物理と数学:老人のつぶやき

物理とか数学とかに関した、気ままな話題とか日常の生活で思ったことや感じたこと、自分がおもしろく思ったことを綴る。

仕事場にこもる

2010-02-15 10:31:43 | 日記・エッセイ・コラム

昨日から仕事場に籠もっている。昨日はまず大量にあることの判明した翻訳資料をどのようにメンバーに割り振るかの作業とある箇所の訳の進行をどう現状把握して他の人が訳に加われるするかということを考えてそれをメンバーに周知した。

一方、仕方なく訳に加わった妻は辞書片手に悪戦苦闘している。もう30年以上になるが、「松くい虫の農薬散布」に反対して数十ページのある論文を翻訳して以来の英語の訳だから仕方がないだろう。参考にしているgoogleの日本語訳を見てときどきくすくす笑っている。

というのは機械翻訳はやはり画一的な訳であり、とても奇妙な訳が出てきて何をいいたいのかわからなくなったり、ある訳語に画一的な訳語をあてるからである。

笑っていたのはsaveという言葉である。このごろはエネルギーの節約とかいう意味に使ったりするからであろうか。交通事故で腕を失うところだった「青年の腕を救った」と訳さずに「腕を節約した」と機械翻訳ではなっていたらしい。

こういう頓珍漢なこともあるが、それでもまがりなりにも訳が瞬時にできることはすばらしいことである。しかし、言語学をやっている人なら、「うんうん」とうなずくことだろうが、どんな状況にも対応できる翻訳機械とかそのソフトとかはできるものではない。それくらい現実の情況はいろいろなのである。

昔、学生に英語の論文を読ませたら、えらく頓珍漢な訳でまいったが、あれはひょっとして機械翻訳をしたものを、さも自分が訳したように見せていたのかもしれないなとやっと思い至った。

しかし、ある特定の分野だけに限るということでなら、機械翻訳が可能ではないかという構想が出てきた。確かこれをExpert systemとかいったと思う。

万能の機械翻訳の難しさと同様に「人の心を見通すこと」も難しいことである。こんなことは絶対できることではないというのが私の考えであり、それはまったくその通りなのである。けれども逆にある特定の情況に限ると人の心を見通すことだってできないわけではない。だが、「超能力とは」そのような限定されたものを意味していないはずだ。

こんな「超能力の風説」に惑わされるということは、少し深く、言語学を知っている人とか万能な機械翻訳のシステムをつくろうなどとしている人にはすぐに「そんなばかなことがあるものか」とわかることだろうが、やはり人間のある種の盲点でもあると思われる。