数学者・銀林浩さんが8月18日に亡くなられていたことを雑誌「数学セミナー」のお知らせで知った。93歳だったという。
銀林さんには何十年か前に一度だけ高知で夏の数教協大会でお会いしたことがある。私自身は人見知りする方なので、他の大会に参加したことはない。ちなみに世間で有名だった数学者の森毅先生にお目にかかったのもこの大会であった。
「数学セミナー」には数学教育の専門家とあったが、それにはまちがいがないのだろうが、私にはvan der Waerdenの『代数学』(東京図書)の訳者としてのほうが印象としては強い。そのほかいくつかの本の訳者でもある。
水道方式といわれる「数の計算の体系」をつくったご本人でもある。
いわゆる水道方式のアイディアは遠山啓さんによるものだが、それをきちんと体系化した「数の計算の体系」を創った銀林さんの功績は大きい。
最近では銀林浩・純の父子が編纂された『数・数式と図形の英語』(日興企画)にお世話になることが多い。こういう本はあって当然なのだろうが、意外とすくないのが現状である。
ご冥福を祈る。
(2023.10.17付記) 銀林さんはハンサムですらりとした貴公子然とした方だった。東大の学生自治会だったかの委員長をされていたことがあったとかで停学の処分を受けられたことがあったとか。この時お見かけしたのだが、個人的に話をしたことはなかった。彼との出会いはホテルの浴室であった。その後どなたかの部屋での複数の人たちとの集いでお会いしたような気もするが、確かではない。
その数日後だったか森毅さんとも出会ったが、森さんの方は気さくな方であった。銀林さんが気さくでなかったということを言いたいのではなく、銀林さんの人柄を知らないというだけである。
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