物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

ドイツの春はファスナハトとともに

2019-03-02 16:35:30 | 日記

ドイツの春はファスナハトとともにやってくる。北国のドイツの国の冬は厳しい。寒さもきついのだが、それだけではなく天候がわるい。

頭を冬の間中は雲の中に突っ込んでいるような感じである。それで春の到来を告げることにもなる、ファスナハトは待ち遠しい。

ところが、これが北ドイツにはないというから不思議である。いわゆるカトリック教が信仰されている地方ではファスナハトの行列が盛んである。これは南ドイツが中心であるが、特に有名なのはマインツ、ケルン,デュッセルドルフ(いずれもライン河沿岸)の3つの町のファスナハトの行列は盛大であり、ローゼンモンターク(バラの月曜日)の行列を見に、世界の方々から観光客が訪れる。そして、その行列のだしの上に乗って移動している地元っ子はそのだしの上から惜しみなくボンボンの雨を降らせてくれる。

またこれら行列に参加している、地元っ子は外国人観光客に向けて写真のポーズを取ってくれるなどサービス精神も旺盛である。

私自身はその行列を見たのはもう40年以上も前のことである。もっともファスナハトはケルンではカーニバルと呼ばれているかもしれない。ただ、南ドイツではファスナハトの名称で親しまれている。

ファスナハトは断食の季節がはじまる前のどんちゃん騒ぎでもあるが、冬の陰鬱な気候へのうっ憤をはらすいい機会ともなっている。


『数学解析』を復刊せよ

2019-03-02 11:09:07 | 数学

溝畑茂『数学解析』(共立出版)を金曜日にE大学の図書館に借りに行ったのだが、結局借りて帰ったのは太田浩一『ナブラのための協奏曲』(共立出版)と志賀浩二『ベクトル解析』(朝倉書店)だった。

志賀さんの本は微分形式にかなり偏った本である。しかし、これは微分形式を学ぶのなら、これがいいだろう。志賀さんは数学者だけあって、その説明の仕方が、数学的であるが、かなりくだいた説明を心がけている。

そして、ガウスの定理やストークスの定理を微積分の基本定理に基づいたものとして説明しようとしているところは太田さんと同じでいい。

ガウスの定理やストークスの定理は微分形式で表すとその形が全く類似に表されるので形はきれいである。だが、それを「新しい和算の研究者」と言われたソリトン研究者であった、広田良吾さんなどはこれらの定理の意味もわからなくても計算ができてしまうなどと酷評してもいる。

まあ人はいろいろだから、気にすることはないけれども、広田さんのいうこともある意味ではわかりもする。

最近気づいたことはベクトル代数の公式から、ナブラの演算子を含んだ公式をそのベクトル代数の公式から導くときにはちょっとした注意をすればよいということである。

このやり方はファインマン『物理学』(岩波書店)でファインマンが使ったが、それにはちょっと承服しがたかったが、最近別のケースで同じようなことをしなくてはいけない場合があった。

ナブラは演算子なので、そのままの形でベクトルの代数の公式から、演算子に置き換えたときに、演算される対象がないときには、ベクトル代数の公式での因子の移動を演算子のほうが前にあるように変更してから使えばよいということがわかった。

ファインマンの指示は、なかなか実践的な変更法であるというのがようやくわかった。たったこれだけのことがわかるのに何十年も私にはかかった。頭のわるいことよ。

溝畑『数学解析』には最後の各章の要約のところにガウスの定理やストークスの定理と微積分の基本定理との言及があるが、これがその証明にどれくらい生かされているのかはちらっと見たかぎりではわからなかった。もっと明示的でなければいけないだろう。もっともこれは私の読み方がまだ浅いからかもしれない。

『数学解析』は他の点では記号法がベクトルを文字の上に矢印をつけてある。これはいけない。ベクトルはゴチック体で表すべきだろう。この点だけは私にはよくないと思えた。

しかし、『数学解析』がもう発行されていないとすれば、それは日本の大きな損失であろう。復刊を強く望む。