味の通った日本文を書ける人は少ない。

文章を書くことは多分に訓練によるので、私の知人なども「はじめは文章を書くことはね」と敬遠していたが、この頃はあまり長くない文章なら、すらすら書けるようになった。

人にできることは他の誰でも訓練さえすれば、誰にでもできるものである。


野口英世

2008-06-11 12:42:21 | 受験・学校

最近アフリカ賞とかが設定されて、また野口英世の記念切手が発行された。これはアフリカの存在が世界で大きくなってきたことの反映だが、私のような者には懐かしい思い出もある。というのは私の卒業した今治市のH中学校ではその当時の校長渡辺勝が野口英世に傾倒した人でいつも校長訓話で彼の話を聞かされていたからである。

今もあるかどうかは知らないが、正門を入って右側のところの脇に野口英世の銅像があった。もちろん、野口のいい面ばかりではなく、陰の面についても時々話があったと思うが、それでも全体的な話の調子は「彼の努力をする姿勢を見習おう」というところにあったのは確かである。

そういう話を聞いて育ったにもかかわらず、とても立派な人物にはなれなかったが、知らず知らずに大きく影響を受けているかもしれない。しかし、教育などというものはその影響を云々できるのは百年のオーダーの話であるし、個人の資質とかもあるので、どれくらい影響を受けたかの評価はとても難しい。

ところがこのごろは授業評価とかで大学でもセメスターの始めの1/3での出席率と中ごろの1/3の出席率および終わりごろの1/3の出席率を比べて、それが悪くならなければいい講義というか場合によっては給料に反映するかもしれないなどといわれると鼻白んでしまう。

もっともそういうことが本質ではないと誰でもいまの先生は思っているが、50年くらい先の大学の先生にはそれが当然のこととなっているかもしれない。世の中の趨勢は予想ができない。


latexの原稿

2008-06-10 12:38:20 | 物理学

ゴールドスタイン「古典力学」の下巻の訳に精を出している。初訳はかなり前に11章を除いてできていたのだが、共訳者の一人が忙しくて発行が遅くなっている。それをどうしても7月末までに仕上げようとしている。

式の入力が各人で違っているので、それを統一するとエラーが出そうなのでできるだけそのままにしたいと思ったが、式番号の入力法を統一する必要があり、結局式の入力法を変更しようとしている。12章で変更をしたら、予想通りエラーの続出でそのエラーをなくすのに5日くらいかかった。エラーがなくならないと心が重くなる。

しかし、結局は一つひとつの式をチェックして直していき、なんだか不明だったエラーがなくなり、まだエラーはいくつかあったが、該当箇所を見たら、すぐに判明するエラーだけとなり、昨夕12章のエラーは消滅した。やれやれ。まだ、これを10章についてする必要があるが、ちょっと経験ができたので今度はスピードアップできるだろうか。


週の始まり

2008-06-09 09:20:18 | 数学

月曜日である。アメリカ風なら、日曜から週が始まるが、ヨーロッパ風なら週は月曜から始まる。これからしばらくすれば、M大学に講義に出かける。昨夜も先週の授業のアンケートを読んで、今日何を話したらいいかを考えた。

あまり得意でない順列と組合せの簡単な説明をしようと思っている。プリントはつくっていないが、それは必要なら後でつくることにしたい。二つの部屋にN個の分子を分配する仕方の全数は2^{N}というのを二項展開から調べてみた。これは確率を計算するときに必要になってくるから。もっともこれは二項展開を使わなくてもわかることだが、二項展開を使ったものと結果が同じとなることがわかる。

いつでも一つの方法ではなくて、最低二つの方法でできるようにと考えている。これは大学院の頃に研究上で自分の計算結果が正しいことを調べるためにいつでも自分でそうしていたのを続けているだけである。

大学2年だったかの解析幾何の試験で一問しか解答できなかったのだが、そのときにその一問について二つの解答をしたのを覚えている。そのためだったかどうかはわからないが、一問正解で36点の素点で単位をもらった。その先生は森永覚太郎先生であったが、解析幾何では多くの学生が単位を落としていたから、一回でなんとか単位をもらったのは幸運であった。

森永先生は丁寧に講義されていたのだが、なんだかわからないという評判が圧倒的であった。「こんな感じがするでしょう」といわれるのだが、その当時は数学の講義でこんな感じがするなどと言われるとどうも数学のようでない気がしたものだった。なんというか頼りないという感じであった。だが、今になって考えてみると数学だって感覚が大事なのだと思う。

それでというわけではないのだが、私も感覚に訴えるような授業をしたいと思ってそれに精を出しているのだが、学生には頼りなく思えるかもしれない。若いときの私がそうであったように。


熱力学と順列・組合せ

2008-06-08 20:46:27 | 物理学

熱力学と順列・組合せとは世間で評判の悪い学問分野である。これは授業で習ったのによくわからなかったという多くの人の評価から来ている。

このどちらもよくわかっている人も多いのだろうが、わからない人の方が多いというわけである。量子力学も難しい学問だが、これはあまり評判は悪くないと思う。

これは私の主観的な意見であって、私の講義を聴いた学生たちは電磁気学よりもわかりにくかったという評判であった。授業の単位がもらえるから出ているが、本当に関心をもったという学生は37年近い講義の中でごく限られていたと思う。

