物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

大阪の事件に考えたこと

2021-12-21 13:32:22 | 本と雑誌
大阪の北新地のビルでの24名の死亡のあとで、新聞でもテレビでもきちんとした反省がなされていないので、一言述べておきたい。

京都アニメーションビルの火災で36名の方が亡くなった。このケースを教訓としてそのような同種事件に対策がもう取られているのかと思っていた。

妻がテレビで見たことを話してくれたが、少なくとも2か所以上に出口というか、非常口があるビルでなければ、建築の許可おりない法律はできているのだが、その法律の施行以前にできたビルにはその法律は及ばないのだという。

大学の教養部での法学の講義でも、法律のできる前にあるものには、後で施行された法律の順守の効力は及ばないのだと、そういう話を聞いた覚えがあるが、こういう事態が起こるとすれば、その普通の法律の常識をこの場合には変えて改善を促すことが、やはり人間の良識にかなっているのではないだろうか。法律といえども人間社会のためにあるのだから。

以前には、武谷三男という物理学者がおられて、こういう事故にはどう考えたらいいかとか警告を発しておられた。現在にはそういう方がおられなくなって、先日の朝日新聞の社説でも確かに出口が2か所以上あることの必要性を言及してあるが、もう一つ突っ込みができていない。

これは多分に法律の建前の前に議論の突っ込みが十分でないためであろうか。人がこういう災害にあって亡くなっている以上、法律の専門家にはどういう法律のありかたでならないといけないのか、再度考えてもらいたいと切に希望する。



「数学・物理通信」を発行した後で

2021-12-21 12:41:03 | 数学
「数学・物理通信」を発行した後でいつも感じる虚脱感というか、一種のうつ状態がくる。

本来私はうつ体質ではなく、むしろ統合失調症体質である。それだのに、「数学・物理通信」を発行するにはもう何回読んだかわからないくらい読返す。これはつまらないミスプリが残らないようにするためである。

もう一人の編集委員のSさんがOKを出してからも、改めて最低2回は読み返している。これは読みたいから読んでいるわけではない。読みたくはないのだが、読んでいるのである。11巻8号について言えば、これで私の責任だったところに1か所とSさんの投稿部分でそれぞれ1か所づつ、計2か所の修正を入れた。

私自身は個人的にはほとんどストレスのない生活を送っているのだが、この「数学・物理通信」の発行ときにだけは、かなりのストレスがかかる。これは誰からも言われたわけではないので、自分で自分に課した仕事である。

それでもこれだけはストレスになっている。まだ体力的にこれに耐えられるが、そのうちに体力的に耐えられなくなる時が来るのであろう。そのときは「数学・物理通信」を私が発行できなくなるときであろう。

こういう報われない仕事をする後継者が現れることは多分ないであろう。知と文化を陰で支えるとはこういう大変なことである。