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物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

豆大福と珈琲2

2014-10-24 16:10:51 | 日記
片岡義男さんの朝日新聞の表題の小説は短篇小説らしく、11月の初めには終わると新聞で見た。

期待した小説だったのに、何ほどの展開も見せずに終わってしまうのは残念である。もっとも小説は短篇が作家としては一番腕の見せ所があるとか聞いたことがあるので短篇だからといってつまらなくはないのだろう。

主人公の僕が翻訳家として生計を立てることができるようになったが、これからどういう人と恋愛をして結婚するのか明日からの楽しみである。多分にその端緒が昨日くらいから切り開かれているようである。

私には小説を書く技量はないから、これからのほんの数日かもしれないが、片岡さんの小説を楽しみにしている。そして、片岡さんにはこの新聞小説が終わってもこの続編をどこかで書き続けてほしいと願っている。

ノーベル賞は過去の栄光?

2014-10-24 15:32:24 | 日記
「ノーベル賞は過去の栄光?」という記事が昨日の朝日新聞に出ていたが、多分その通りになると思う。

もちろん、いまの大学や研究所の研究費の少なさでも少数ながらもいい研究をする人は出るだろうが、それでもかなり強い個性の持ち主でなければその研究をやり通せないと思う。

そうだとすると普通の状態なら、ノーベル賞をもらえるかもしれないような研究ができる研究者は現状ではぐっと少数になって来ているに違いない。

もっともそのことがわかるのは30年から40年後のことである。もちろんそのころには私はもう生きてはいないので、私の予測があっていたかどうかを確かめるすべはない。

上記の記事によると益川敏英氏も「近年受賞者が多数出ているからといって、現在の日本の科学が万々歳ということにはならない」と警鐘を発しているとあった。

豊田長康氏(鈴鹿医療科学大学長)もブログで日本の科学論文数が近年停滞しているという。これは2004年ころからだという。これはいわずとしれた国立大学の法人化が始まったころである。

その原因は研究環境の悪化だという。具体的には資金と時間と研究者が必要だが、どれもここ10年間増えてはいない。

豊田氏は研究費を出費ではなく、投資としてみなす視点への転換を訴えているという。

どういう観点をとろうが、研究費が増えて研究者が研究に専念できる環境が整えばいいが、結局は国家財政の赤字の累積が科学研究費をも圧迫している。これは多分現在の国家財政が改善されない限り、無理というものであろうか。

抜本的な方策はあるのか。困ったことである。

第一、聞くところによると外国留学に出かけるには、自分の職をなげうつ覚悟がなければ外国留学ができないという研究環境ではのびのびと研究することなどとても不可能である。

使える研究費は私が大学に勤めていたころの1/3になってしまっている。もちろん、全体の研究費は増えていないとは言っても減りもしてはいないかもしれないが、プロジェクト研究等の予算が増えており、そのプロジェクトは成果が期待されるから、結局はあまり冒険的な研究をすることができない。

そういう現状をどう打破するのか。名案はないものだろうか。

余数と補数

2014-10-24 11:17:27 | 日記
余数と補数とについて書こうかと広辞苑を調べてみたら、補数は数学的な定義が出ていたが、余数の方は余った数という説明しかなかった。

三省堂の新明解国語辞典には残念ながら余数も補数も出ていなかった。この二つの語についてこのブログでもすでに述べたかとも思うが、このごろはすぐに忘れてしまうので、覚えていない。

先日の算数の学習会でもその話を世間話風にしたが、誰も余数という語は私同様に知らなかった。余数を知ったのは武藤、三浦著「算数・数学活用辞典」(日本評論社)からである。

この書によれば「たして5になる数を余数といい、たして10になる数を補数になる」と定義されている。このことを妻に言ったら、すぐにインターネットで補数について検索をしてくれて、たして100となる数でもいいことがわかった。要するにたしたときに位が一つ上がるような数を補数というということであった。

だから998と2としてもいい。2は998の補数である。もっとも補数は広辞苑の定義では10に対してと2進数での定義しかなかった。2進数での補数の意義をまだよくわかっていないのだが、これから少し考えてみようかと考えている。

昨日調べたところではなかなか余数をたして5になる数という定義とか説明はなかった。だが、小学生を教えている先生は10の束になる前の5の塊があるとわかりやすいということを知っている。それで5-2進法という考えが一般的になっている。

そのことを考慮すると余数の上の定義はなかなかよいのではないかと思われる。