熱力学の著書として最近有名な田崎晴明さんの著書でも大いにその努力を認めるが、やはり既存のテキストから離れているためにやさしいとは言えないと思う。

熱力学第一法則での

dU=d'Q+d'Wで熱の出入と仕事の量がそれぞれ単独では不完全微分なのに、それらの和dUは完全微分になっていて経路には寄らない

ということなどもそういったわかりにくさの一つであったが、ムーアの「物理化学」上の熱の力学的定義を読んでやっとこのことに納得がいったのはいつのことであったろうか。

やはり熱力学と関連している疑問は、

「熱はなぜ温度の高い方から低い方へしか流れないのか」

という疑問である。高校の物理の教科書で

「物理の言葉でいえば、いわゆるphase spaceが小さい」

ということを知ったのは受験勉強も終盤に入った高校3年生の1月頃だったと思う。そのころは一旦問題を解くのを止めて教科書とか参考書を読み物を読むように読んでいた。

そのことをもっと具体的に知りたいと思いながら、そのチャンスがなかったが、ごく最近では和田純夫さんのテキストの説明にしたがってこのことを具体的に教えようとしている。学生は何をしようとしているのか理解が難しいようだが、結局は根本的な問題を説明しようとしているのである。さてどれくらいの学生が理解をしてくれるだろうか。

(2011.12.23付記) 最近のブログでも書いたが、ダイヤモンド社発行の物理学講座で久保亮五さんが書いている冊子に「熱はなぜ温度の高い方から低い方へしか流れないのか」という疑問の解答が出ていると思う。なかなか手に入らない書物であるが、図書館等で見られたらいい。


野心

2008-06-07 11:00:07 | 日記・エッセイ・コラム

もうこの歳になれば、野心などはないが、野心という言葉が好きである。Boys be ambitious.という言葉は「少年よ大志を抱け」と訳されているが、ambitionとは野心であろう。

野心という語はちょっと品格がないというか、そういう点で大志と訳されたのであろうが、私には野心の方がしっくり来るような気がする。野心という語でいつも思い出すのは三国志演義の曹操のことである。三国志演義での主人公は孔明とその前の曹操であろう。正史の三国志の方の主人公は曹操だそうであるから、三国志演義でも曹操が野心家の人物として描かれているのも頷ける。

あまり孔明の方には魅力を感じなかったが、曹操は戦に敗北をしたりしながら、魏の国を興していくところがなんとも魅力的だと子どもの頃は思っていた。英雄崇拝とはいけ好かない子どもの好みだともいえるが、名もない農民が主役などという視点には子ども頃には立てないものだ。

私自身は小さいとき体が弱く、大人にはなれないだろうと母は思っていたという。だのに気持ちだけは勇壮なのを好むというのもおかしな話だが、下々の民には苦しみとかに目が行くのはかなり成長してからだ。

ともかく「すべからく人は野心をもつべし」。


多忙

2008-06-05 17:24:10 | 日記・エッセイ・コラム

忙しい。浮世の義理についてどうも義理を果たすためには忙しくても仕方がないときが来たようである。暇にしているわけではない。一生懸命に働いている。あまり報われない仕事だがしようがない。

ということでブログの更新ができそうになくなっている。もっともあまり多くの人が見ているブログでもないので、更新が滞ったところで誰からも文句が出るわけではないが、やはり更新の暇がとれないのはさびしい。

先日のplatexの故障というか不具合は自分で悩んでも解決しなかったが、息子に聞いたら教えてくれて、それで復旧した。なんでもないことだったが、わからないものには大変心も重いことであった。


反逆と裏切り

2008-06-03 14:27:13 | 日記・エッセイ・コラム

「反逆と裏切り」などというと天下の英雄、織田信長に謀反を起こした明智光秀のことを世間の人は思い浮かべるかもしれない。明智光秀の実像がどうであったかは別として「反逆と裏切り」という語にいいイメージを抱く人はあまりいないだろう。ところが私の抱くイメージはまったく反対のいいイメージなのである。私には日本語がわかっていないようだ。

実は「反逆と裏切り」という語でイメージしたのは私の友人で元同僚のY君のことであった。彼は研究者として十分な業績を上げているのもかかわらず、十分に世間的評価がなされなかった。しかし、本人はそれを嘆くでもなく、淡々としていた。裏切りというイメージはY君にはふさわしくないが、反逆心というかそれに類したものを心に秘めた人であった。「反逆と裏切り」というとマイナスのイメージだろうが、私はあえてこれにプラスのイメージを与えたい。

脚本家の三谷幸喜がロンドンでの舞台のでの挨拶でのギャグに

Can you unederstand my English ?  I  cannot understand my English.

というのがあるとか。もちろんロンドンの観衆はこのスピーチでどっと笑ったという。二番煎じもいいところだが、

I  am a Japnese, but  I  do  not understand Japanese.


platexのシステムの故障

2008-06-02 13:27:26 | デジタル・インターネット

技術的なことだが、platexのシステムが故障というか、入力して実行をしてもエラーが出なくなった。dviを見ることはできるのだが、エラーがそのままで出ている。困ったと思って、いろいろマニュアルやインターネットの情報等を探しているのだが、うまくそれについてかいたものにまだ出くわしていない。

以前にも一度同じ障害にあったように思うのだが、そのときにどうやって克服したのかまったく覚えていない。どうしてもしょうがなかったら奥村さんのサイトかどこかで質問をするつもりだが、どういう風な症状かをしっかり記述しなくてはならないので、どうしようかと思っている。

故障を起こすと心が重くなる。ここ数日は心が晴れない。