雑誌「窮理」17号で甘利俊一さんが人工知能について書いている。タイトルは「人工知能と社会」である。その中の節に「人工知能は原理を解明しない」というのがあった。
まだ十分よくこのエッセイを読んでいるわけではないが、たぶん人工知能は原理を解明しないというのは本当であろう。
武谷三段階理論では認識は現象論的段階、実体論的段階、本質論的段階という3つの段階を経て深まって行くという。それで人工知能のことが世間で話題になって来るにつれて、私はこの人工知能がどこに位置付けられるか関心をもってきた。
甘利さんの認識は正しくて、いままで認識されてこなかったことが学問の対象になるような新しい分野を開いたことは事実なのだろうが、その段階はやはり現象論的段階の実験式をつくるというところまでなのだろう。
それ以上の認識の深まりはやはり人間の思考によるということであろう。
ただ、素朴な人間の思考ではこれまでまったく学問の分野ともならなかったことが現象論的段階であるにしても議論とか思考の対象になるようになったのは学問としてのその広がりが出て来たことになる。